恋の花咲くこともある 8












学園祭当日。
集合時間前に教室へ入った跡部は、もう見慣れてしまった背中を見つけて口元を緩めた。



「病院の方は大丈夫なのか?」



作業に集中していたらしいが大げさに体を竦ませて振り返る。
そして跡部の顔を見た途端、慌てて視線を逸らした。



「お、おはよう。その・・・昨夜はありがとう。だ、大丈夫だから」



いつもよりずっと歯切れの悪い話し方と爪先にばかり視線を落としているの様子に、跡部は首をかしげる。
訳を知りたくて足を踏みだせば、それに気づいたが一歩下がった。
なんだと更に近づけば、彼女が顔色を変えて逃げ出してしまう。


教室の隅まで逃げたは積まれた段ボールをバタバタと開き、昨日のうちに確認が済んでいるはずの物品を数え始めた。
なんとも不自然な行動をする後姿を唖然と見ていた跡部はクッと笑いをもらす。



そういうことか。



可愛らしく見えなくもない三つ編みから覗く耳たぶが赤くなっている。
正面から見たなら、きっと頬も赤いのだろう。だから顔が上げられない、目が合わせられない。
分かってしまえば可笑しくて、跡部は後ろからに近づくと遠慮なく三つ編みを引っ張った。



「痛っ、な、なに!?」



思わず振りむくが解けた髪を押さえて声を上げる。
跡部は抜き取った髪のゴムを手に、ニッと笑みを浮かべた。


片方の髪だけが軽いウェーブになっての肩に揺れる。
その髪の柔らかさと香りを昨夜の自分は知った。



「今日は髪をおろせよ。メガネも禁止だ」
「なんで、そんなこと」


「そりゃ決まってんだろ、そっちのほうが」



次のセリフでの顔は隠せないほど赤くなるに違いない。
跡部は確信して口を開いた。



「俺が好きだからだ」



の瞳が驚くほど大きくなる。
次の瞬間には「ト、トイレ」と色気のない言葉を残し、教室を飛び出していく
そんな彼女を見送った跡部は堪えきれずに声をあげて笑った。
胸に湧く、何ともいえないくすぐったさを感じながら。










人けのないトイレに飛び込み、は手洗い場の鏡で自分の顔を見る。
日に焼けていない白い肌が、見て分かるほどに赤くなっているのに愕然とした。


なんで、と鏡の自分に問いかけても返事はない。
跡部が取ってしまったせいで片方だけの三つ編みになっている自分が途方にくれた顔で見つめ返してくる。


いつまでも治まらない鼓動は走ってきたからだけじゃない。
分かっていて認められず目の前の鏡に両手をつけば、ひんやりとした冷たさが手のひらの熱を奪っていった。



気持ちが弱った時に優しくされたら、誰だって心が揺れるにちがいない。
彼は顔に似合わずお節介で優しい人だけど、本気で私のような人間を相手にする人ではないはず。


そうとでも思わないと胸が熱くて、痛くて、息もできない。



蛇口をひねり、勢いよく水を出す。
はメガネを外して前に置くと、思いっきり顔を洗った。


やるべきことがある今、しっかりしなくてはと自分にカツを入れた。





跡部に片方のゴムを取られてしまったはそう長くはない髪を後ろで一つに結って走り回っている。
もちろん似合っているとは言い難いメガネもそのままなのだが、それも彼女らしいのかと跡部は溜息をついた。


自分の望む通りにはなってくれない。
そんな彼女だからこそ惹かれたのだと思う。



跡部たちの教室は開店と同時に人が溢れた。
『あの跡部景吾が執事になる』と宣伝したのが功を奏したようだ。


態度は執事とは思えないものの、黒の三つ揃えスーツを着た跡部の姿は溜息ものだった。



裏方に徹して制服姿のまま走り回っているの肘が後ろから引かれる。
何かあったのかと振り向けば、耳元に口を寄せてきた跡部がいて心臓が止まるかと思った。
あげそうになる悲鳴を飲み込むのことなどお構いなしで、彼は嫌になるほどイイ声で囁く。



「お前、少し休めよ。病院の方も気になるだろ?電話しとけ」



言うだけ言うとの返事も聞かずに、ポンと軽く頭を叩いて離れていく跡部。
は慌てて教室を出た。
中から聞こえてくる女のコたちの黄色い声。
それさえ耳に入らないほど、胸の内から音がする。
跡部に触れられるだけで止められなくなる鼓動を誰かに聞かれてしまいそうで怖い。



こんな日に人のいない場所など屋上ぐらいしかないと、は開放されていない屋上に忍び込んだ。
携帯を広げて昨日登録したばかりの病院の番号を出そうとしたら、あ行の一番最初に跡部の名前があった。
それにも息が止まりそうになり、浮かんできた彼の携帯を扱う仕草に胸が切なくなる。
振り切るように病院の番号を探し、幾度かの取り次ぎを経てやっと聞きたい声が電話口に出てきた。



「おばあちゃん?、」



自分の声が甘えていることに情けなくなる。
もっともっと強くなくちゃいけないのに。
家族以外の誰かに気持ちを割く余裕なんて自分にはない。



『どうしたの?おばあちゃんなら大丈夫だよ。もう帰ってもいいんだけど』
「駄目だって。元気なのは嬉しいけど、ちゃんと調べてもらわなきゃ」


『そうねぇ。まだまだ元気でいないと』
「そうだよ」



ずっとずっと元気で、永遠であるほど長生きしてほしい。
そう思えば青空が滲んでしまう。



『今日は学園祭なんでしょう?行けなくて、ゴメンね』
「来なくていいよ。今年は裏方で忙しいし」


『おばあちゃんは元気だから、気にしないで最後まで楽しんでおいで』



うん、ありがと。
精一杯に我慢して答えたけれど、涙声になってしまっただった。



教室に戻れば、順番待ちの客が長蛇の列を作っていた。
気合いを入れ直し、は中に声をかける。



「お客さんを待たせないよう、回転率をあげていこう
 四人掛けのテーブルを二つに分けて、空席を作らないように」



テキパキと指示を出すの姿を接客しながら見る跡部が一つ息を吐く。
一生懸命な姿を見るのは嫌いじゃないが、それが痛々しく思えて守りたくなる。
そんなことを言ったなら口もきいてもらえなくなりそうだが、腕の中に抱いて甘やかしてやりたくなるのだから仕方ない。



偶然の出会いが、こんなことになるとはな。



「おい、。後半の交代メンバーは早めに集めておけよ」



離れた場所から声をかけた跡部に、が顔をあげて頷いた。
躊躇いがちに逸らされた視線に気付かないはずもないのにと思うが、跡部はあえて何も言わず客向けの笑顔を作った。




















恋の花咲くこともある8  

2008/07/17




















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