花信風 3










何もかもが大きな人だった。
身長も、肩も、手も、そのプレイスタイルも。
漆黒の瞳の奥にある強い心、それも大きな人だった。



「早いな。」
「手塚くんこそ。」



顔を見て交わした最初の会話にお互いが笑ってしまう。
手塚君は懐かしい眼差しで私を見た後、少しだけ瞳を細め青い空を見上げた。



「駅から花を見ながら歩いてきたんだ。」
「懐かしかったでしょう?」


「ああ。昔を・・思い出していた。」



手塚君の横顔と一緒に空を見上げ、「昔」という言葉を反芻する。
ふたりで過ごした時間は、昔なのだ。



「今日は本当にありがとう。時間を割いてもらって感謝しています。」



手塚君は視線を私に戻すと僅かに微笑んだ。










この人には澄んだ青空が本当に似合う。
真っ直ぐに伸びた背中がコートに立つだけで風さえも変わってしまう。
彼の存在感は人を圧倒する。


休日にもかかわらず校長をはじめ、他の先生方まで集まって手塚君を見つめていた。
片山君のボールを打ち返す手塚君の姿に周囲の溜息にも似た感嘆の声があがる。
私は久しぶりに見たテニスをしている手塚君の姿に胸を震わせた。



「あ、ありがとうございました!」



興奮ぎみの片山君が大きな声で挨拶をして、ふっと場の空気が緩む。
世界で活躍してきた雲の上のような人に指導してもらえて、本当に嬉しいのだろう。
少年の輝くばかりの笑顔を見て、私も嬉しくなる。


彼を引き受けてくれるかどうかは分からないが、
手塚君に受けてもらえなくても今日の日が彼には大きな宝物になるだろう。



「渡米したいのだと聞いたが?」


「はい!もっと強くなりたいんです。
 俺のできる限り・・・いえ、それ以上にやってみたい。伸びる可能性があるのなら何処へでも行きます!」



緊張気味に答えていた片山君が最後に少しだけ照れくさそうに付け加えた。
鼻の頭をかきながら、それでもハッキリと。



「俺、すごくテニスが好きなんです。手塚さんみたいに・・・ずっとテニスがしたいんです。」



手塚君は眩しそうに瞳を細め頷いた。
彼はプロを引退した後も、こうやってテニスと共に生きている。
故障を抱えたうえの早すぎる引退だったけれど、こうやって生涯をテニスと共に歩むのだろう。



コートに立つ手塚君と片山君を包むように、春の風が吹いていった。










いいのかと、手塚君が車の前で問うから私も困ってしまう。
フロントガラスには桜の若々しい緑の葉が落ちている。
校庭の裏にある職員駐車場に停めた車は、春には花びら、秋には枯れ葉でフロントガラスが埋もれるのだ。



「これでも運転歴は長いんだけど。」
「そういう意味じゃない。俺が乗ってもいいのかという意味だ。」


「あ・・・ごめんなさい。マスコミとかに見つかると困る?駅までだって人目があるものね。」



どうせなら君がお送りしてあげたらと教頭に勧められて頷いたのだが、まずかったかもしれない。
取り出したキーを鞄に仕舞おうとしたら、手塚君が呆れたように溜息をついて首を振った。



「そんなことはいいんだ。甘えさせてもらおう。」


「無理しなくても」
「無理などしていない。本当はもう少し話がしたいと思っていた。」



思わず手塚君の顔を見た。
彼はメガネを長い指で押し上げるとラケットバッグを背負い直して短く言った。



に迷惑かと遠慮しただけだ。」



迷惑なんてあるはずがない。
いつも相手のことを考えている手塚君に微笑み、私は再び車のキーを手に取った。



口数が少ないのは昔から。
付き合っていた頃も手塚君は「そうか」と相槌を打つのが常だった。
はじめは一生懸命に話題を探していた私だったけれど、いつしか言葉はなくても大丈夫だと気付いた。
会話がなくても息づかいを感じるほどに近くにいて、同じものを見ているだけの穏やかな時間があった。


車を走らせながら、そんなことを思い出す。



「片山君、どう?」
「ああ。粗削りだがアグレッシブだし、伸びると思う。」



受けてくれるのだろうか?
正面から訊いていいのか迷っていると、窓の景色を眺めていた手塚君が口を開いた。



「大石は・・・元気か?」



大石君から連絡先を聞いたのだから、当然出てきてもおかしくない名前だったのに驚いてしまった。
焦った感情を隠し、わざと明るめの声を作る。



「元気よ。連絡、とってないの?」
「先月かに帰国することはメールしたんだが、それから連絡を取っていない。」


「大石君も海外の学会へ出席したり、春の移動もあったりして忙しいみたい。
 この前、私も久しぶりに会ったの。忙しいというわりには元気そうだったけど。」


「久しぶり?」
「年末に会ったきりだったから。」



手塚君が黙り込んでしまった。
ハンドルを握っている身で余所見はできないのだが、チラリと横目で手塚君を見れば口元を押さえて何か考えている。





駅が見えてきた。
歩けば長い距離でも、車なら直ぐだ。
隣にいる手塚君と別れるには寂しくもあり、ちょうどいい距離だと思う。
長く共にいれば、性懲りもなく心が揺れてしまうだろうから。



「駅でいい?」
「大石とは」



二人の発した言葉が重なった。
同時に口をつぐみ、どちらが先に言葉を続けるか待ったが微妙な空気だ。
駅のロータリーに入りながら、もう一度「ここでいい?」と尋ねた。


手塚君は頷いて、膝の間に抱えていたラケットバッグに手をかける。



バスが入ってくるレーンに車を寄せれば、手塚君は黙ってドアに手をかけた。
淡々と降りる彼の背中を馬鹿みたいに見つめる。


バックミラーにはロータリーに入ってくるバスが見えてきて、すぐに車を出さなくてはならない。
手塚君は外からドアに手をかけたまま、車の中を覗いてきた。



「片山君のことは」



感傷的になっている場合ではない、これだけは訊いておかなくては。
手塚君は頷いた。



「今晩中にスケジュールを調整して、近いうちに彼の家に行こうと思う。」
「本当に?ありがとう。」


「その時は一緒に来てほしいのだが・・・いいだろうか?」
「もちろん。私の方こそ、お願いします。」


「また・・電話をする。」
「待ってます。」



もう一度、会える。
少女だった頃のよう、純粋に嬉しかった。


手塚君が何か言いたそうに口を開きかけ、後ろに迫ってくるバスに気づき身を引いた。
パタンと車のドアが閉められ、途端に喧騒が小さくなる。



車から数歩さがった手塚君が手を挙げた。
別れる時に見せる変わらない仕草に泣きそうになりながら、私は頭を下げて車を発進させる。



何度も確認するバックミラーには、
いつまでも車を見送ってくれる手塚君の姿があった。






















花信風3 

2008/04/13



















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