あなたの声が聴きたい 4
笑顔の不二君が私の顔を見て、一瞬だけ瞳を大きくした。
けれど直ぐに柔らかな笑みに戻り、私が試聴しているCDを手に取った。
「これ、どうだった?」
訊かれて、俯き加減でヘッドフォンを外すと不二君に差し出す。
ありがとうと受け取った不二君はCDを眺めながら試聴を始めた。
私が涙ぐんでいるのに気付かなかったフリをしてくれるらしい。
今のイッパイイッパイの私には不二君の気遣いが有り難かった。
「ウン、いいね。さんはピアノ好きなの?」
「ずっと・・・習ってたから。」
「へぇ、そうなんだ。じゃあ上手なんだろうね。」
「私のは趣味みたいなものなの・・・」
「趣味がピアノなんて素敵だよ。」
ヘッドフォンの片側を軽くあげて不二君が話しかけてくる。
その場から逃げたい私を引き止めるように彼は会話を続けた。
「あ、この曲なんだろう。先週見た映画の中で流れてた気がする。」
「何番目?」
「3番目かな。」
「えっと・・・」
不二君と一緒にCDの曲目を覗き込めば、手塚君とは違う肩の高さに気がついた。
私と並んでも無理のない高さ。
ああ、そうだった。
背の高い手塚君は私の手元を覗き込む時、いつも体を軽く傾けて視線を合わせてくれていた。
思わず不二君の横顔に手塚君を重ねて見つめてしまったら、私の視線に気づいた不二君が困ったように微笑んだ。
「なに?」
「あ、な・・なんでもないの。ゴメンナサイ。」
顔が赤くなるのを感じて慌ててCDに視線を落とす。
僕じゃなかったら勘違いしちゃうよと、不二君は可笑しそうに肩をすくめた。
「一緒に途中まで帰ろうか?」
「い、いいです。」
「けどさ、この時間じゃ帰ってるうちに暗くなっちゃうよ。」
「でも・・・」
「それとも、僕なんかと帰ったら手塚に叱られちゃうかな?」
「そんなこと・・・ない。手塚君は怒ったりしないもの。」
手塚君が私にヤキモチなんて焼くはずがない。
それほど私が手塚君にとって大事なポジションにあるとは思えないもの。
落ち込みながら頭を横に振れば、不二君が小さく溜息をつくのが聞こえた。
「さん、ちっとも分かってないんだね」と。
不二君が予約していたCDを買うのを待って、一緒に店を出た。
遠く西の空、ビルの間に夕陽が沈んでいく。
頭の上の空は紫かがった藍色で、一つだけ白く輝く星が瞬いていた。
「日が短くなってきたね。」
「そうだね。」
「向こう側に渡ろうか?あっちの方が人が少ないから歩きやすいよ。」
手塚君以外の男の人と初めて並んで歩いた。
サラリーマンや学生が帰宅を急ぐ歩道で、さりげなく私を庇って歩く不二君に気付く。
優しい人なんだ。
彼がテニス部の王子様って呼ばれてるのも分かる気がする。
私たちは横断歩道を渡り、駅から出てくる人がいない反対側の歩道を歩いた。
「手塚・・・やっぱり引き止められちゃったんだ。
責任感が強いからね。自分の事を優先できないんだ。」
分かってる。
私はコクリと頷き、ローファーの爪先ばかりを見つめて歩く。
「さんがお願いすれば、少々の事は何とかするとは思うけどね。
打ち合わせなんか明日に延ばしたって大丈夫だって、手塚も分かってるだろうに。」
「そんな・・いいの。手塚君に迷惑かけたくないし。」
迷惑?そう言って、不二君が足を止めた。
顔をあげれば、不二君が笑顔を消して私を見ている。
「迷惑とは違うよ、さん。なんでそんなに遠慮してるのかな?
だから手塚が迷うんだ。そして僕がとばっちりを受ける。」
「手塚君が・・迷う?」
言葉が胸に突き刺さったようだった。
それは私とのことを迷うってこと?
付き合わなければ良かったと・・・、この関係を解消したいと迷ってる?
途端にどうしようもなく胸が痛くて苦しくなる。
鼻の奥がツンとしたところで、不二君が慌てたように私の顔を覗き込んだ。
「ちょっと待って!さん、なんか違う方向に考えてない?
なんかもう・・・君達って似たもの同士っていうか、
なんでそうお互いが気持ちをさらさずに後ろ向きで考えるのかな。
あのね、よく聞いて?手塚はね、」
不二君が私の肩に両手を置いて、言い聞かせるように話し始める。
その時不二君の肩越しに、通りの向こうを歩く手塚君の姿を見た。
違う方向を見て言葉をなくす私の視線に不二君が振り返る。
「手塚?あ・・・なんて間の悪い。」
不二君の呟きを最後まで聞かず、私は彼から逃れて走り出していた。
待ってと不二君の声がして、後ろから腕を掴まれる。
「なんで逃げるの?僕達も向こうに行こう。」
「い、いいの。このまま帰ります。」
「なんで?手塚が一人じゃないから?」
そう。手塚君は一人じゃなかった。
女テニの部長さんと並んで歩いているんだもの。
「も・・いいの。」
「よくないよ。行こう、手塚のとこ。僕も一緒に行くから!」
「イヤなの、こんな顔・・・手塚君に見せられない。」
「さん!」
不二君が力を込めて私の肘を引く。
勝手に涙が溢れてきて、不二君の白いワイシャツが滲んで見えた。
「!不二!」
車の通り過ぎる音と一緒になって呼ばれた名前。
通りの向こう、女テニの部長さんと並ぶ手塚君の声だった。
隣の部長さんに何事か告げると、手塚君はガードレールを跨いで車道へ出る。
横断歩道もない通りを車を避けながら走って渡ってくる手塚君。
不二君は私の腕をしっかりと掴んだまま大きく溜息をついた。
「不二!どういうことだ?」
再びガードレールを跨いだ手塚君が厳しい口調で私たちの前に立った。
通りの向こうでは女テニの部長さんが心配そうに私たちを見ている。
「どうもないよ。君達を見かけたから、あっちに渡ろうって説得していたところ。」
「を放せ。」
言うなり手塚君は不二君の腕を掴んで私から引き離すと、体を割り込ませるようにして私の前に立った。
「手塚、君らしくないよ。冷静に話を聞いて。」
「俺は冷静だ。」
「僕には、そう見えないよ。」
手塚君と不二君が睨みあうような雰囲気に私は声も出ない。
震えるようにして立ち竦んでいたら、手塚君越しに私を見た不二君が微笑みを浮かべた。
「さん、君は誤解しているよ。
君の気持ち、ちゃんと手塚に伝えてあげて。
手塚も。彼女の話をきちんと聞いてあげなよ。
あっちは僕が送って帰るから、じゃあね。」
不二君は親指で手塚君が残してきた女テニの部長さんを指すと、
私たちの返事も待たずに身を翻してカードレールを越えた。
「不二!ちゃんと横断歩道を使うんだ。」
「今の手塚に言われたくないな。」
不二君は肩越しに笑って、ひらひらっと手を振ると通りを軽やかに走っていった。
通りを渡りきる不二君を見ている手塚君の背中。
とても大きく見えて怖い。
それほどに、私が知っている手塚君とは違う手塚君が私の前にいる。
不二君と部長さんが歩き出し、手塚君がゆっくりと私を振り返った。
暗くなった歩道に街灯がともり、明りが手塚君のメガネに反射している。
「手塚君・・・」
「何故、不二と居たんだ?
先に帰ったのは、不二との用事だったのか?」
手塚君は憤ったような目をして私を見ていた。
あなたの声が聴きたい 4
2007.07.14
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