花が咲く 六
マンションを出て信号待ちをしていたら、アスファルトの間に鮮やかな黄色のタンポポが咲いていた。
つい最近まで地面に這いつくばっていたのに、葉も花もいきいきと空に向かって伸びている。
春の訪れに、そっと笑う。
もうすぐ桜も咲くだろう。
また何もできずに春を迎えるのだろう、と。
今日はホワイトデーだ。
一番大事な人からのホワイトデーは先週のうちに貰っている私はテンションが低い。
既に想いを通じ合わせている恋人たちには大事な記念日なのだろうが、
友情と義理がメインの私にはお返しを回収するだけの一日だ。
「、ホイ。ホワイトデーだ。」
「先輩。それは自販機のココアを奢るって言うんじゃ?」
「気にするな。他のコたちは了承してくれたぞ。」
「・・・ありがとうございます。」
廊下で会った部活の先輩にココアを貰い、深々と頭を下げた。
私が貞治以外にあげたのは部活関係の人ばかり。
それ以外であげたのは不二君だけだ。
不二君は貞治と同じテニス部ということもあって話しやすい男のコ。
おまけに同じ委員会になったこともあって、この一年で随分と仲良くなった。
『ねぇ、僕にもチョコくれないかな?
義理は嫌だな。できたら友チョコで、どう?』
女子に人気のある不二君にお願いされて驚いた。
彼なら売りに行くほど貰えそうなものをと思ったけれど、ニコニコとして頼まれたら嫌とは言えない。
どうせ部活の仲間や先輩に作るのだと簡単に了承してプレゼントした。
その不二君に手招きされたのは帰りがけ。
渡したいものがあるからと腕を引っ張られ、運動部の部室が並ぶ方へ連れていかれた。
「不二君、どこに」
「ホワイトデーのお返しをね、部室に置いてあるんだ。」
彼はテニス部の近くまでくると「ちょっと待ってて」と言い残し走っていった。
部活の先輩や仲間が持ってきたココアやオマケ付きキャラメルよりは期待できそうだ。
そう考えて喜んでいたら、隣を女テニの部員たちがお喋りしながら走っていった。
貞治はもう渡したのかな。
私が選んだ可愛らしいクッキーの詰め合わせは、リボンの色だけが違って中は同じもの。
六つ全部が同じでいいと貞治が言ったから。
あの中には気持ちに応えるようなお返しはないのだと、傷つきながらも安心した。
でも良く考えれば、本命の人に返すものを私に選ばせるはずがない。
買ってはみたものの、結局は渡せていないテニスラケットのついたストラップは、
カバンの中に仕舞ったままになっていた。
「ゴメン、お待たせ。」
「ううん。わざわざありがとう。」
「ハイ、これ。」
手渡された紙袋は思ったより重い。
驚いて不二君を見たら、覗いてみなよと微笑まれた。
紙袋を開いてみれば、小さなサボテンの鉢が可愛らしくラッピングされて入っていた。
それと一緒にクッキーも並んでいる。
うわぁ、本当の三倍返しだ。
「こんなにいいの?私・・たいした物をあげてないのに。」
「そんなことないよ。手作りのチョコマフィンは美味しかったし。」
爽やかに微笑まれて、見ている私の方が照れてしまう。
とにかく何もかもが整った人だ。
「サボテンの育て方なんだけどね、知ってる?」
「ううん、育てたことない。」
不二君は近付いてくると私の持つ袋の中に手を入れてサボテンを出してきた。
水をあげる時はねと、私の前にサボテンを持ち上げて育て方の説明を始めた不二君。
「水はあげすぎると腐ってしまうから、週に・・・」
しっかり覚えなきゃと気合を入れて聞いていたら、不意に不二君の言葉が止まった。
サボテンから目を上げれば、私の後ろを見ていた不二君が意識を戻したように視線を合わせてくる。
「不二君?」
「ああ、冬の間は週に一度で湿らすぐらいでいいんだ。」
水やりは簡単そうだなと頷いたら、急に不二君が声をひそめて耳元に囁いた。
「さん、動かないで。」
思ったより近付いている不二君に驚き、咄嗟に身を引いたけど動けなかった。
不二君の左手が私の腕を掴んでいる。
なにをと思った時には、薄茶色の髪が私の頬に触れた。
目の前には不二君の整った顔が迫っていて、思わずギュッと目をつむって身を縮ませる。
「イヤッ」
自分の震えた声を聞いた時、体が持っていかれる程の力で後ろに引っ張られた。
振り回されて、よろけながら目を開けば、
前にいたはずの不二君は消え、庇うように立つ広い背中だけがあった。
右腕が痛い。
それは不二君に掴まれているからじゃない。
私の前に立つ人が痛いほどの力で掴んで自分の背にまわしている。
「貞治・・?」
「ひとつ聞くけど、これは合意してのことかい?」
冷静だけど、怒りを含んだ貞治の声だった。
私は後ろで首を横に振る。
突然に起こった予想もしないことに頭が混乱して声がうまく出ない。
足元には私の手から滑り落ちた紙袋とクッキーが転がっていた。
「合意じゃないよ。でも、乾には関係ないよね?」
「いや。合意でなければ俺が許せない。」
不二君が答えた時、掴まれた腕に力が加わった。
貞治の感情の起伏が手の力を通して分かる。
後ろから見上げても貞治の表情は分からない。
でも、耳が赤くなっていた。
貞治が本気で怒る時に耳が赤くなるのは、小学生の時からだ。
私は恐る恐る貞治の後ろから顔を覗かせた。
不二君が私に気付いて、少しだけ微笑む。
すると貞治が視線を私に落とし、無表情で背中に再び引っ張った。
「そんなに独占したいのなら、自分のものですって書いとかないと。
僕を蹴散らしたって、いつかは誰かに持っていかれちゃうよ?」
「言われなくても分かってるよ。」
「ならいいけど。とにかくサボテンぐらいは渡してもいいだろう?」
「・・・はめたな、不二。」
「それは感謝の言葉だと受け取っとくね。」
会話の意味を理解しようとして戸惑う。
いつの間にか貞治が掴んでいる手の力は弱くなって、それでも私を放すことはない。
靴音がして、貞治の体から不二君の顔が覗いた。
ビクッとして顎を引けば、困ったように微笑む不二君が「驚かせて、ゴメンね」と首を傾ける。
「手塚には遅れるって言っとくよ。じゃあね。」
不二君は普段通りの優しい笑顔を残し、部室に向かっていく。
貞治は大きく息を吐いて私を見下ろした。
「とにかく何所かへ行こう。大事な話がある。」
私は大きく高鳴る胸を抑えて、ぎこちなく頷いた。
花が咲く 六
2008/02/14
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