片恋 3










には、お気に入りの本屋があった。
駅の通りから一本中に入った通りにある、小さな本屋。


ここの店主は、いつ行っても本を読んでいる。
雑誌やマンガなどのコーナーは申し訳ない程度しかなくて、殆どを小説が占めていた。
話題の本よりも、店主が気に入った本が平積みされていたり、
たまには持込らしい自費出版的な本も、店主の目に留まれば置かれる。


にとっては、もう楽しくてしょうがない本屋だった。


とても繁盛しているようには見えない店だから、まめに通うは目立っていたのだろう。
が本をレジに出すと、店主は一言、二言と声をかけてくれるようになった。


そのうち店を訪ねると、まず店主と話をして『新しく入ったお薦め本』の情報を聞くのが常になる。
次に顔を出せば、読んでみた本の感想をお互いが話す。


孫と祖父ほどの年齢差はあるが、気の合う本仲間のような間柄になっていった。





『お前さん、うちの本屋でアルバイトをする気はないかい?好きなだけ、本を読んでいいから』





そう聞かれた。返事など、聞かずとも分かっているだろう。
は二つ返事で、その日から本屋でのアルバイトを始めてしまった。


一月もすると、店主に一枚の紙を渡された。


『これにね、君がこの本を薦める理由を書いてごらん。
 きっと、買いに来たお客さんの参考になるから』 と。


自分の夢に通じる仕事を任されて、は嬉しかった。
だから、1冊の本をじっくり読み込んでは、心を込めて文字にした。


目立たない
だが、コツコツと取り組む姿勢は感嘆に値するものだった。


店主はの書く文章に目を細めながら、彼女を温かく見守っている。










その日は、夕方から激しい雨が降り出した。
朝の晴天が嘘のような天気。


テニス部の練習も早々に切り上げて、ミーティング後に解散した。


他のメンバー達が雨にもかかわらず、どこかへ寄ろうなどと相談している中、
手塚は荷物をまとめると部室を出た。


めったにない自由な時間。
久しぶりに本屋にでも行こう、と思っていた。


この前、祖父に教えられた本屋に興味をひかれていた手塚は、
教わった道を思い出しながら歩いていた。


祖父が言うには
『本好きの店主が、自分の気に入った本を売るためだけに開いとるような店』らしい。


お薦めの本には、それぞれ店側が書いた薦める理由が書いてある。
それがまた面白く、ついつい見入ってしまう。とも、言っていた。


雨にかすむ裏通りに、その本屋はあった。
目立つ看板もなく、思わず通り過ぎてしまうような本屋だった。


傘を閉じて傘立てに入れ、散った雨の雫を払った。
そして、ゆっくりと引き戸を開け、手塚は本屋に足を踏み入れた。





たまたまレジにいた
引き戸の音に顔をあげ、そのまま瞬きを忘れた。





手塚君!?





夢でも見ているだろうか・・・と、呆然としているの脇を通り過ぎ、
手塚は真っ直ぐ小説のコーナーに向かう。


まずは新刊や、店主が薦める本が平積みになっているコーナーで足を止めた。


手塚は、すぐにこの店が気に入った。
まずは静か。雨のせいもあるだろうが、客が少なくて静かだ。


入った途端に満ちている、新しい紙とインクの匂い。
ゆったりとした通路。
きっちりと並べられた本。


本好きの店主が本のために作った店なのが感じられて嬉しかった。


駅前の本屋では見かけなかったような名も知らぬ本も、一等地に平積みされていたりする。
そういった本には、必ず『お薦めの理由』がクリップで留められていた。


女性らしい柔らかな文字でつづられた手書きの文字。
それを目で追った手塚は、フッ・・・と口元をほころばせる。





なるほど。
確かに・・・読んでみたいと興味をひかれるな。





無名の作家だったが、手にとって数ページをざっと読む。
手塚は本を閉じると、片手にその本を持ったまま次のコーナーに足を運んだ。


そんな彼の様子を見つめていた
文庫本につけるカバー折りをしていた彼女だったが、ついつい手が止まってしまう。


自分の書いたお薦めの理由を彼が読んでいる時には、
試験結果を待つような気持ちでドキドキした。


そして、見ることが出来たのだ。
彼が、ほんの少し笑った横顔を。


それは、が初めて見た彼の笑顔だったかもしれない。
ドキドキは、さっきまでのドキドキと違うものになる。


手塚は、自分の書いた『お薦めの理由』を読んだうえで、その本を手にとってくれた。
それだけで、は天にも昇る気持ちだった。





彼は随分長い時間を店内で過ごした。
途中で店主が奥の自宅から出てきて、の隣に座って本を読み始める。


いつもと変わらぬ店。
なのに、の心の中は台風にも似た混乱が続いている。
気を紛らわせるために、黙々と手元の作業に集中するだった。





「これを・・・」





目の前に置かれたのは、最初に彼が選んだ本と文庫本の2冊だった。





「カバーは、いかがなさいますか?」





いつもと同じ問いかけなのに、声が小さくなってしまった。





「お願いします。」





彼の顔が見られない。
下を向いたままバーコードを読み取って計算を済ませると、震えそうになる手でカバーをかけていく。
緊張のせいか指が思うように動いてくれなくて、
なんだかもの凄く時間がかかっているような気がして耳が熱くなった。


やっとカバーをかけ終って、2冊を紙の袋に入れようとして手が止まった。
雨だから・・・本が濡れちゃう。


そう考えて、しゃがみこみビニールの袋を探した。





ちゃん、何を探してるんだい?」


「雨だから、ビニールの袋を探してるんですけど。ありましたっけ?」


「あーっと、どっかの出版社がくれた手提げがあった気がするぞ。」


「こっちかな。」





店主とアルバイトらしい女の子がゴソゴソと下にしゃがみこんで袋を探している様子を
手塚は苦笑しながら見ていた。





「あの・・・カバンに入れて帰りますから、なんでもいいですが。」


「あった!」


「ははは。良かった。とっとくもんだ。」





彼女は安堵の表情を浮かべると丁寧に本をビニールの袋に入れた。





「ありがとう」





手塚が思わず口にすると、彼女は一瞬瞳を大きくして、次には嬉しそうに微笑んだ。


本の代金を払うときも、は両手で手塚から代金を受け取った。
そして、お釣りを渡すときも片手を添えて丁寧に渡す。


それは誰にでもする仕草だったが、今日のは緊張していた。
手塚は、そんな彼女の丁寧な仕草に目をひかれる。



高校生?この店には、他に女性がいるのだろうか。
あの『お薦めの理由』を書いたのは、まさか・・・この子か?



そんなことを思いながら、店を出た。
外は、まだ激しい雨が降っていた。


それでも、気持ちは満足している。
帰ったら、すぐ本を開こう。


はやる気持ちで手塚は傘をさす。





彼が初めて、と出会った日だった。




















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