花信風 4











その日の夜遅く、手塚君から空いている日時が知らされてきた。
夜に馴染む落ち着いた声を聞きながら、私はペンを走らせる。



『その中で都合のあう日があるといいのだが。』


「分かった、訊いてみます。それで・・・連絡はどこへすればいい?
 私が知っているのは大石君に訊いた番号だけなの。」


『なら・・・今使っている携帯の番号を教えよう。』


「お願いします。」



手塚君が口にする番号をメモしながら、遠い記憶がよみがえる。


この声に名前を呼ばれたのは遠い昔。
好きだと告げる掠れた声さえ、今まで忘れてしまっていた。



「都合のよい日が分かったら電話します。」
『頼む。じゃあ、また。』



じゃあ、また。



酷く懐かしく感じる言葉の余韻に、暫く受話器が置けなかった。



特別な話題がなくても、なかなか切れなかった。
お互いが『そっちから切って』と強請った深夜の電話が懐かしい。



・・・過去を振り返るのはやめよう。
手塚君に気付かれてしまったら、きっと彼を困らせてしまう。
何もなかったかのように、とうに消化してしまった過去だと大人の顔をしていなくては。



あの時、変えられない彼の未来の前で、私は泣きも縋りつきもせずに笑って別れを受け入れた。


どうしても避けられない別離なら、嫌いで別れるんじゃないからこそ、
純粋に愛していた制服姿の私を彼の中に思い出として残しておきたかった。


いつか彼が誰かを愛しても、ずっと忘れられない恋人でありたいと。
その気持ちは今も変わらない。





恋人という名前を捨てた後、少し酔った大石君が私に言ったことがある。





『俺・・・今でも君のことが好きだよ。
 でもね、傍にいるのは駄目だ。どうしても辛い。
 離れて楽になったよ。たまにこうやって会うのは楽しいしね。


 ねぇ、どう?別れてみて、俺ってイイ恋人だったと思い出す?』





なにを言い出したのかと困惑した。
それでも相手は酔っているし、私たちはお互いの気持ちをさらけ出して別れた後だった。



『秀一郎・・・大石君は、いい恋人だったよ。
 今でも声が聞きたいなって思う時があるし、会いたいとも思う。時々は、』



その温かい胸に抱きしめて欲しい、もう一度と思ってしまうほどに。



最後の言葉は口に出せなかった。
不意に目の奥が熱くなってきて、言葉が続けられなかった。



テーブル越しに手が伸びてきて、慈しむように頭を撫でられた。
零れてしまう涙で顔が上げられない私に、彼は穏やかに続けた。



『そうやってね、俺はずっと君の心に残りたいんだ。
 一緒にはいられなくても忘れられない男としてね。我儘な男だろ、俺。』



大石君がすまなそうに言った。



ううん、その気持ち私も分かる。
本当は我儘でも、醜くても、汚くても、傍で愛し合えるのが一番なのだと知っている。
それができないから、せめて美しい思い出にと人は願うのだろう。










片山君のご両親には直ぐに返事をもらったのだが、それが困ったことになる。
手塚君に出向いて貰うより自分たちの方から訪ねたいというご両親の希望を伝えた私に、
彼は自分の自宅・・・つまりは実家を指定してきた。


正直、それには驚いた。
手塚君の実家に行けば、当然のことながらお母様もいらっしゃる。
私のことを覚えているか分からないけれど、顔を見れば気付くかもしれなかった。


手塚君に同席してほしいと頼まれたことは忘れていない。
彼を紹介した者として一緒に出向くのも当然だと思う。
でも・・・



「他の場所では駄目?」
『何故だ?』



表情は見えなくても、何が問題なんだと真顔で訊いている姿が想像できる。
こだわっているのは私だけなのかと情けなくなりながら言葉を探す。



『その日は午後から自宅で取材があるんだ。
 出向いて貰えるのなら自宅の方が都合いいのだが、駄目なのか?』


「駄目じゃないけど・・・」


『家の場所は覚えているだろう?』



溜息が出た。
もちろん覚えている。


ちゃんと紹介したいと、あなたが私を連れて行ってくれた家。
お母様が喜んで、手作りのチーズケーキを出してくれた。
別れる日まで、何度となく通った家を忘れるはずがない。


仕方なく「私が伺ってもいいの?」と単刀直入に訊ねてみた。
それにも手塚君は動じずに『別に問題はないが?』と答える。



こうなっては私も割り切るしかない。
もう彼には済んだことで気にすることでもないのだと自分に言い聞かせて了承した。










そして、約束の日。


緊張した面持ちの片山君やご両親と共に手塚君の家に向かった。
タクシーを降りて、懐かしい家を見上げる。純和風の立派な家は、あの頃のままで建っていた。


自分の方がよほど緊張しているのを感じながらインターフォンを押せば、直ぐに玄関の扉が開く音がした。
この頃では珍しい木製の引き戸が開き、シャツ姿の手塚君が顔を出す。


居心地の悪い思いを飲み込んで頭を下げれば、すぐ後ろから和服姿の女性が顔を覗かせた。



さん?」



呼ばれて瞳を細める。
ご無沙汰しておりますと頭を下げると、手塚君のお母様は嬉しそうに微笑んだ。



「懐かしいわ。さぁ、どうぞ。」



さあ、さあと私を促すお母様に面映ゆい思いをしながら手塚君を見上げる。
手塚君は片山君のご両親に挨拶をして、私に視線を寄こしてきた。


目と目で、なんとなく微笑みあい中に入る。



玄関も変わらない。
手塚君の家の匂いが、たまらなく懐かしかった。



玄関脇の階段は手塚君の部屋へと続くもの。
その横を通り過ぎて、庭に面した応接室へと通される。
大きな窓の外には薄ピンク色のサツキの花が咲いていた。


あらためて両者が挨拶を交わし、手塚君がおもむろに口を開く。
その内容は私が思ってもみなかったことだった。



「今後、私は日本で活動するつもりで帰国しました。」
「え・・・それでは」


「息子さんをアメリカで指導することはできないということです。
 ただ彼が渡米を望むのなら、それに相応しいコーチやスクールなど紹介することはできます。
 むこうは環境も整っていますし、強い選手も多い。
 必ずプラスになると思いますが・・・生半可な気持ちでは潰れてしまうだけです。
 彼が場所を選ばず私のコーチを希望しているのなら、渡米しなくてもいい。片山君、どうだろう?」



片山君は黙って、じっと考えている。
ご両親も戸惑いながら、彼の言葉を待っていた。


手塚君を頼っての渡米でないということは、多少なりとも不安だろう。
知った人も、頼る人もいない場所で、強い選手たちと共に過ごすプレッシャーの大きさを考えると迷って当然だ。



それでも、あの日の手塚君は単身で渡米していった。



暫く考えていた片山君が顔をあげ、チラッと私を見るから頷いてみせた。
片山君が私に夢を話してくれた時の瞳は、いつか見た手塚君の瞳と同じだったよ。


彼は安心したように少し微笑んでから手塚君に顔を向ける。
そして、ハッキリと言った。



「俺、アメリカに行きます。よろしくお願いします!」



手塚君の目が柔らかく緩むのを見た。
いつかの自分を重ねて、彼の行く先に希望を見たのかもしれない。


この数日の間に揃えてくれたのか、手塚君は留学に必要な書類やパンフレットを出してきて具体的に説明を始めた。
何事にも真面目で、最後まで責任を持とうとするところは変わっていない。


私は安堵しながら彼らの横顔を見つめていた。





「あとのことは向こうに残してきている者に手配させます。」



だいたいの説明が終わったところで、手塚君が書類をまとめながら言った。



「アメリカに、どなたかいらっしゃるんですか?」


「むこうで私の仕事を手伝ってくれている者です。彼女に手配を頼みましょう。
 来週には彼女も日本へ来る予定ですから、その時にまた連絡します。」


「分かりました。よろしくお願いします。」



手塚君とご両親の会話を聞いて、国際電話をした日のことを思い出す。


彼女とは、私が電話をした時に出た女性だろうか。
手塚君を追って日本へ来るぐらいだ。
やはり恋人なのだろう。



胸の奥に刺す痛みは無視をする。
今さら胸を痛める立場でもない私なのだから。



少し雑談をして、なごんだところで席を立つ。
緊張の解けた片山君のご両親は、やっと周囲に目を向ける余裕ができたのだろう。
外へ出ると綺麗に手入れされた庭に感嘆の声をあげた。


手塚君のお母様も見送りに顔を出し、口数の少ない手塚君に代わって片山君のご両親と話し始める。
途端にお役御免と黙り込んだ手塚君の横に立ち、話している皆の背中を見ながらお礼を言った。



「本当に色々とありがとう。」
「いや。」


「私の役目は終わったし、もう会うことはないかもしれないけど」




全てを言い終わる前に名前を呼ばれた。
視線をあげれば、手塚君が真剣な目で私を見ている。
その視線の強さにたじろぎ、続ける言葉を見失ってしまった。



「また・・・会えないか?」



どうしてと喉の奥で問うのに、声にならない。



「会いたいんだ。」



そんな切実な目をして
そんな声で


どうして、そんなことを私に言うのか。





私たちの前では賑やかな笑い声があがっていた。




















花信風4

2008/04/18




















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