『お慕いしております 〜不二周助編〜』 陸
『国のためになる良い嫁ぎ先を選ばなくては』
幾度となく言われた言葉だった。
だけど心に決めた人がいる自分には関係のないことだと頭から思い込んでいた。
皆にかしずかれ、美しい姫であれと磨かれてきたのは何のため。
飢饉のときも食べる苦労はなく、見事な刺繍が施された衣をまとい琴の練習をしていた。
その意味を深く考えることがなかった。
周助様は、問いかけをしただけだ。
思考は幼くても馬鹿ではないは、不二の問わんとしていることが分かってしまった。
一国の姫が、支えてくれた民のためにできること。
それは国の為になる男の元へ嫁ぐことだ。
小国である青学の家臣でしかない不二家に嫁いでも、自国の為にはならない。
自分を選んでは、姫としての役目を民のために果たすことができないのではないかと問われたのだ。
行きとは違い弾む会話もなく城に戻った。
話しかけられても上手く笑えず、言い訳だってできそうにない。
不二の顔を見るのが辛くて、他者の手を借りて馬を降りると、礼だけ告げて逃げるように去った。
その背中を笑顔の無い不二が見つめていたことなど知りもせず。
整えられた自分の室に戻ると、勝手に涙がこぼれて膝が崩れた。
歪んでいく障子の向こうには、見事な庭がある。
眺めの良い客間を与えられたのもが家の姫だから。
分かっていて、分かっていなかった。
父が末子に甘いのを良い事に我儘を通そうとする浅はかな姫なのだ、私は。
顔も知らない男のもとへ嫁ぐ姉たちに同情をしていた。
姉たちは自国との結びつきを強固にするために大国へと嫁いで行った。
それが国の安定と繁栄につながることを知らなかったわけではないのだ。
自分の馬鹿さ加減に泣けてくる。
だからといって不二を諦め、どこかの知らない男の元へ嫁ぐのかと考えれば
想像しただけで胸が苦しくて、もっともっと悲しくて涙が出るのだ。
機嫌よく出かけた姫が戻ってくるなり泣きだしたことに周囲は慌てた。
出先で何があったのかと訊ねても泣きじゃくるばかり。
とにかく一人になりたいのだと繰り返し、とうとう他の者をしめ出した。
「不二殿をお呼びしては・・・」
閉じた襖の向こうで侍女が声をかけてくるのも煩わしく、は何も言わずに庭へと降りた。
城主の性格を反映してか落ち着いた風情のある庭だ。
華やかな草花が植えられているわけではないが、時間をかけて丁寧に整えられた庭なのが分かる。
今は日が落ちてきて、趣味の良い庭石から長い影が伸びていた。
朱に紫が混じってきた空には一番星が瞬いていて、すぐに辺りは暗くなるのだろう。
日が暮れるからといって部屋に戻る気にはなれず、あてもなく歩くと先に池があった。
大きな池ではないが水面が茜色に染まっていて、人の目を惹く。
重い足取りで池に近づくと夕焼け色の水面に情けない自分の姿が映って、また涙が零れた。
姫になど生まれなければ良かった。
ああ、違う。姫でなければ出会えなかった。おそばに寄ることだって出来なかった。
私が私であり、周助様が周助様であるから・・・恋をした。
「姫」
背後から声をかけられたのは、池の水面が藍色になった頃。
は頬を零れ落ちる涙もそのままに振り返った。
「周助様・・・」
「皆が心配して姫を探していますよ」
闇に染まっていく庭に立つ人は、その中にあっても輝いて見える人。
愚かな姫にも笑顔を絶やさず、誰かに頼まれたら探しにも来る、お優しい方。
八つ当たりとも思える暗い感情がを卑屈にした。
「姫を泣かせるつもりはなかったのです」
不二は白い指を伸ばしての涙を拭おうと近づいた。
だが、その指を避けるように身を引かれてしまう。
咄嗟に拒絶してしまったの表情には怯えと戸惑いがあった。
傷つけたかったわけではないのだ。
大人にはなりきれていない姫に一時の恋情で後悔をして欲しくなかった。
だから問うてみたのだが、泣きくれる姫を見てしまっては不二の方が後悔してしまいそうになる。
「姫・・・」
「わ、わたくしは愚かで。周助様は・・呆れられていたのでしょうね」
つっかえながらは問う。
内心では愚かな女だと呆れながら、姫だから優しくしてくれたのでしょうと。
不二は痛むように目を細め、首を横に振った。
「姫の素直さが可愛らしかった」
「子どもだと。考えなしの子どもだとお思いになられたのでしょう」
口調が強くなり、顔が歪むのが分かる。
こんな醜い顔は見せたくないのにとは唇を噛んだ。
初めて見るの表情に、不二の胸も痛む。
屈託ない笑顔が何より似合うのが姫であり、その笑顔を大事にしたいとも思っているのだ。
僕も覚悟を決める時が来たか。
一つ息を吐き、不二は伏せた瞼を開いた。
「そう・・姫は子どもです。その子どもを愛しいと思う大人の男は迷っているのですよ」
は驚いたように視線を上げた。
暗くなっていく中でも、不二がいつもの笑顔ではなく真剣な表情で自分を見据えているのが分かる。
「それは」
「姫の抱く想いが憧れなのか、本物の恋なのか、僕には分からない
それでも姫が傍にいれば僕の味気ない毎日が変わりそうな気がする
そんな期待を僕にさせてしまう姫が欲しくないと言えば嘘になる」
けれど・・と不二は言いよどみ、拳を強く握る。
「子どもが大人になった時、こんなはずではなかったと後悔させるのが辛いのです」
は不二の言葉を咀嚼するように俯いて胸元を押さえた。
鼓動が速くて、息がしづらい。
嬉しい。こんな私でも周助様は欲しいと思ってくださったのだ。
そのうえ、先の私を心配してくださっている。
ただの憧れでしかなかったと気づいても、嫁いでしまえば戻ることはできない。
姫としての役目も果たせずに他国で生きることになっては後悔するだろうと。
今の事しか考えていない幼い私を憂い、あえて厳しい問いかけをなさったのだ。
周助様以上の方に、もう二度と巡りあうことはないだろうと思える。
どれほどの大国を治める方であろうと、どんなに強い剣の使い手であろうと、
眩むような美貌を持った方であったとしても、誰も敵いはしない。
唯一の方なのだ、この方は。
ぐっと奥歯を噛みしめて、は顔を上げた。
大きな瞳に昇ってきた月の光りが差して、きらきらと闇に輝く。
その決意に満ちた姫の表情に、不二も腹の底に力を入れた。
「私・・・国の役に立てることを探します
我が国だけでなく、青学の民にも、私がいてよかったと思ってもらえるよう
このの生涯をかけて精一杯努力します
だから、だから周助様。どうかを貴方様の妻にして下さい
周助様を諦める以上の後悔など私にはないのです
お願い。を周助様のお傍に・・お傍にいさせて下さい」
勝手に涙が溢れてくるが、これは悲しいからじゃない。
わきあがってくる感情が涙となって零れるのだ。
だから拭わない。
は祈るように願って、不二の目を見ていた。
その視線を不二は正面から受け止める。
目の前にある輝きは己にはないもの。その光が、我を掴めと求めている。
この光を掴まねば、己は心の内に闇を抱えて生き続けることになるのだろう。
ならば迷うことなどない。
不二は指を伸ばし、やわらかく微笑んだ。
「我が姫。あなたに触れることのできる、ただひとりの男として
その涙を拭わせてもらえませんか」
途端に緊張が解けたは、声をあげて泣きながら何度も頷いたのだった。
お慕いしております 陸
2014/10/16
戻る お慕いしておりますTOPへ 次へ