恋の花咲くこともある 6












喉が渇いたと自販機の前に立った跡部はコインを弄びながら、目の前にはいない人間の顔を思い浮かべていた。



餌付けされてる気分だと言った彼女は、からかうと真っ赤になって逃げてしまった。
あんなにも初心な態度を見せられるとは思っていなかったから驚いたが、どこかで喜んでいる自分がいる。
跡部という男を意識する素振りのなかった彼女が見せた慌てぶり。
それをおかしくも可愛いと思ってしまった。



        『わりとお前のことは気に入ってるからな』



あの言葉は嘘ではなかった。



跡部の長い指がお茶を選んでボタンを押す。
ガタンと音を立てて落ちてきた紙パックを取り出し、跡部は再びコインを取り出す。



「何が好きなのか聞いときゃ良かったな」



とりあえずとオレンジジュースが無難かとボタンを押した跡部だった。










学園祭まで残り一日。
クラスの団結もこれまでになく強くなり、それぞれが楽しみながら準備に熱中している。
追い込みには入っているが、皆がよく動いてくれるので随分と楽だ。


は生ぬるいオレンジジュースを口にしながらホッと息をついた。


さっき頭の上から滑り落ちてきたオレンジジュースは跡部からの貰い物だ。
あれからも何度か食べ物を差し出されたのだが、その度に断っていたら今日は頭の上に乗せられた。
身長の低いの頭の上は跡部にとっては物置なのかもしれないが、
突然に頭上から滑り落ちてくる紙パックのジュースは心臓に悪いったらない。
うまいタイミングで床に落とすことなく受けただったが、抗議をしようにも跡部は既に背を向けて他の男子と話している。
そこへ割って入ってジュースを返すのも極まりが悪くて諦めた。


なにかにつけて構ってくる跡部の真意が分からない。
多分にからかわれているのだろうとは思っても、意識してしまう自分がいて戸惑ってしまう。
彼が近付いてくる度に胸が騒いでしまうのが自分でも理解できない。


溜息と共に飲み込んだオレンジジュースは僅かに苦みがあって、は顔をしかめた。










気付いた時には、窓の外は真っ暗になっていた。


今日だけは遅くまで生徒の居残りが許可されているので、どのクラスからも明かりがもれて活気がある。
準備の遅れていたクラスでは必死の作業が繰り広げられていたが、
幸いのクラスは皆の協力が得られて準備も早かった。
あとは当日の朝に食品などを運び込めば全ての準備が整うようになっている。


教室に残ったのは役割をふられたリーダーと跡部たちクラス委員の二人、そして実行委員のだ。
最終的な打ち合わせとして、人や物の動きなどを確認しあう。


室内は凝った装飾のおかげで見違えるようだ。
洒落たカフェ風に仕立てられた教室は、きっとお客さんにも気に入ってもらえるだろう。
最後はバイトも休んで学園祭準備を乗り切ったは満足していた。



「ヨシ、これでいいだろう。明日は宜しく頼む」



跡部の声に皆が頷き、前日準備が終わった。
まだ物足りないと話し合う接客係りのリーダーたちを横目に、はカバンの中に仕舞ってあった携帯を確認した。
そこで着信のランプが光っているのに気付く。
自宅からの着信なのに嫌な予感がして、教室内だったが携帯を耳にあてた。


吹き込まれた留守電をが確認するのと教室に担任の先生が駆け込んできたのは同時だった。



さん、すぐ帰って!お家から電話があって」



切迫した担任の声に振り返った跡部は、携帯を手に立ち尽くすの姿を見た。










校門の前に車のヘッドライトが見える。



「あ、跡部!いいから」
「うるさい、ごちゃごちゃ言わずに早く来いっ」



跡部は自分の指が軽くまわってしまう手首を掴み、引きずるようにして車を目指していた。
遠慮なのか、本気で嫌がっているのかは知らないが、自分の申し出を拒否するに苛立つ。


だが跡部の掴んだの手は震えていた。
それに気がついたからこそ、跡部はの手を放さなかった。



「学園の近くでタクシーが拾えると思ってんのか?
 バスなんぞ待ってたら何時間後に病院へ着くか分からないぞ?」


「でも、跡部に迷惑かけるし」



跡部は手を掴んだままで足を止め、強くを見据えた。



「迷惑なんてのは相手が迷惑だと思ってる時に成立するんだよ
 俺がいいって言ってるんだから、つまんねぇ遠慮なんかするなっ
 大事な家族なんだろう?一刻も早く病院に行きたいんじゃねぇのか!?」



胸の奥から湧いてくる腹立たしさに跡部の語気が荒くなった。
こんなにも震えているのが伝わってくるのに、なぜ俺に頼ってこないんだと怒りが込み上げる。
は瞳を見開き、外灯に照らされる怒った跡部の顔を茫然と見つめていた。



「行くぞ」



再び引っぱった手。
今度は手首ではなく、震える手を掴み直した。
跡部は掴んだ手が振り払われなかったことに内心で息を吐き、待たせている車に急いだ。





突然の電話が大切な人を奪っていった。


両親が事故を起こした夜と同じ
怖くて、怖くて堪らない。
さっきから膝に力が入らなくて、歩き方を忘れてしまったようだ。


頭の中では、途中で切れてしまった弟の声が何度もリピートされる。



『お姉ちゃん、おばあちゃんが倒れて・・・それで救急車が・・えっと』
『出ない?なら学校の方へ電話してみよう』



慌てた弟の声に重なって、世話になっている隣のおばさんの声が重なる。


弟が隣の家に駆け込んだのだろう。
いつも親切にしてくれるおばさんが救急車を呼び、学園にまで連絡してくれた。



初めて乗るベンツの後部座席に押し込められて、扉が閉められる。
車が走り出した時、跡部が一言だけ囁いた。



「大丈夫だ」



その声に泣きたくなる。



「ウン。ありがと」



絞り出したようなの声に応えて、跡部が掴んだ手に力を込めた。



病院に着くまで、
跡部はずっと震える小さな手を包んでいた。




















恋の花咲くこともある 6 

2008/07/13




















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