確率は100パーセント 3
『同僚から美味しいワインとチーズを貰ったんだ。食べに来るだろ?
あ、電話だ。じゃあ、七時に俺のマンションで。』
ツーツーツー。
職場にまで電話してきて、私に断る暇さえ与えず電話を切った乾。
私は片手にスポイドを持ったまま、検査室に響き渡りそうな声で「勝手に決めるな!」と叫んだのだった。
今日に限って外来も早々に診察が終わり、検査室の扉が閉まる。
救急も来ないし、今日は当直でもなければ帰るしかない。
なんだか面白くないが、美味しいワインとチーズに惹かれる。
結局はブツブツ言いながら馴染みのパン屋さんでチーズに合わせたバケットを買い、乾のマンションに向かった。
オートロックの玄関で呼び出せば、暫しの間があってから無駄に良い声が聞こえてくる。
『はい。』
「わたし」
『どうぞ。今、手が離せないから勝手に入ってきてくれ。』
手が離せない?へぇ、何か他に料理でも作ってくれてるの?
ちょっと期待して開いた自動ドアを抜け、エレベーターのボタンを押した。
長い廊下の突き当たり、乾の部屋の前で一応はピンポンするが反応なし。
勝手に入れと言われたので、待ちもせずドアに手を掛ければ簡単に開いた。
「お邪魔します。」
「ん〜。いらっしゃい。」
リビングの扉を開けば、私に背を向けたまま乾がパソコンのディスプレイに向かっていた。
部屋に満ちるのはタバコの匂い。
カチカチとマウスを操作する音がして、乾は黙々と作業をしている。
左手には長い指に挟まれた煙草から立ち上る紫煙があって、今にも灰が落ちそうになっていた。
手にした荷物をテーブルに置き、目の前の煙を掃いながら灰皿を差し出す。
「解剖するとね、肺が真っ黒になってるのよ。」
「それほどは吸ってないよ。」
差し出された灰皿に気付いた乾が軽く灰を落とした。
そのまま煙草をくわえると、首をマッサージしながら文字を目で追っている。
後ろから覗き込んで見たけれど専門用語ばかりで頭が痛くなりそうなものだった。
「仕事?」
「もうちょっと掛かるんだけどね。」
「いいよ。私、ワインとチーズさえ貰えればいいからさ。
ね、冷蔵庫にある?開けてもいい?」
「ああ。先に始めてくれ。」
私は買ってきた品物を台所に運び、遠慮なく冷蔵庫を開けた。
よくよく考えれば分けられるのはチーズだけか。
「乾、ワインは諦めるわ。チーズだけ半分貰っていい?私の買ってきたパンも半分にして置いてくからさ。」
「なに?どういう意味?」
「ラップある?持って帰るのにチーズを包みたいの。」
訊きながらゴソゴソと台所を探していたら、後ろに乾がやってきた。
手にしていた煙草を流しに捨てると、何やら不機嫌を隠しもしない顔で私を見下ろす。
「もしやと思ってお訊ねするけど。はチーズだけ貰って帰るつもりかい?」
「だからパンを半分あげるって。空瓶でもあればワインも貰って帰りたいんだけど、それは遠慮したのよ?」
「それ、本気で言ってる?」
「なによ。まさか乾の仕事が終わるまで待ってろとでも言うの?」
呆れたような声を出せば、溜息をついた乾が背を向けて、テーブルの上の新しい煙草を手に取った。
イライラとした仕草で火を付けると音をたててライターを置く。
そして、天井に向かって煙を吐き出すと私の癇に障るようなことを言った。
「フツウ、恋人が仕事してたら可愛らしく拗ねてみたり、健気に待ったりするもんだろう?
貰うもんだけ貰って帰ろうなんて、ありえないよ。」
「はぁ?いつ、乾と恋人になったっけ?
それにね、家にまで持ち帰って仕事してる人間に拗ねて何になるのよ?
ますます仕事が遅れて困らせるだけでしょう?
健気に待つ?待って欲しけりゃ、待っててくれとお願いするのが筋でしょう?
待てと言われれば、こっちだって考えないでもないわよ。
何よ。いままで、どんな女と付き合ってきたか知らないけど、
そんなに可愛くて健気な女がいいのなら、私を呼ばずに他の女を呼びなさい!
チーズなんか要らないわよっ」
なんかもう、急に怒りが込み上げて止められなかった。
なによ、ソレ。
フツウじゃなくて悪かったわね。
どうせ可愛げも健気さもありませんよ。
毎日遅くまで仕事してるの知ってて、無理が言える?
忙しいくせに人を呼び出すなよってムカムカしているところに責められて。
ホント頭にくる!
こちらも負けずに音をたてて買ってきた食材を袋に戻し、台所から飛び出す。
その腕を横から乾に掴まれてしまった。
「放してよ」
乾は左手に煙草を挟んだまま、メガネを軽く押し上げる。
なんでコイツ、笑ってるんだ?
「ね、それ・・・妬いてくれてるの?」
「へ?」
「俺の過去に妬いてるんだろう?」
この男、どういう思考回路をしてるんだろう。
怒りを通り越して呆れてしまった。
「どう歪曲したら、そうなるわけ?」
乾に掴まれた腕を振り払おうとしたら、強引に引き寄せられて抱かれた。
暴れようとしても乾の力は強い。
嬉しそうに笑って、額に髪にと口づけてくる。
「やめてよっ」
「暴れると煙草の火が危ないよ。」
煙草を持ったまま人を抱きしめるなとジタバタしたがビクともしない。
乾は笑いを引っ込めて、優しい仕草で髪を撫でてくる。
白いシャツに沁みついた煙草の匂いに酔いそうだ。
「確かに君は今まで付き合ってきたコと違う。
それはね・・・俺の気持ちが違うからだと思う。」
「乾の気持ち?」
「そう。こんな俺だから、恋人もそっちのけで仕事に集中するのなんか日常だ。
そこで女のコに拗ねられたり、健気にされたりすると・・・すごく居心地が悪くて嫌だった。
俺の方からお願いして帰って貰ったり、ついには別れるの繰り返し。なのには違う。」
「よく分らないんだけど?」
乾が腕の力をゆるめた。
私は顔をあげ、乾と視線を合わす。
乾は何故だか幸せそうな笑顔を浮かべていた。
「好きだから。君には拗ねて欲しいし、俺を待ってて欲しい。
俺に我儘言ったり、ヤキモチ焼いたり、もっと俺を見て、俺のことを考えて欲しい。
俺が・・・を想うのと同じように。俺を愛して欲しい。」
唖然としていた。
多分、瞬きも忘れていたと思う。
こんな熱烈な告白、ドラマか映画でしか聞けないと思っていた。
中学の時から知ってる乾が、大人の男になって私に告げているのが信じられない。
「好きなんだ。
ずっと片想いして、君が俺以外の男を恋人にするたびに諦めてきた。
何度諦めても、結局はに恋をしてしまう。
だから決めたんだ。の最初の男にはなれなくても、最後の男になりたい。
もう誰にも渡したくないから・・・絶対に離さないよ。」
乾は答えなど求めていないのか。
私の言葉など聞かず、そのまま唇を重ねてきた。
ちょっと苦い煙草の味がするキス。
乾の心の痛みが、少し分かった気がした。
私から乾の背中に手をまわせば、倍の力で抱きしめられた。
馬鹿な男だと思うけど、愛しい。
繰り返すキスに夢中になった頃、無情にも携帯が鳴り響いた。
お仕事ですよ、乾クン。
乾は情けない顔で『帰るなよ』と念押ししてパソコンに向かう。
仕方がないから直ぐに摘めるようにパンやチーズをトレイに載せて乾の隣に腰を降ろした。
「仕事しながら食べれば?ワインは終わってからね。私は飲むけど。」
「お気遣い感謝するよ。」
「私、終電には乗るからね。」
「酔っ払って線路に落ちるぞ。泊まっていけばいいだろう?」
「他の女が寝たかもしれないベッドになんか寝たくないわ。」
目を丸くした乾が困ったように笑う。
次には私の耳元に口を寄せ、吐息のように囁いた。
「じゃあ、ベッド一式新しいのに交換したら抱いてもいいかい?」
確率は100パーセント 3
2007/11/02
いつの間にか連載
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