確率は100パーセント 6
「遅い」
「ああ、ゴメン。駅で妊婦さんが陣痛を起こして」
「乾・・・」
「いや、なんでもない。図面を引いてたら思った以上に時間が過ぎていて、痛っ」
最後まで言わせずに肘で脇腹を突いてやった。
乾が両親に挨拶をしたいと言い出したのがお正月。
さすがに今日の明日というわけにもいかず、一月最初の連休に来ることになった。
なのに乾ときたら、さっきまで仕事をしていたらしい。
「急に納期が早まって、俺も困っているんだ。」
「なら挨拶は延期すればいいでしょう?急ぐものでもあるまいし。」
「それは駄目だよ。延ばせば、いつ逃げられるとも分からない。」
「誰がよ。」
「君は俺が掴もうとするたび逃げてしまう常習犯だから。」
言って乾は、そっと私の髪を撫でた。
どうも私は自分の知らないところで、随分と乾に苦渋を味あわせてきたらしい。
今さら素直に逃がしてくれるわけ?なら考えるけど。
心の中では意地悪を言ってみたが、乾の仕草が優しいから声にはしない。
不機嫌な顔を作ったまま乾の肘に腕をからませると、少しだけ頬を寄せる。
最近は慣れてしまった乾の匂いに目を閉じれば、頭のてっぺんにキスが落ちてきたのを感じた。
私の知っている父は陽気で明るい社交的な人。
その父が苦虫を噛んだような難しい顔をしているのを不思議な思いで見つめた。
「ええっと、こちらは乾貞治さん。王貞治の貞治よ。」
明るく言ってみたが、父は「うむ」と一言。
乾はいつも以上に表情のない顔で正座したまま動かない。
玄関前で『大丈夫?』と聞いたら、『多分・・・』と答えたのを思い出し不安になる。
「こう見えても建築士でね」
こう見えてって、どう見えてよと心の中で突っ込んでみたが、空気は重い。
母も緊張した面持ちでお茶菓子を並べている。
お母さん、助けて。
視線で求めたら、母がお愛想笑いを浮かべて口を開こうとした。
それと同時に隣の乾が突然に消えた。
何事かと見た時には、畳に頭を擦りつけている乾の広い背中があった。
「お願いです、娘さんと結婚させて下さい。」
「い、乾!?」
「ずっと・・・、高校時代からずっとさんだけを見てきました。
結婚は彼女としか考えられない。長く想い続けてきたんです。
お願いです。俺に娘さんを下さい。」
乾は頭を下げたまま、一気に言った。
静かだけれど切実な乾の声に私は言葉を失う。
ただ呆然として乾のつむじを見つめていた。
「」と母が小さな声で私を呼ぶ。
何故か滲んでくる乾の黒髪から視線を戻し、私も並んで頭を下げた。
「お父さん、この人と・・・結婚したいの。」
私の声は震えていた。
裕福な家ではないが、心意気として奮発したらしいお寿司を皆で食べた。
アルコールの入った父は途中から異様なほどフレンドリーになり、それに付き合った乾も酔っている。
タクシーを呼ぶというのに、電車で帰ると譲らない乾と共に駅に向かった。
一応は真っ直ぐ歩いているが乾の顔は赤い。
「ちょっと、大丈夫?」
「全然ヘーキさ。」
「その口調からして怪しいよ。」
ボタンも留めてないロングコートを翻して乾が振り返る。
後ろを向いたまま歩きだす足取りが心もとないが、乾はご機嫌だ。
「ちょっと、前向いて歩きなさいよ。」
「嬉しいんだ。」
「酔っ払い。」
「嬉しいから酔ってるんだよ。」
へらへらと笑って、ずれたメガネを押し上げる仕草が酔っ払いだ。
「ねぇ、私は実家に泊まるんだからね。一緒に帰らないわよ?」
「分かってる。今日ぐらいはお義父さんに譲らないと。」
「乾、後ろに車が停まってる!」
ターンでもするように後ろを振り返り、危ないなぁって笑ってる乾の方が危ない。
私は乾の腕を強引に掴むと引きずるようにして歩きはじめた。
すると引っ張られる長身の男が体を屈めて笑い始める。
「もう、この酔っ払い!嫌だって言っても、駅からタクシーに乗せるからね。」
「好きだよ、。」
「はいはい。」
酔っ払いが笑いながら言うから、私も適当に流す。
暗くなった夜道を笑い続ける男を引っ張って歩く私の身にもなってほしい。
「本当に嬉しかったんだ。」
「はいはい。」
「君が俺と結婚したいと言ってくれた時、本当に嬉しかった。」
はいはい、とは言えなかった。
乾は遠くを見ている。闇の向こうに過去を思い出すかのように。
「何度も諦めたんだ。その君が俺と結婚したいって。」
俯いて奇妙な笑いを洩らしている乾を見上げる。
私の視線に気づいた乾の瞳が、ゆっくりと私の元へ戻ってきた。
「乾って・・・本当に変わり者ね。」
「そうかい?」
壊れものにでも触れるかのように乾の手が私の頬を包む。
その手に、私も手を重ねた。
「この世には私より綺麗な人も、優しい人も山ほどいるでしょうに。」
「それでも俺はがいい。」
「だから、変わり者なのよ。」
「そう・・かな。まぁ俺が幸せなら問題ないだろう?」
邪魔だなと、酔っ払いがメガネを外して微笑む。
その後に寄せられる唇に目を閉じて、私は心の中で答えた。
私も幸せだから、問題ない。
「私を選んでくれて、ありがとう。」
「はは。それは、こっちのセリフだよ。
ありがとう、。」
・・・愛してる。
道端で訊いた酔っ払いの囁きに、
不覚にも泣いてしまいそうになった私だった。
確率は100パーセント 6
2008/02/06
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