翌日。


書類の整理をしていたら、声をかけられた。



『下に、面会のお客様がお見えだそうです』



その客の名前を聞いて、片岡は席を立った。





1階に下りると、受付嬢に声をかけた。


「あちらの方です」 と指された先には、ニッコリと微笑んだ彼女がいた。


片岡が近付くと、ペコリと頭を下げて、あらかじめ用意してあったメモを差し出した。





『昨日は、ありがとうございました。助けていただいて、本当に感謝しています。


 お仕事、支障はありませんでしたか?


 これは、うちの実家で作っているものですが、よろしかったら召し上がってください。


 気に入って下さったら、いつでも差し上げますと、父も申しておりますので。


 良かったら、お店にも寄ってください。』





メモに目を通した片岡が苦笑しながら彼女を見た。
彼女は手にした赤い箱を、やっぱりニコニコ笑って彼の前に差し出す。


彼女を気遣って、またゆっくりと話す片岡。



「こちらこそ。昨日も言いましたが、お気遣いは無用です。
 仕事の方も大丈夫でしたから、心配なさらないで下さい。」



彼の顔を食い入るように見つめていた彼女が、パッと笑顔になる。
よかったぁ・・・と、胸に手を当てて目を伏せる彼女は幼くて可愛らしかった。



「これ・・・お言葉に甘えて頂きます。どうぞ、お父様にもよろしくお伝えくださいね。」



片岡が赤い箱を受け取ると、また彼女は嬉しそうに笑った。


片岡は彼女がビルから出て行く後姿を見送った。
彼女は何度も片岡を振り返っては微笑んで頭を下げる。


あまりに何度も振り向くから通行人にぶつかりそうになったりして、片岡の方が焦る。


だから、笑顔の彼女が視界から消えるまで目が離せなかった。





専務室に戻ると、入り口の秘書室に景吾が立っていた。
第2秘書と何やら話をしていたようだ。



「ああ、ちょうどよかったです。専務が、R社との合同レセプションの件を確認されたいそうです。」
「申し訳ありません。来客がありまして席を外しておりました。
 レセプションの件は、先日の資料通りに進んでおりますが。何か?」



片岡は手にした赤い箱を自分のデスクに置いて、代わりに資料の束を手にした。



「おい、それ。どうしたんだ?」



はい?と、景吾が何を指しているのかと視線を追えば。
先ほどデスクに置いた赤い箱だった。



「頂いたのですが・・・なんでしょう?」
「あっ、それ。プランスのケーキですか?そこのケーキ、もの凄い人気でなかなか手に入らないんですよ。」



電話対応の女性秘書が弾んだ声で口を挟んだ。



「え?そうなんですか?」


「俺んとこのガキも嫁さんも好きなんだ。買ってきてくれ・・・と、せがまれるんだが。
 ここの店主が働く意欲のない奴で、売り切ったら店をたたんじまう。
 昼間は行列が出来てるわで、なかなか手に入らねぇんだよ。」



仕事に私情は挟まないが、家庭はとことん大事にしている景吾の呟きが可笑しい。



「はぁ、そんなに有名なところのお嬢さんでしたか。それは知りませんでした。」
「なんだ?お前、ここと係わりがあるのか?」



ポツリとこぼした言葉を景吾に追求されて、昨日からの出来事をすべて報告させられてしまった。



「ふーん。と、いうことは。俺は、これから欲しいときに片岡に注文すればいいってことか。」
「専務っ!勘弁してください。 とにかく今日頂いたケーキは差し上げますから、お土産になさってください。」



悪いな、と嬉しそうに笑った景吾。
片岡は、その笑顔に嫌な予感がしていた。










赤い箱と同じ、赤い屋根の小さなケーキ屋。
その店の前に立ち、片岡は溜息をこぼす。


彼の予想通り。
子煩悩、妻思いの景吾は、彼に度々ケーキを注文するよう頼んでくる。
最近では接待などのお茶菓子にも、ここの焼き菓子を使うほどの気に入りようだ。


そして、店主との交渉は・・・すべて片岡の仕事になっていた。


店に足を踏み入れると、カウンターの向こうでライトが光る。
耳が不自由な彼女のために、光りで来客を知らせるのだ。


振り返った彼女。片岡を見ると、花がほころぶ様に微笑んだ。



『いらっしゃいませ』
「いつもすみません。注文の品を受け取りに来ました。」
『はい、お待ちくださいね。』



カウンターの向こうはガラスになっていて、店主がケーキ作りをしている姿が見える。
彼女がガラスをトントンと叩くと、店主が顔をあげる。


そして、二人はガラス越し。手話でやり取りをする。
片岡には何を話しているのか全く分からない。


ただ、彼女の白くて細い指が言葉を紡ぐのを黙って見つめる。


くるっと、彼女が片岡の方を振り向くと。
ほんの少し困った顔をして、さらさらと小さなホワイトボードに文字を書いた。



『もう少しかかるそうなんです。お時間、大丈夫ですか?』
「大丈夫ですよ。こちらが無理を言ったんです。」



よかった・・・と微笑んで。彼女は、片岡の後ろにある椅子を指さした。




『ハーブティーでも、いれますから。そこにかけて待っていてください。』



しばらくすると。
片岡の前に、爽やかな香りのハーブティーとマドレーヌが置かれた。
そして、向かいの席に彼女もちょこんと座った。



「いいんですか?こんなところに一緒に座ってて。」



聞けば、悪戯っぽい顔をして舌をぺロッと出す。



『いいの。今日は、いっぱい働いたから。』


「あなたもお手伝いするのですか?」


『私も職人ですよ。見習いですけど・・・そのマドレーヌ。私が作ったんです。』


「本当に?いや・・参りました。とても美味しいですよ?」


『本当?嬉しい!』



彼女が手を叩いて無邪気に喜ぶ。


静かな会話。
店内には片岡の声だけが響き、彼女の言葉はホワイトボードに書かれる。


全く不便は感じなかった。
彼女の表情も仕草も、言葉より雄弁に彼女の心を現していたし。


毎日、分刻みのスケジュールをこなしている片岡には。
心が癒されるような、優しい時間だった。





『この店の前に並んでる木ってね、ポプラなの。秋には、紅葉して、もの凄く綺麗。
 お客さんがひいた後、ここでポプラを見ながらお茶を飲むのが好きなの。』


「ああ、いいですね。パリの街角みたいな感じかな?」


『じゃあ、一緒に見ましょうよ。約束。』


「約束?」


『そう、約束』





彼女が小指を片岡に差し出した。
真っ直ぐ彼を見つめる彼女の瞳に、
ガラス窓から指してくる陽射しが反射してキラキラと輝いている。


その輝きに見惚れながら、片岡も小指を差し出した。
小指と小指を繋ぎ


『指きりげんまん・・・』と唇で紡ぐ彼女。


片岡も一緒に歌った。


『指きった』





彼女は、ふんわり笑うと小指を離して。その指を大事そうに胸の前で抱きしめた。
その仕草が、片岡の胸に感じたことのない鼓動を刻んでいった。





車の中、いつもの如くノートパソコンを膝の上に置き仕事をこなしていく片岡。
ふと、道路の脇に立つポプラの街路樹が目に付いた。


だいぶ黄色が濃くなってきている。





『ねえ、だいぶ紅葉してきたよ?私、何かケーキを焼くね。何が食べたい?
 仕事、忙しいの?あんまり無理しないでね。』


「僕も楽しみにしていますよ。最近、忙しくて。あなたの顔も、随分見てませんね。
 あなたこそ、電車に乗るときは注意してくださいよ。」


『本当に。もう、2週間近く会ってないね。なんだか・・・寂しい。 片岡さんに、会いたいな。』





ここ最近。毎日、しているメール。
いつの間にか、彼女のメールを待っている自分がいた。


そして。昨夜きた彼女からのメールに。


「僕も・・・あなたに会いたい」 と、無意識に打っていた自分に驚いた。


気がついて、すぐに消去すると。
当たり障りのない返事を打って、ごまかした。


だが、本心は会いたかったのだ。


彼女の、花のような笑顔が見たかった。
心を見透かされてしまいそうなほど、彼女に真っ直ぐ見つめられたかった。





「片岡。」
「はい。」



自分の名を呼ぶ声に、我にかえった。



「お前、部長の娘との話。覚えているか?」
「あっ・・は、はい。」


「なら、いいが。来週あたり、両家の顔合わせをと言われた。お前は、いつがいい?」
「・・・・・。」



すぐに答えられない片岡に、景吾が目を細める。



「考えておけよ。」



そう言って、すぐ資料に目を落とした。



「はい。」 と答えた片岡の目に。


ポプラの黄色と彼女の笑顔が浮かんでは消えた。




















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