僕にはね、障害を持つ息子が一人いた。
医者からは『そう長くは生きられない』と言われていたのだけれど、17の春まで頑張ってくれた。
彼は本の好きな子でね。
将来の夢は作家だったよ。
心の優しい子だった。
あの子は私たち夫婦に喜びと幸せを惜しみなく与えたくれた。
私たちには希望の光りだっんだ。
最期の時、彼は私たちに『ありがとう』と言ってくれた。
私たち夫婦も心から『ありがとう』と答えた。
私たちの元に生まれてきてくれて、ありがとう。
私たちに喜びを与えてくれて、ありがとう。
君がいた時間を共に生きられた。親として、これ以上の幸せはなかった。ありがとう。
息子は穏やかに天に召された。
彼の姿は消えてしまった。
けれどね、彼の光りは今も僕の心の中に色褪せることなく輝いている。
温かく、優しく、綺麗な光りだ。
君の体の中に宿るのも光りだよ。
僕にとって、息子や君が希望の光りであるように。
光り 4
店主の身の上話を聞いたのは初めてだった。
は聞きながら涙が止まらなかった。
安静が続く毎日。
自由にならない体と薬剤の副作用に苦しむ日々。
加えて無事に赤ちゃんを抱ける日がくるのだろうかという不安に気分は滅入るばかりだった。
時々叫びだしたくなるような苦しさに押しつぶされそうになりながらも、
お腹の中の子供を守るためにと必死に耐える自分がいた。
そんなの精神状態を知ってのことだろうか。
店主の話してくれた言葉が胸に沁みてきた。
大切な息子と同じように愛情を注いでくれている店主の気持ちが伝わってきて温かかった。
そして、お腹の中の赤ちゃんが今まで以上にかけがえのない愛しい存在に思えた。
私の中にある光り。
は何があっても強くあろうと心に決めた。
その日は深夜から赤ちゃんが良く動いて、なかなか眠れなかった。
頭もとに張られたカレンダーには27週3日に丸印がつけられている。
朝、何かが流れる感じがして目が覚めた。
早朝に電話がかかってきたことに大石は嫌な予感がした。
「大石、手塚さんが破水した。朝一番で産科に寄ってくれ。」
一瞬で寝起きの頭の中がクリアになった。
必要な事項だけをざっと聞いて、すぐに病院へ向かう。
車に乗り込んでキーをさそうとするのだが手の感覚がおかしい。
ここにきて自分が酷く緊張しているのに気がついた。
医局のロッカーから白衣を出すと腕を通すのももどかしく着ながら小走りになる。
病棟は朝食の準備がされている時間だった。
産科のナースステーションに足を踏み入れると前の個室から胎児の心拍が聞こえてきていた。
にモニターがつけられたのだろう。
「どうだ?」
「大石、もう来てくれたのか?すまないな。」
「陣痛は?」
「うん。モニターを見ると5分おきぐらい軽い収縮がきてる。今、感染予防のために抗生物質を始めた。」
「破水は間違いない?」
「残念ながら。BTB(羊水なら青色に変色するテストの事)プラスだった。出血もある。」
「今日が・・・」
「27週4日。今からエコーをして推定体重をもう一度計算してみよう。ただ、1000グラムは厳しいかもな。」
「肺さえ出来てれば何とかなる。」
「うん。長く置いて感染させてしまったら意味がない。ここまできたら早めに出して小児科で診て貰った方がいいかもしれん。」
産科の医師と話し合ってから大石はのもとに向かった。
胎児の心音が規則正しく響く部屋の前で一度深呼吸をしてからノックすると、奥からの声が返ってきた。
「大石君、こんな朝早くから来てくれたのね。ありがとう。」
がベッドに横たわったまま微笑んだ。
随分痩せて青い血管が浮き出た細い指でお腹を撫でているの姿に胸が痛む。
薬指にはめられている結婚指輪は回ってしまいそうなほど緩くなっていた。
無理に笑顔を浮かべて枕元に立った大石はモニターの記録用紙に目を通しながら話しかける。
子宮の収縮は規則的な山となって現れていた。
輸液ポンプに表示されている子宮収縮抑制剤の投与量は限界ギリギリまでアップされている。
破水の刺激で分娩となる陣痛が来るのも時間の問題だろうと推測できた。
「朝早いのは、いつものことだから。どう?痛みは・・・ある?」
少し眉を下げて困ったように頷く。
痛みを感じるほどの収縮がきているとことが何を指すのか、とて理解しているはずだ。
「手塚は今どこだっけ?フランスかな?」
「もうすぐ全仏があるから・・・」
「連絡した?」
ふるふると首を振るに、やっぱりな・・・と思う。
「今すぐじゃないにしても連絡しといた方がいいね。」
「分かってる」
彼女がいつでも手塚を優先するのは知っている。
手塚の邪魔になることを何より恐れているが躊躇っている事は理解できた。
俺にできる事。
「必ず俺が助けるよ。約束する。だから、安心して。」
「大石君、」
「手塚にも約束するよ。」
「・・・ありがとう」
が瞳に涙を溜めて微笑んだ。
大石も「うん」と頷いて微笑む。
必ず救う。大石は心に誓った。
『もしもし?』
「ごめんなさい、遅くに。・・・です。」
『何かあったのか?』
フランスとの時差は8時間。
寝ていたであろう手塚の声に申し訳ないと思いながら強く携帯を握った。
「今朝、破水したの。陣痛も始まったみたい。もう・・・もたせられないの。ごめんなさい。」
言葉が出ないのだろう。暫し手塚の返事がなかった。
『・・・帰ろうか?』
「それは、駄目。」
『だが、』
「大石君がね、必ず助けてくれるって約束してくれたの。あなたにも約束するって。だから大丈夫。」
『、』
「私、お母さんなんだもの。強いわ、頑張る!だから・・・お父さんも頑張って。」
『お父さん、か。』
「そう。ちょっと小さめだと思うけど、赤ちゃんも頑張ってくれると思う。」
『そう・・・だな、』
本当なら今すぐ飛び起きて空港に向かいたい。
真夏に生まれるはずの命が夏と呼ぶには早い時期に生まれようとしているのだ。
心配で心配でたまらない。今、その現実に立ち向かっている妻はどんなに心細いだろうかと思う。
それでもは強い。
あんなに優しいの何処にあの強さが隠れているのだろうか。
「これから色々と検査があるの。もう、電話はできないかもしれない。
でもね、うちの母と手塚のお母様も来てくれるって。だから安心して。」
『分かった。何かあったら、母さんに電話してくれるよう頼んでくれ。』
「はい、」
病室に主治医がエコーを押して入ってきた。
最終的な胎児の状態を見るらしい。
「あ、先生が来たから・・・切ります。」
『、』
「なに?」
『心は傍にいるから。ずっと、だ。』
うん、わかってる。の言葉は音にならなかった。
慌しく時間が過ぎる。
外を夕闇が覆い一番星が輝く頃、は出産を迎えようとしていた。
ストレッチャーに乗せられたに家族が励ましの声をかける。
それに薄っすらと笑顔を浮かべて答えながら痛みに耐えるがいた。
は一言も弱音も苦痛も訴えなかった。
スタッフ達が「大丈夫?辛かったら言っていいのよ?」と気遣うほど我慢強かった。
彼女の枕の下には愛する夫の写真がある。それに気づいた母親がストレッチャーの枕の下に移してくれた。
病室を出たところで大石が立っていた。
小児科立会いのもとで分娩が行われる。NICU(集中治療室)の準備も完璧に整えられていた。
「大石君、お願いします。」
「うん。全力以上を尽くさせてもらうよ。」
わざと明るく言う大石にも微笑んで小さく頷いた。
遠ざかるストレッチャーを見送ってから、大石は思い立って電話に向かった。
落ち着かない一日を迎えた手塚はそれでもテニスコートに立っていた。
いつもは練習にも持ち込まない携帯電話がマネージャーの手の中にある。
呼ばれ慌てて耳に当てた携帯からは最も信頼する友人の声がしてきた。
『手塚、今から分娩になる。』
「そうか・・・よろしく頼む。」
『手塚。俺は今まで一度だってお前に嘘をついたことがない。すごいだろう?』
「ああ、知っている。だからこそ、お前を誰より信頼している。」
『だから、今度も嘘はつかないよ。お前の子供は必ず助ける。絶対に、だ。』
「大石・・・」
手塚は空を見上げた。
遮るもののないテニスコートの真上に広がる空は真っ青で広い。
『じゃ、俺も行くから』
「大石。お前を信じている。」
『ああ、まかせとけ。』
電話を切って目を細める。
空から降り注ぐ太陽の光りは祝福のように輝いて美しい。
「光り・・・か、」
小さく呟いて。手塚は光りに願いをかけた。
冷たい台に横たわったけれど、冷たさなど気にならなかった。
モニターから力強い心音が聞こえてくるから頑張れる。
赤ちゃんが心音で応援してくれているみたいだ。
ゴメンね。
もっと長くお腹の中で大事にしてあげたかったのにゴメンナサイ。
でも、頑張るからね。生まれてきたら、いっぱいいっぱい愛して大事にするから。
あなたも頑張って。お父さんも応援してるからね。
近くにはいないけど、心は私たちの傍にいるから。
パチンと音がして、無影灯のライトがついた。
テレビの手術室でよく見かける丸い大きなライトは眩しいほどの輝きだ。
遠くなりそうな意識の中で、は無影灯から溢れてくる光りに目を細めた。
ああ・・・光りだ。
私の中の光りが、この世に生まれてくる。
光り。
私たちを生涯照らしてくれるだろう・・・愛しい光り。
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