『お慕いしております〜跡部景吾編〜』 その後 弐
景吾たちが手塚家でもてなされている頃、独りで月を眺めているがいた。
ここ数日間も続いた雨はあがり、雲を纏った月が庭を照らしている。
誰もいない庭は静寂に包まれていた。
水気を含んだ袖を広げ、何とはなしに眺めてみる。
薄い空色の地に薄紅の花びらが描かれた衣は、景吾がにと選んだものだった。
『いいだろう?これが一番、お前に似合うと思ったんだ』
頬をゆるめ、得意げに言った顔が懐かしい。
大事にされていると思う。
家と家を結ぶために成された婚姻だったが、今は違う。
存分に慈しんでもらい、女に生まれた幸せを感じている。
包みこむような優しさに嘘はないから・・・
は白い両の手で顔を覆う。
御方様も本当は分かっておいでなのでしょう。
真に殿や跡部家のことを思えば我儘など言えぬはず。
あなた様は御正室ですぞ。
側室を殿が迎えられても毅然として、家のために尽くすのが御役目でありましょう。
殿がお出かけになられたのは側室となる姫に会われるため。
あなた様の口から、側室を娶るよう殿に・・・
景吾の居ない城は、どうしようもなく寂しくて不安だった。
その不安は、こういうことだったのか。
口元をおさえ、つめたい縁に膝をつく。
とて景吾の約束を鵜呑みにしたわけではなかった。
小さな家ならまだしも、跡部家という名家で側室が存在しないなど訊いたことがない。
現に跡部家の先代には多くの妾がいて、子もたくさんいる。
景吾の兄弟姉妹も、多くが他家に養子に出たり、嫁いだりして、跡部家の繁栄を支えていた。
分かっていた。
分かっていたが、唯一だと言ってくれた景吾の気持ちが嬉しくて言えなかった。
「愚かな・・こと」
こみあげる涙を飲み込めば、胸にせり上がってくるものがある。
声を出せば侍女たちが心配して駆けつけてくるだろう。
は嗚咽を耐えて、再び空を見上げる。
ぼんやりと浮かぶ月を彼の人は見ているだろうか。
そう思えば、また涙が零れた。
久し振りに遠慮なく剣をふるい、すっかり気を良くした景吾が城に戻ってきたのは二日後だった。
帰ってくるなり待ち構えた様に書状と懸案を携えた家臣たちが列をなす。
「だから出掛けるのは嫌だったんだ。つまんねぇ用事だったのに」
半分以上を手塚のもとで費やした事も忘れて文句を垂れる景吾だが、
やるべきことはその日のうちに済ませるのが彼の流儀だ。
そこは真面目で誠実なのだと忍足は肩をすくめ、徹夜覚悟で新たな墨を用意した。
夜は執務をする部屋で仮眠をとる程度で、翌日も慌ただしく過ごす。
途中で先代の元へと挨拶に行ったが、何事もなかったような顔で淡々と報告だけをして戻ってきた。
なにやら言いたそうな父を黙殺し、不機嫌を極めた顔で早々に引き揚げたのだ。
すぐに周囲の老臣たちが何やら言い募ってきたが、これにも耳を貸さずに無視をした。
「うるさい年寄りどもだ」
「これまでの跡部家を支えてきた、つわものや。仕方ないやろ」
景吾の傍に忍足を置こうとした時も、それはもう激しく反対されたものだった。
代々跡部家に仕えてきた家柄ではない。西国から流れてきた家の者がと、誰もが言った。
それら全てを景吾が力で捩じ伏せ、説き伏せて、今に至っている。
さらさらと滑らせていた筆を止め、ふと景吾が庭に目をやった。
「顔を見に行ってくるか」
視線を向けた忍足だが、どちらへとは聞かない。
仕方ないかと次の書を手に取る。
景吾の視線は庭に注がれたまま。
雨の雫を花弁に散らせて咲く花に、景吾は知らず微笑んでいた。
お慕いしております〜跡部景吾編〜その後 弐
2010/04/13
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