『お慕いしております〜跡部景吾編〜』 その後 参 











廊下を渡ってくる足音に、は瞼をあげた。



「御方様」
「大丈夫。あなたは下がって」



侍女は心残りを見せながら室を辞す。
は緩慢に身を起こし、乱れた衣を整えると常と変らぬように構えた。


足音が高くなり、声をかけるより先に戸に手が掛けられる。
その遠慮のない仕草が可笑しくて、は小さく笑った。



「入るぞ」
「お帰りなさいませ」



手をついて頭を下げる肩に黒髪が滑る。
その艶かな髪を見下ろし、景吾は肩の力が抜けるのを感じた。
随分と骨抜きにされちまったもんだと内心で呆れつつも、顔には出さずに腰を下ろす。
ゆるゆると顔を上げた妻の澄んだ瞳に自分の姿が映った。



「悪いな。忙しくて来るのが遅くなっちまった」



久し振りに顔を見せるのが恥ずかしいのか、は少しだけ視線を伏せて首を横に振った。
その様子も初々しく感じられ、可愛い奴だと思ってしまうのだから重症だ。
が、景吾の視線が一点で止まる。


スッと手が伸びてきて、の顎を長い人差し指が支えた。


「お前・・・寝てただろ」
「え?あ、そんなこと」


「顔に跡がついてる」



シマッタと顔に書いている妻に、景吾は思わず笑う。



「まったく。俺が居ない間も、ぐうたら寝てたんだろう」
「い、一応は起きておりました」


「一応って、なんだ。っていうか、ちゃんと食うもん食ってたか?」



顎に触れていた指が頬を撫でた。
数日ぶりに見たの顔が細くなっている気がする。
こくこくと頷く姿に首をかしげ、なら確かめてみるかと肩を抱き寄せてみた。



「と、殿?」



慌てる妻の体は相変わらず華奢でいて柔らかく、あたたかだ。
しかし景吾は眉を寄せ「やっぱり」と呟く。


抱きしめた時と同じように、唐突に体を離した景吾はの顔を覗き込んだ。



「細くなったな。どうした、どこか具合でも悪いのか?」



心配そうな表情を見せる景吾に、は首を傾けて微笑む。


本当は景吾の居ない数日間を伏せって過ごしただった。
食べ物が喉を通らず、夜もよくは眠れない。


すべては老臣たちから進言された尤もな話を自らに受け入れたせいだ。



「雨が降ると昼間でも暗うございますから、ついつい食べるものも食べずに昼寝を」
「おい、おい。お前につけてある者たちは何してたんだ」


「わたくしが起こさぬように命じたのです。ぐっすりと寝たくて」



そう言って、は景吾の視線から逃れるように茶の準備を始めた。
いくら寝るのが趣味でもなぁと景吾はほっそりとした妻の横顔を眺める。


が、なんだろう。
もともとの華奢な身体が更に細くなったせいか、その姿が儚げで気持ちが落ち着かない。
それだけではない。の纏う空気が常とは違う気がする。



「何かあったのか?」



茶を淹れるの手が僅かに止まった。
瞳は湯の水面を見つめ、それから口を僅かに開いて・・・また閉じた。


景吾には『見抜く目』がある。
その目が何かの違和感を捉え、今は確信に変わる。



「言え。何があった」



口調が厳しくなった景吾に、の肩が跳ねた。




「殿・・・わたくしは殿を心からお慕いしております」



急に真っ直ぐ視線を合わし、が自分の想いを口にした。


景吾は瞬きを忘れた。
問いつめようとした唇も止まり、なかば唖然と妻の顔を見る。



「はじめは心底、嫌でございました
 目つきは怖いし、口も悪いし、態度も横柄で、
 こんな方と枕を共にするぐらいなら蛙にでも嫁入りした方がましだと」


「そ、そりゃ初耳だな。そこまで酷いか?」



何故に蛙に嫁入りするのかは全く分からない。
しかしながら、それほどに最悪な人間だと認識されていたことに景吾は軽く目眩がした。



「ですが・・・人の心とは分からないものですね
 今では景吾様が居て下さるだけで、他には何も必要ないほどに」



は細い指を胸に添え、愛しい笑みを景吾に向けた。


抱きしめたい。
突き上げてくるような愛しさに景吾が捕われた時だ、が畳に手をついて頭を下げた。



「もう、充分でございます」
「充分?」



「どうぞ側室をお迎えください」



伸ばしかけた景吾の手が止まった。
顔を伏せたの表情は見えない。けれど肩が小さく震えている。



「もう我儘は申しませぬ。わたくしは正室としての役目を立派に果たして見せますゆえ」



景吾は目の前の黒髪をつくづくと見つめ、それから一つ息を吐いた。
抱き寄せる間を逸したうえに、これかと思う。



、顔を上げろ」



静かな声に、ゆっくりと色を失くした面があがる。
やつれた理由に思い至れば哀れに思う。


以前の自分であれば、その繊細な女の心が疎ましくてしかたなかっただろうに。



「お前の決意、受け取った」



景吾の言葉に、が鈍く瞬きをした。
けれど涙は見せない。心を決めたのだと景吾を見返す。


まったく・・・弱いんだか、強いんだか。
景吾は唇の端を上げ、一目惚れだと思われる黒の瞳を見つめ返した。


分からせてやらなければ、この愛しい女に。



「子を作るぞ」



が瞬きをした。
言われた意味が分からないという、間の抜けた表情だ。



「正室の役目を立派に果たすんだろう?俺も協力してやるから、どんどん産めよ」
「と・・殿、おっしゃっている意味が」


「側室が必要ねぇくらい産めば問題ないだろう
 まぁ、その細い体だ。無理のない程度に産んでくれ」



簡単に言って、景吾は湯気の立つ茶を手に取った。
ぐいっと一気に飲むと、さて・・今宵のために残務をすましとくかと腰を上げる。



我に返ったは、慌てて景吾を引きとめた。



「お待ちください!!」


「なんだ?今からか」
「そ、そうではなく」



言いよどむの前に膝をつき、景吾は視線を合わせた。



「この家は俺の力で守る
 どっかの娘を貰ってきて後ろだてにするようなことは必要ないし、する気もねぇ
 お前も肝に銘じておけ。俺様の情を一身に受けるんだからな。丈夫でいろよ」

 だから飯はしっかりと食え。



そう言って笑うと、
涙をこらえて震える妻の唇に、自らの温もりを重ねた景吾だった。




















お慕いしております〜跡部景吾編〜 その後 参 

2010/04/15




















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