勘違いも甚だしい 3
誰か助けて!!
声にならない叫びを繰り返していても足は動く。
拉致されたわけでも、脅された訳でもない。
断固として拒否すれば、案外簡単に許してくれたかも。
でも・・・
『いえ、あの』
『その格好で、この後に何か用事があるわけでもないでしょう?』
言われて自分の姿を見下ろせば、Tシャツにジーパン、サンダルの超軽装。
加えて言うなら朝に顔を洗っただけのスッピンに、髪は適当に束ねて丸めただけだった。
ある意味こんなくたびれた姿を見て、先日の人間だと判明できたことが凄い。
『お茶を飲む時間ぐらいありますよね』
男は笑顔もなく淡々と言って、フレームが半分しかない洒落た眼鏡を押し上げた。
有無を言わさぬ静かな迫力に、気の弱い私は頷いてしまったのだ。
隣を歩くと背の高さが、よく分かる。
整髪料の匂いが夜の男っぽくて、こんな真っ昼間にお日様を浴びて歩いているのが不自然なほどだ。
正直、回れ右をして逃げ出したい。
どうしよう、駅の交番とは離れていく。
擦れ違う人に『助けて下さい』と目で訴えても、誰が気付くはずもなく泣きたくなってきた。
「沖縄、行きたいんですか?」
「え?」
恐怖と緊張で半泣きになっていた私に男が問いかけてきた。
一瞬は意味が分からなかったけれど、コンビニで私が見ていた旅行雑誌のことだと分かった。
「い・・行きたいですけど」
「いいところですよ。行くといい」
前を真っ直ぐ見たまま、男が少しだけ口元を緩めた。
その横顔が驚くほど端正で、思わず見惚れる。
いやいや、見惚れてる場合じゃない。
これから何所へ連れて行かれて、なにを言われるのか。
先日の慰謝料を寄こせと脅されても、私の財布には三千円足らずしかない。
キャッシュカードの暗証番号を聞かれたら、もうお終いだ。
「俺はね、沖縄の出身なんですよ」
「そ、そうなんですか」
私が想像に震えているうちにも会話は続いていたらしい。
微妙なイントネーションの違い、それは男が沖縄の出身だったからだと知れた。
沖縄から上京までしてきて、わざわざヤクザに・・・
男の身の上に何があったか知らないが、実は人には言えないような苦労があったのかもしれない。
ちょっと同情する。
「海・・・海って、どこの海もあんなに綺麗なんですか?」
「綺麗ですよ。俺の卒業した高校も海の近くでしたけどね。観光客なんか来ない海でも同じです」
「へえ」
「ああ、ここです」
指されて視線をあげた先には、こじんまりとした小さなカフェがあった。
結果から言うと慰謝料は請求されなかったし、キャッシュカードの暗証番号も聞かれなかった。
私は何も聞かれず、反対に携帯番号とメアドを教えられた。
近所にありながら知らなかったカフェは雰囲気が良く、コーヒーに加えてシフォンケーキまでが美味しかった。
これも割り勘どころか、誘ったのは俺だからと男が払ってくれた。
申し訳なくなってきて自分から名前だけは教えてお礼を言ったが、大丈夫だろうか。
そう会話が弾んだわけでもないが、逃げ出したくなるほど居辛いわけでもなく。
沖縄の話をすれば笑みを見せる男は、モデルか俳優かと思わせるほどに美形だった。
例のクマちゃんの絆創膏が物珍しかったので、翌日もそのままにしていて知り合いに驚かれたとか。
ちょっと私も笑っちゃうような会話もしたりして、それなりに楽しかったりもした。
で、結局はなんだったのかというと『分からない』の一言に尽きる。
男・・・名前は木手さん(メアドを教えてくれた時に分かった)は、
自分を突き飛ばして怪我までさせた女を偶然に見かけてお茶を奢るという変な人だった。
裏社会に生きる人なのに礼儀正しく、最初から最後まで独特の響きをもった敬語で話した。
あの見た目の怖ささえなければ、なんだか友達にだってなれそうな好い人だ。
ということで、私は携帯を手に画面を睨み続けている。
メールをするべきか、メアドを消すべきか。
でも奢ってもらったし。
社会人として、お礼ぐらいはしないと非常識?
ゆうに一時間は悩んでから、丁寧なお礼の文を送信した。
すると直ぐに返信がきた。
来週も会いませんかというお誘いのメールだった。
・・・・どうしよう。
勘違いも甚だしい 3
2011/05/30
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