片恋 6
手塚は家に戻ると、学生服を脱ぐ時間も惜しんで、中学の卒業アルバムを引っ張り出した。
机の上に広げ、立ったままページを開いていく。
「あった・・・」
数ページをめくっただけで見つかった『』という名前。
呆れたことに、彼女は自分の隣のクラスにいたのだった。
おまけに、大石と同じクラスだ。
中学でも自分が部長、大石が副部長をしていたから、お互いの教室を行き来していた。
なのに、彼女の記憶がまったくない。
図書室で彼女に会った事。
それは手塚にとって、ここ最近にない驚きだった。
だが、それよりもっと衝撃だったのは、彼女が中等部からの同級生だったことだ。
色が白くて小さな彼女は、クラス写真の前列に座っていた。
個人写真も確認して。・・・確かに、彼女だ。
『目立たないから』と、小さく呟いた彼女の姿を思い出した。
中学の記憶に、全く彼女の存在がないということに僅かながらの罪悪感を感じた。
だが手塚にとっては、今・・・彼女に出会えたことのほうが重要だった。
普通なら学校で出会っていただろう彼女に、本屋で偶然出会ったのだ。
もしも顔を知っている生徒がアルバイトをしていたら、自分は居心地が悪くて・・・
あの本屋には通わなかっただろう。
何の先入観もなく彼女に出会い、彼女の人柄に興味を持った。
彼女も自分のことを知ったうえで、騒いだりせずに黙って客として接してくれた。
図書室で会ったとき、彼女が自分の素性を黙っていた事に、ほんの少し苛立った。
けれど、よく考えれば。
本を買いにきた客としての自分に、気をつかってくれたのかもしれない。
どこに行っても多くの人の目にさらされて、自分の名前を噂する声が聞こえてくる。
そんなものに今さら動揺もしないが、煩わしくない・・・といえば嘘になる。
ふと、彼女の顔が浮かんだ。
本の代金を受け取って『ありがとうございました』と微笑む、柔らかな瞳。
そう。彼女は柔らかい。
彼女の書く文字も、文章も、お釣りを渡す仕草も、笑顔も。
彼女が作り出す空気・・・すべてが柔らかい。
だから・・・惹かれるのだろうか?
突然、頭に浮かんだ言葉に。
カッ・・・と頬が熱くなった。
手塚は戸惑いながら、印刷されたの卒業写真をじっと見つめ続けた。
翌日の昼休み。
は図書室に向かっていた。
昨夜は、なかなか寝付けずに、朝も早くから目が覚めてしまった。
本当に手塚君はいるんだろうか。
あの約束は、夢だったんじゃないだろうか。
そんなことまで思ってしまう。
廊下を曲がって、図書室のドアが見えてくると、自分でもハッキリ自覚できるほど胸がドキドキした。
地に足が着いてないような感覚に戸惑いながら、ひとつ深呼吸して図書室のドアを開ける。
入って正面のテーブル。
手塚はの姿を認めると、軽く左手を上げた。
こっちだ・・・と、隣の席を指す。
手塚君が、いてくれた!
それだけで、の胸はいっぱいだ。
なのに彼は『よかった、きてくれて。』と、ホッとしたように呟くから。
は、もう頭がくらくらしてしまった。
ぎこちなく彼の隣に座ろうとしたけれど、椅子にも、すんなりと座れずに焦る。
ガタガタと音がして、赤くなりながら腰をおろした。
「これ、この前・・・買った本だが。なかなか面白かった。最後まで、謎解きが分からなかった。」
手塚は気にも留めてないふうで、見慣れた店のカバーがかけられた本を開いた。
「あ・・・うん。面白かったよね。この人の書く話、いつも最後まで読まないと分からないの。」
「そうなのか?俺は、初めて読んだ作家だったから。」
「まだ若くて・・・人気のある作家じゃないの。でもね、これの2つ前に出てる本も面白いの。
もう、一気に読んじゃわないと気がすまないぐらい。」
「題名は?」
ぎこちなく始まった会話。
他の人に迷惑にならないよう、囁くように交わす会話。
は、耳元に囁かれる手塚の声に胸が震えてしかたない。
手塚は驚いていた。
彼女の知識の深さや考え方に感心する。
何を問いかけても、ひかえめにだが、きちんとした答えが返ってくる。
手塚が話題にしたいと思っても、誰も相手にならなかった会話が彼女となら弾む。
ひとつふたつと重ねていった話題。
ふたりは、予鈴がなるまで時間も忘れて話しこんでいた。
「あっという間だったな。」
「ほんと・・・」
「じゃあ、明日。」
手塚が『明日』という言葉を出すと、彼女は一瞬・・・泣きそうな笑顔を浮かべた。
自分のようなツマラナイ人間では、もう誘われないかも・・・と考えていた。
夢中で話していたが不安だった。
予鈴の音がシンデレラの12時の鐘にも聞こえて、魔法が解けてしまいそうで切なかった。
でも、手塚が『明日』と言ってくれたことで、
また彼との時間が持てると思うと嬉しくて、つい涙ぐんでしまいそうになった。
「?」
「明日・・・本を持ってくるね。」
「ああ。楽しみにしてる。俺も・・・が喜びそうな本を探してこよう。」
「・・・うん、ありがとう。」
色白の頬をピンクに染めたが、嬉しそうに笑った。
手塚は、そんなを見て、桜の花びらを思い出していた。
そして・・・綺麗だと思った。
夢見心地で、ぼんやりと教室に戻ってきた。
まわらない頭で、授業の教科書やノートを出しながらも想うのは彼のこと。
『・・・すごいな。そういう解釈もあるのかと、新鮮だ。』
『そっ・・・そんなことっ。手塚君のほうが、すごいよ?
私こそ、そういう意味だったのかって。手塚君の感想を聞いて思ったんだから。』
『いや、そんなことはない。お前のほうが・・・』
『手塚君の方が・・・』
お互いの言葉が重なって顔を見合わせた。
なんとなく可笑しくなって、がクスクス笑って。
つられて手塚も笑った。
彼が笑う。
笑った顔など、学校では見たことがなかった。
そんな彼が、自分の前で笑っていた。
彼の眼差し、声、笑顔。
本のページをめくる、節ばった長い指。
全部が、の心を捉えて離さない。
窓から爽やかな晩秋の風が入ってきた。
外は光りに溢れている。
恋をすれば世界が輝く。
何かの本に書いてあった。今なら分かる。
私の目に映る世界のすべてが輝いて見える。
は頬杖をつきながら、教師が教壇に立つまで窓の外を見ていた。
輝く世界の中心にいる、手塚のことを想いながら。
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