恋の花咲くこともある 7












病院につき、と共に車を降りようとした跡部だった。
だけれど彼女は瞳に力をいれて首を横に振る。



「隣のおばさんが来てくれてるから大丈夫」



見極めるような目で自分を見上げてくる跡部に、は薄く笑った。



「本当に大丈夫。ただ、もし明日休むことになったら」
「俺に電話してこい。それによって考える」



明日の本番に実行委員の自分が欠席するとなるとクラス委員の跡部に頼るしかない。
は頷いて携帯を出した。


個人情報に厳しい氷帝はクラスの連絡網さえなく、個人的に交換しない限りは電話番号も分からない。
面倒を嫌う跡部が本当に親しい人間にしか教えない番号を口にする。


その番号を打ち込もうとするのに上手くボタンが押せない。
指が言うことをきかないことに焦るの姿を見つめていた跡部は、黙って彼女から携帯を取り上げた。



「これでいい。何があっても、絶対に電話してこいよ」



自分の番号を登録すると念押しして携帯を返す。
は返された携帯を強く握りしめると僅かに頷いた。


そして跡部と運転手に礼を言うと、身をひるがえして病院のドアへと消えていく。
走り去る後姿をじっと見送っていた跡部は小さく息を吐いた。


携帯も操作できないほど震えているくせに一人で行こうとする。
ずっと今にも泣き出しそうな顔をしているのに弱音を吐かない。


怖けりゃ一緒にいてくれと望めばいい。
泣きたきゃ涙を流せばいい。
不安なら不安なんだと口にすればいい。


どこまで強くあろうとするのか。



「景吾様、次はご自宅で宜しいですか?」



運転手の問いかけに、跡部は暫し考えた後で口を開いた。










非常灯のともる暗い待合室を抜けていく。


両親が病院に搬送された夜も、は祖母や弟と共に暗い廊下に立っていた。
外は酷い雨で、どこからか響いてくる鈍い雨音と救急車の赤いランプが音もなく回っていたのが脳裏に焼き付いている。


心臓が喉の奥で冷たく拍動していた。


もしも祖母に何かあった時、自分はどうしたらいいのだろう。
あの時は小さな体の祖母が自分と弟を抱きしめてくれた。
今度はもう誰も抱きしめてくれる人はいない。


跡部の顔が浮かんだ。
ずっと握ってくれていた彼の手の温もりに縋ってしまいたかった。
でも、それは駄目だ。


自分と同じ高校生の跡部に縋るには、あまりに重い。


いつかは来ることだと覚悟をしていたはずだ。
その日がきた時はひとりで弟を守っていくと決めたのだから、誰かを頼ろうなんて甘い考えでは生きられない。


入り乱れる感情を押し込めて、は救急室へと向かった。





当直の事務員が教えてくれた通りに歩けば、突然に煌々とした明かりが目に飛び込んでくる。
そこには救急室という案内の前で不安げに座っている弟の姿があった。



「お姉ちゃん!」



声をかけるより先に気付いた弟が駆け寄ってくるのを抱きとめた。
せめて弟は自分が抱きしめてやらなければと思う。
ギュッと抱きしめてから少し体を離し、半べその顔を覗き込む。



「隣のおばちゃんは?」
「慌てて何も残さず出てきたからって、家に電話をしにいった」


「お祖母ちゃんは、まだ中なの?」
「うん。でも、意識はあるから大丈夫だって、おばちゃんが」


「そっか。なら大丈夫だ。よかった」



大丈夫と言葉を反復すれば、瞳に怯えの色を浮かべた弟がぎこちなく笑った。
自分の姿を見て安心したのだろうと思うと不憫になる。
は跡部がしてくれたように弟の手をしっかり握ると救急室前のソファーに腰をおろした。



その後すぐに医師に呼ばれたは祖母の病状説明を一人で聞いた。
軽い狭心症の発作だったようで、既に胸痛のおさまった祖母は自分の体よりも孫たちの心配をしている。
命に関わる状況ではないことが分かって、は膝が抜けそうなほど安心した。
とにかく入院して様子をみると共に検査が必要だと説明され、は救急室を出た。



「ウチのお父さんを呼んだから、車がきたら入院に必要なものをとってくるわね」
「ありがとう、おばさん。本当に助かります。お願いばかりで申し訳ないんですけど、弟を」


「分かってるって。一緒に連れて帰って、うちで夕飯を食べさせとくから」
「なにからなにまで、すみません」



何度も頭を下げるの背中を軽く撫でて、隣のおばさんが微笑んでくれた。



「えらいねぇ、ちゃん」と。



亡くなった母親と変わらない年のおばさんに優しくされて、は困ったように微笑むしかなかった。





仕事先から駆け付けてくれた隣のおじさんの車で弟とおばさんには帰ってもらった。
は祖母と共に内科病棟へ移動する。


落ち着いたら入院手続きをしてくるようにと促され、は再び暗い中を歩いて一階の事務へと来ていた。
明かりの落ちた広い待合室には事務当直の明かりだけが漏れて、床に長い影を作っている。
簡単に書類の説明をされ、薄暗いテーブルで備え付けのボールペンを手にとった。
空欄を埋めようとして、文字を書く自分の手の感覚がおかしいことに気付く。


また・・・手が震えていた。


急に眼の奥が熱くなった。
書きかけの文字が見る間に滲んでいく。
止めたいのに止められなくて、こぼれた雫が入院手続きの用紙に丸いシミを作った時、
その隣に大きなリンゴの絵が描かれた紙パックのジュースが置かれた。


が顔をあげるより早く、紙パックを掴んでいた大きな手が、そのまま迷うことなくの頭を包みこむように抱きしめる。
引き寄せられた頭は見慣れた制服の肩に押し付けられた。



「なんで・・」



やっと出た言葉に、抱きしめてくれる人が笑った。



「いいから、泣いてろよ」



乱暴な物言いなのに、とても優しい声色だ。
もう我慢できなくて胸に縋れば、あたたかな手は慰めるように何度も髪を撫でた。



言葉はない。も泣くしかできない。
跡部は泣きじゃくるを胸に抱いて暗い天井を見上げる。



ここに残った自分は間違いではなかったと、小さな体を抱きしめる腕に力を込めた。




















恋の花咲くこともある 7  

2008/07/14




















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