恋の花咲くこともある 4
学園祭本番も迫ってくると、
あちらこちらでの名を呼ぶ声がするようになった。
今まで目立たず存在感の薄いだったが、学園祭を目前にした今はなくてはならない存在になっている。
共に働く跡部たちクラス委員も、頼りになる実行委員を立てた今回は仕事がはかどり助かっていた。
「さすが跡部だな。
どうしてを推薦したのかと始めは不思議だったけど、今は納得だよ。それもお得意のインサイトか?」
クラスメイトに訊かれるたび、跡部は目を眇めて笑うしかない。
面白がって表舞台に引っ張り出してみただけだったのだが、思いのほか使える女だったということだ。
自分に近づきたいがためだけにクラス委員や生徒会に出てくる女子たちより、よほど役に立つ。
おまけに鬱陶しく媚びてきたり、誘ってこないぶん気が楽だ。
ここ最近などはあまりに素っ気ない態度が面白くて、反対に跡部からちょっかいを出している。
それにも本気で嫌そうな顔を見せるは、からかい甲斐があった。
他のクラスを偵察に来ていたジローと廊下で話していた跡部は、段ボールを抱えたの姿に気付く。
小柄な体は段ボールに隠れて、相変わらずの短い三つ編みと小さな肩が見えているだけだ。
近づいて行って、ひょいと段ボールを取り上げた跡部にが瞳を大きくした。
「段ボールが歩いてきたみたいだったぜ?」
「そう思うんなら力仕事は跡部がしてよ」
「頼まれれば手伝わないこともなかったが、お前が頼まないからだろ?」
跡部に頼むと微妙に負けたような気持ちになるので、出来るだけ避けているという事は流石に言えないだ。
しかし表情に出ていたらしい。
の顔をジッと見ていた跡部は、そんなに嫌そうな顔しなくてもいいだろうと笑った。
「おら、ジロー。これを教室に運んでおけ」
「え?なんで、俺?俺は跡部のクラスじゃないもん」
「偵察にきたんだろ?見せてやるって言ってるんだから、ついでに働いていけ」
から取り上げた段ボールをそのままジローに持たせた。
すると跡部に呆れたがジローに「いいよ、私が」と言い始める。
跡部はそれを止めるようにして、の肘を引いた。
「お前、ここ最近ずっと遅いだろ?今日は人手もあるし帰れよ」
「でも・・・」
「お前の親から苦情が来ても困るしな」
どの行事でもそうだが、あまりに子供たちが熱中して取り組んでいると心配した親が学園に苦情を言ってくることがある。
過保護な親が多い私立だからこそなのだが、そこらへんは面倒だ。
子供が夜のバイトをしていても平気なの親なら大丈夫だとは思う。
跡部としては働きづめの実行委員を休ませてやろうという気持ちが少なからずあるのだが、そんなことは素直に言ってやらない。
親からの苦情という言葉にが動きを止めた。
それは一瞬で違和感を感じるほどではなかったから、跡部は気にもしない。
「分かった。じゃあ後は、全て跡部に任せる」
「全て」という言葉に殊更力を込めたは、さっさと帰り支度をして教室を出ていった。
の姿が見えなくなってから、段ボールを片づけたジローが跡部の袖を後ろから引っ張った。
手伝いをした見返りを求めるつもりかと振り向けば、めずらしく言い淀むジローの表情が変だ。
「どうした?」
「あのさぁ。跡部・・・知らないみたいだったから」
「なんのことだ?」
ハッキリしない彼を急かせば、少し声のトーンを落としたジローが教えてくれた。
「ちゃんさ、親・・・いないんだよ?」
車の後部座席で揺れながら、ジローに聞かされた話を跡部は思い出していた。
『高等部に進学する直前の春休みにさ、事故で両親が亡くなったんだよ
春休みだったし、卒業後じゃん?
だからあんまり広まらなかったのかもしれないけど、俺は同じクラスだったからさ
今?多分お祖母ちゃんと暮らしているんだと思うよ。誰かがそんなこと言ってたから
ここって金かかるしさ、退学しちゃうんじゃないかって噂もあったけどね』
確かに事故で両親を亡くした生徒がいるという話を聞いた記憶があった。
だが名前も顔も知らない生徒の親がどうなったからといって、気にも留めていなかったのが事実だ。
信号で車が停まると、窓の外に見えるコンビニの明かりがやけに眩しかった。
その明かりを見つめていた跡部は、不意に行き先の変更を運転手に告げた。
今日はシフトに遅れることなくバイトにくることができたは機嫌が良かった。
学園祭の実行委員に推薦されてしまったばかりに、ここ最近のは店長に頭を下げまくっている。
同じバイトの大学生にもお願いして、何度も時間を融通してもらっての綱渡りだ。
それもこれも、あの我儘な金持ちボンボンのせいだと思うと腹が立つ。
今日は早く帰してくれたから少しはイイ奴だと思ったが、苦労の原因が跡部なのは揺るがない。
やっぱり跡部は恨めしいが・・・実行委員の仕事自体は嫌いでなかった。
バイトもあって面倒なことを極力避けてきた分、クラスでのの存在は薄かった。
だけど学園祭に関わることでクラスメイト達とも仲良くなれたし、ひとつのことを協力して作り上げる楽しみを味わえている。
本番がとても楽しみだし、跡部じゃないけど売り上げ、客の入り共にトップを狙いたいと本気で思っている。
跡部本人は気に食わないが、彼がいなければこんな楽しみは知らなかったとも思うのだ。
両親を亡くしてから、ずっと『楽しむ』という感情から遠ざかっていた。
それを思い出せたことが今は嬉しい。
「ちゃん、表のゴミを集めておいてくれる?」
「わかりました」
肩までの髪を揺らして表に出たは黙々とゴミを集めていた。
その後ろに人の気配がしたと思った瞬間、冷たいペットボトルが頬に押し付けられる。
小さな悲鳴と共に振り返れば、意地悪そうな笑みを浮かべた跡部が立っていた。
彼は制服のままで手にはペットボトルしか持っていない。
「まさか制服でお酒を買いにきたの?」
「俺はそれほど馬鹿じゃない」
「なら何をしに・・」
「陣中見舞いだ」
なんだ、それ。
怪訝な顔で首を傾ければ、お前は表情に出すぎだと笑われた。
よく分からないが用がないのなら話しかけてくれるなとゴミ集めを再開する。
黙々と働く小さな背中を見つめた跡部は、自分が何をしたくて此処にきたのか考えていた。
「お前、なんでバイトしてるんだ?」
「そりゃバイト代を稼ぐためよ」
「下手したら退学になるかもしれないリスクを冒してまで、
バイト代を稼がなきゃならない理由を訊いてるんだよ」
は答えない。
分別されていないゴミを見つけては、右へ左へと手早く分けていく。
「自分で稼がないと学園にいられないほど経済的に苦しいのか?なら・・・」
学園の奨学金制度だってあると続けようとした跡部の言葉を、振り返ったが止めた。
「芥川クンに聞いたのね。でもね、大丈夫よ。これは私の心配性な性格からしてることだから」
「どういうことだ?」
「保険金だってあるし、お祖母ちゃんも年金で十分に暮らしていけてるし生活に困ってるわけじゃない
家庭的には奨学金の対象になる経済状態じゃないの」
「ならなんでバイトなんかしてるんだ?」
は溜息をついた。
お節介な男だ。こんな奴に教えてやる義理はないと思う。
だが整った顔の眉を寄せ、遊び半分ではなく尋ねている跡部を無視することはできなかった。
「うちの父は開業医でね、祖父母が歳を取ってから生まれた一人っ子だったの
同じ医者だったお祖父ちゃんは既に亡くなってるし、いま一緒に住んでいるお祖母ちゃんも高齢よ
息子夫婦を亡くしたのは相当のショックだったと思う。ずっと体調が思わしくない
いつかはお祖母ちゃんの介護とか必要になるかもしれないじゃない?
介護って思うより、ずっとお金がかかるんだって
おまけに弟がね、父のあとを継いで医者になりたいという夢を持っている
病院は閉じてしまったけど看板は残ってるしね、医大には行かせてあげたいと思う
医大ってお金がかかるでしょう?そんなこともあって、減っていくだけの保険金じゃ不安なの」
跡部は茫然としての話を聞いている。
十代の高校生が背負うには、あまりに重い現実だ。
誰にも話していない自分の不安。
本当は誰かに聞いてほしかったのかもしれないとは思った。
「氷帝みたいにお金のかかる高校はやめておけば良かったのよ
だけど事故が起こったのは入学式の直前で、直ぐに公立高校へ転入するような余裕も時間もなかった
今からでも転校すればいいんだけど・・・」
「氷帝が・・・好きか?」
口を挟んだ跡部に、は僅かに瞳を伏せて微笑んだ。
「跡部は知ってる?高等部の中庭に大きな桜の木があるでしょ、あれの伝説」
「ああ?あの永遠の愛がどうのこうのっていう、あれか?」
中庭にある大きな桜の木は学園ができる以前からあった老木だった。
あの木の下で恋人同士が初めてのキスをすれば、二人は永遠に結ばれるという
お伽噺のような伝説が生徒たち間で広まっている。
跡部は馬鹿馬鹿しいと相手にもしない話だったが、女子たちの間では憧れの伝説らしかった。
「うちの両親ね、二人とも氷帝の出身なの」
「まさかと思うが」
「そのまさかよ。二人は伝説の証明者
小さな頃から何度も二人の馴れ初め話を聞かされてね
お母さんは私が高等部に上がるのを自分のことのように喜んでた
私にもきっと運命の人との出会いがある。そして永遠に結ばれるのよって
確かに両親は永遠に結ばれてた。死ぬときまで一緒だったもの
だからかなぁ、なんとなく学園を辞めづらくて」
息を吐き、は大きなゴミ袋の口をしばった。
コンビニの制服を着て髪をおろし、メガネもしていないはとても大人びて見える。
跡部は聞かされたの事情にうまい言葉も出せなかった。
黙り込んだ跡部に視線を向け、は困ったように眉を下げる。
「なんか同情とかされても迷惑なんだけど」
「べつに安い同情をする気はねぇ。ただ・・・」
「ただ、なによ」
「稼ぎの邪魔になるような仕事を押しつけて悪かったな」
大真面目で謝ったらしい跡部に、は目を丸くした後にふきだした。
はお腹を抱えて笑いまくった後に眼尻に浮かぶ涙まで拭って、跡部に手を振る。
謝ってやったのに大笑いされた跡部は正直言って不愉快だと顔に書いてあった。
「ゴメン。稼ぎの邪魔・・・っていうのがツボに入っちゃって
でも、ホントいいの。忙しくなっちゃったけど、学園祭の準備はすごく楽しいから
本気でナンバーワンを狙っちゃってるから、私」
その言葉を聞いて、跡部もフッと表情を緩めた。
「俺は最初から狙ってるぜ?」
「そうね。ガンバリましょ」
「ああ」
話しておいてなんだが、下手に同情されたりしたら居た堪れなかった。
だが跡部は仕事を押し付けたことを謝ってくれただけで、は気持ちが楽になる。
「仕事の邪魔をした詫びだ。これ、飲めよ」
そう言って差し出されたのは、跡部がずっと手にしていたペットボトル。
断っても良かったのだが、は自然と手を出していた。
まだ冷たいペットボトルは跡部が飲むには不自然な可愛いリンゴちゃんの絵が描いた甘いジュースだ。
マジマジとボトルを見つめるに、跡部は不機嫌な顔を見せると「じゃあな」と背を向けた。
「あ・・、ウン。気をつけてね」
つい弟にかける言葉を習慣で言ってしまうと、去っていく跡部が軽く片手を上げた。
闇に遠ざかる氷帝の制服を見送ったは笑顔を浮かべると
三つのゴミ袋とペットボトルのジュースを手にコンビニの眩しい明かりの中へと戻っていった。
恋の花咲くこともある4
2008/07/07
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