お慕いしております 〜日吉若編〜 陸
日吉は家に帰るなり、着替えもせずに母のもとへと向かった。
「母上、失礼します」
最近は床に起きていることも多くなった母は、薬湯を手に驚いて顔をあげた。
返事を待つ間もなく室に入ってきた息子が額に汗を浮かべている。
「どうしたのです、慌てて」
「母上はの縁談話を御存知ですか?」
母は僅かに躊躇ったふうだったが、茶碗を盆に戻すと頷いた。
「もったいないほどの縁談だと聞きました」
「もう決まったのでしょうか?本人は、はそれで良いと?」
矢継ぎ早に訊ねてくる様子に母は目を瞠ってから大きく溜息をついた。
「何故、そのように憤っているのです?よい縁談だと祝ってやるのが真ではないですか」
「憤ってなど」
語尾を濁して視線を逸らした日吉を前に、母は病がちとは思えない凛とした声で言った。
「もう、あなたには関わりのないことなのですよ」
日吉は言葉を失くした。
関わりのないこと、その言葉が日吉に衝撃を与えた。
それは自分がに言った言葉でもあったからだ。
「あなたは望月様の・・」
「あれは断りました」
母の言葉に重ねて告げた日吉は、苦々しい表情で腰をあげる。
驚きを隠せない母が何か言いかけたが、日吉は視線も向けずに室を出ていってしまった。
自室に籠り、外を眺めながら考える。
最近は人を雇い入れたため小奇麗に保たれている庭だが、それまではがせっせと箒で掃いていた。
時々は自生する花に鋏をいれて小さな器に挿したし、枯葉を集めると芋を焼いてふるまった。
若様、若様と後ろをついてまわっていた幼女が、いつの間に見初められて嫁ぐような女に成長したのだろう。
日吉の前に幾羽かの雀が舞い降りてきた。
かしましくチュンチュンと鳴きながら、人の視線を恐れず土の上を啄んでいる。
小さなくせに元気一杯で、悩みなどまるでなさそうに跳ねている姿がと重なった。
屈託のない笑顔が他の男に向けられ、鳥のさえずる様な声が別の名を呼ぶ。
が誰かのものになる。
無意識に膝を掴んだ。
また、日吉の胸に締めつけられるような痛みが走ったからだ。
綺麗な晴れ着に袖を通し、いつもより明るい色の紅をひく。
鏡に映る自分は、自分であって自分でない。
願ってもない縁談だと皆が口をそろえて言った。
そうなのだろうと思う。
なのに鏡の中の自分ときたら、今から死地にでも赴くような悲壮な顔をしている。
人の夢など、そうは叶うものではないから儚いと書くのだそうだ。
無愛想で口も悪いが、根は優しい。
強い志を持ち、何事にも決して屈しない。
そんな心を持つ人を支え、共に生きていきたいと夢を見ていた。
出世をしなければの夢は叶ったかもしれないが、それでは若の夢が叶わない。
若の夢が叶えば、優秀な男を放っておかない周囲が良縁を持ちこんでくるのは分かりきっていた。
つまりはの夢が叶わないのだ。
共に夢を叶えること自体が『儚い夢』であったのだろう。
「、準備はできましたか?」
呼びにきた母の声に、溜息一つ残しては自室を出ていった。
立派な御屋敷だそうですよ、美しい庭があってと常より口数の多い母が話しかけてくる。
見るからに気落ちしている自分を心配してくれていると分かっていても、は上手く笑えない。
父親は何も言わず、とは目も合わせずに前を歩いている。
まずは顔合わせですから気楽にと説明されたが、ここでが相手を気にいらなかったとしても拒否権はない。
会ってみたら嫁には相応しくなかったとでも言ってくれれば良いのだが、その望みは薄そうだった。
相手がを見初めたのは日吉が望月家から紹介された医師の所でだ。
薬がなくなりそうな時など、が日吉に代わって医師のもとを訪れていた。
本来なら下級の家など診ない医師のもとには、当然のこと名だたる家の者が出入りしていたのだ。
高貴な家の娘のように気位が高くなく、朗らかで愛らしいが男たちの目を惹いていたことなど本人は知らなかった。
段々と近づく見合い場所に足取りが重くなる。
立派な門が見えてきて「ほら、あちらですよ」と言われて胸が潰れそうになった。
もう夢は叶わない。
消えない恋心を胸に、知らない人のもとへ嫁がなくてはならないのだ。
薄っすらと門が滲んできた。
泣いては父や母に迷惑がかかると思えども、悲しくて悲しくて喉の奥が熱くなる。
若様、助けて
目を閉じ、強く願った時だ。
「!!」
幻聴が聞こえたのかと思った。
苦労して捕まえた雀だった。
だが二日もしないうちに、やっぱり可哀想だとは空に放ってしまった。
若干複雑な思いをしながらも捕まえることに意義のあった日吉は隣に並んで空を見上げた。
『行っちゃた』
自分で放ったくせに、ひどく寂しげにが呟く。
その声色に泣いてしまうんじゃないかと内心焦った日吉は無表情ながらも告げた。
『いつでも雀くらい俺が捕まえてやる』
『本当?いつでも?』
『ああ。いつでも』
日吉が答えると、パッと花が咲いたようにが笑った。
『じゃあ、若様とずっと一緒にいなくちゃ』
自分は何と答えただろうか。
昨日の夜、薄れていた記憶をたどって思い出したのだ。
『まぁ、お前ならいいが』
ならば、ずっと傍にいても苦にはならない。
雀が欲しいと言われて捕ってやることぐらい容易いことだと簡単に考えた。
『じゃあ、約束ね』
ニコニコとしたが小さな指を差し出してきた。
さっき泣いたカラスが何とかとはこの事だと呆れながら、日吉も渋々ながら指を出す。
今なら絶対にしなかっただろう幼い約束の仕草だった。
「若様!!」
振り返った幼馴染は美しい着物の袖を翻し、大きな瞳に涙をいっぱい湛えて自分の名を呼んだ。
お慕いしております ~〜日吉編〜 陸
2011/01/18
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