花信風 2












手にした連絡先を使うこともできずに日が過ぎていく。
そうこうしているうちに片山君のご両親にまでお願いされてしまい、動かざるをえなくなってしまった。


彼には才能がある。
努力家だし、上を目指そうとする気持ちも強い。
過去のこだわりで私が足踏みするのは指導者として失格だと心を奮い立たせ、
大石君に教えてもらった番号に連絡をした頃には桜が散ってしまっていた。



国際電話という緊張もある。
だけどそれだけじゃない騒ぐ鼓動に、今すぐ電話を切ってしまいたくなる。
留守を願ってしまう弱気な自分を押し込めて、汗のにじむ手で受話器を握っていた。



『Hello.』



プツっと音がして緊張がピークを迎えた時、聞こえてきた声は手塚君のものではなかった。
キーの高い女性の声が私の鼓膜を震わせる。
昇っていた血液が一気に落ちてくるような感覚のなか、なんとか声を出した。


たどたどしいであろう英語で自分の名前を名乗り、手塚君が居るか尋ねる。
ネイティブな発音は聞き取りにくいが、繰り返される『クニミツ』という名前が耳についた。


手塚君は留守らしい。
日本からの電話である事と連絡がほしい事を告げ、自宅の電話番号を教える。
女性にも何とか通じたらしい英語に安堵して受話器を置いた。
それはたった二、三分のことだったろう。
だが激しく疲労した時間だった。



これは手塚君のプライベートな番号だと聞いていた。
ということは電話に出たのは恋人だろうか。



思えば勝手に胸の奥が痛む。
懐かしささえ感じる痛みに胸元を抑え笑ってしまった。


あれから、もう何年たった?
片手の指ではとうに足りなくなっている年月を前に、自分を笑うしかない。


彼は世界に羽ばたくという夢を叶え、
早すぎる引退を惜しまれながら今もコーチとしてテニスの世界にいる。
支えてくれる恋人がいて当然だ。



不意に自分の名前しか告げなかったことを後悔した。
私の名前など忘れてしまっているかもしれない。
もっと詳しく高校時代の同級生でと説明したほうが良かったかもしれない。


思ってから、自虐的なことだと溜息が出た。
いくらなんでも彼は忘れていないだろう。
僅かな時間だったとしても、私たちは想いを交わしたのだから。



それから半日ほどが過ぎ、テストの採点をしていたら電話が鳴った。
採点に集中していた私は驚きあまり身を竦ませ、それから恐る恐る電話を取った。



「はい、です」
『・・・久しぶりだな。』



ああ、と思う。
その後に彼が名乗ったけれど、名前など聞かなくても直ぐに分かった。
体中の細胞が『手塚君』だと教えてくれるみたいに。



「お久しぶりです。すみません、わざわざ電話を頂いてしまって・・・」



一瞬は迷ったけれど丁寧な言葉を選んだ。
もう、馴れ馴れしく話してはいけない人なのだと思う。



『いや。こちらこそ留守にしていて、すまなかった。』
「ううん。突然に電話してしまったから」


『元気・・だったか?』



柔らかな声色に切なくなる。
忘れかけていた手塚君の声が鮮やかに蘇り、何もかもが懐かしい。



「元気です。手塚君は?」
『元気だ。』


「そう・・良かった。
 あの、お願いしたいことがあって」



頼まなくてはいけないことがあるのに言葉が出てこない。
この受話器の向こうに手塚君がいると思うだけで胸が震えてしまう。



『俺で出来ることがあるなら言ってくれ。』
「ありがとう。実は・・・」



私は懸命に言葉を紡ぎ、片山君のことを話した。
世界ランクの上位にまで名前を連ねた手塚君に高校生を頼むのは申し訳ない気がする。
それでも頼まれた以上、未来ある彼のために何とかしたいと思う。



『話は分かった。だが受けるかどうかは約束できない。』
「・・・分かっています。」


『とにかく彼に会ってみよう。』



驚く私に受話器の向こうで空気の緩む気配がする。



『会って見てみないことには判断できないだろう?』
「い・・いいの?」


『ああ。実は、さっき日本に着いたところだ。』



手塚君が日本にいる。
また鼓動が速くなるのを感じながら息を詰める。



にも会えたら嬉しい。』



彼の言葉が耳から体中に沁みていくようだ。
泣きたくなってくるような想いで、「うん」と答えた。
子供っぽい返答に後で恥ずかしくなったのだが、あの時は胸が一杯で言葉が出せなかった。



「うん」は、「私も」と同じ意味だった。



そして、三日後。


取材や仕事の合間をぬって手塚君が学園に来てくれた。
こちらが出向くと伝えたのだが、手塚君は学園を選んだ。


落ち着かない私は時間より随分と早くに校門の前で待っていた。
桜の後を引き継ぐように、ハナミズキが白い花びらを開こうとしている。
柔らかく吹く風に揺れる花を見上げていたら、遠くから背の高い人が同じように上を見ながら歩いてきていた。



きっと見間違いじゃない。
何年たっても、直ぐに見つけてしまう自分。


あれは手塚君だと目を凝らす。


随分と離れているのに、向こうも私に気づいたようだ。
真っ直ぐに私を見て、軽く手を挙げた。



高校生の頃も私を見つけると、ああやって手を振った彼だった。
変わらない仕草に瞳を細める。



何年たっても好きな人。
情熱は失っても、静かに愛し続けていくのだろう。



私も手を振る。
そして、ゆっくりと手塚君に向かって足を踏み出した。




















花信風 2 

2008/03/31




















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