『お慕いしております 〜乾貞治編〜』 祝言後(後編)
大事な乾家の跡取りをたぶらかした遊女。
頭から思い込んでいた家人たちは、なにやら想像と違うの様子に戸惑った。
婚礼の夜に夫婦の寝室へ案内するときも、はガチガチに緊張していて顔色をなくしていた。
手を引いて廊下を進む女中が心配してしまうほどに手が冷たく震えているのだ。
室まで行って戸を開けた時にはの足が止まってしまい、
急に「やはり無理です。わたしなど・・・どうしよう」と泣き出すから困ってしまった。
その様子があまりに痛々しくて女中も言葉をなくし、どうしたものかと背を撫でていると貞治が向こうの廊下からやってきて、
溜息ひとつでの肩を抱き寄せ「泣き虫な可愛い人だね」と囁いて強引に部屋へと連れ込んでしまった。
そうして無事には乾の妻となったのだ。
それから半月ばかり、乾はろくに登城もせずに新妻に付きっきりだった。
働かない乾に周囲は焦ったが、本人は『新婚なので長期休暇をいただいた』と悪びれない。
なんでも殿からの祝いの品を断り、かわりに休みを貰ったというから恐ろしい。
に対して悪感情を抱いていた家の者たちも、乾がべったりとひっついていては嫌味の一つも言えない。
そうこうしているうちに段々と家人たちは疑問を感じてきた。
遊女としてのがまったく想像できない。
本当に廓で身を売っていたのだろうか・・・と。
疑ってしまうほどに新妻は初々しく、また素直で可愛らしかった。
このような娘が遊女をしていたとは、どんなに辛かっただろかと同情すら感じるほどに。
「様、お召し物を」
「はい、ありがとうございます」
下の者にまで必ず礼を言う。
遊女であった自分より下働きの者が下などと思えるはずもないは、誰にでも丁寧に頭を下げる。
乾家の嫁として必要なことを教えれば、それはそれは熱心に聞き、後で書きつけていたりする。
それを夜のうちに何度も読んで覚えようとしている姿は好感の持てるものだった。
とにかく乾はを大事にしていて手中の珠のような扱いであったから、
長い休暇が明けるころには大体においてを受け入れる雰囲気が家の中にできていた。
それでもは遠慮がちで、常に周りに気を配って暮らす。
いくら言っても頭を下げるのはやめないし、人を使おうとせずに自分で働こうとする。
分からないことがあるときは人に聞き、教えてもらうと必ず礼を言う。
そして上手くできると嬉しそうに「お陰様で」と報告にくる。
そんな人となりを知るにつけ、乾家の者たちはを大事に思うようになってきた。
「どうでしょう」
おそるおそる差し出された器を受け取る。
祈るような目で我が身を見つめる姿に笑いをかみ殺しつつ、塩梅のよい味付けに重々しく頷いてみせる厨の者。
すると予想通りに瞳を輝かせると両手を合わせて素直に喜ぶの姿があった。
加えて「ありがとうございました」と仕える者に礼を述べるのだ。
「美味しゅうございますよ。貞治様好みのお味かと」
「そうですか?良かった」
手放しで褒めてくれるであろう乾の顔を思い浮かべたのか、がはにかむ。
だが乾の溺愛ぶりを知る女中は苦笑いで付け加えた。
「ですが指を荒らしてしまっては貞治様が心配なさいますよ」
その言葉に水仕事を済ませた指を撫でてが微笑んだ。
「大丈夫です。貞治様が手荒れに良い軟膏を作ってくださいました」
「それは・・・」
軟膏には何が入っているのでしょうか。
女中は喉まで出かかった言葉を呑み込み、それはようございましたねと賢くも話を合わせた。
乾は自分でも驚くほどを愛しく感じていた。
女にうつつを抜かすこともなく、誰かに執着もしなかった反動がココできたのかと笑ってしまうほどだ。
「あ、よかった。乾、ここなんだが」
分厚い紙を手に近寄ってきた大石の前で乾は風呂敷を広げると黙々と帰り支度を始める。
「それは海堂に頼んでくれ。あれも独り立ちしてもらわないと」
もっともなことを言いながら立ち上がった乾は、まとめた荷物を手に「じゃ、お先に」と大石を置き去りにする。
唖然として背を見送っていた大石の元へ、急に身をひるがえした乾が戻ってきた。
やっぱり手伝ってくれるのかと頬を緩めかけた大石に乾が問う。
「前に大石が旨いと言っていた甘納豆の店って、どこだった?」
「は?」
「に買って帰ってやろうと思ってね。今、思い出した」
「そ・・そう」
にこやかに見下ろしくる乾に、大石は自分も早く帰りたいと切実に思ったのだった。
買い求めた甘納豆を袂に乾は屋敷に戻る。
そこには可愛らしい妻がいて、それはそれは嬉しそうに迎えてくれるのだ。
「戻ったぞ、」
「おかえりなさいませ」
健気な花は決して誰にも傷つけさせない。
自分が手折って我が物としたのだから、絶対に。
「ほら、評判の甘納豆だそうだ」
「ありがとうございます。皆で分けますね。きっと喜びます」
いまだに夫を直視するのが恥ずかしいらしいが、俯き加減に頬を染めて笑った。
「どうしてそう可愛いのかな」
「は・・い?」
「まぁ、いいや。一緒に風呂でも入るかい?」
ええっと絶句して真っ赤になったを後ろから女中が支えて乾をにらむ。
「もう。様をからかわないで下さいませ」
かばう乾家の家人に唇の端を上げ、乾は笑いながらの肩を抱いたのだった。
お慕いしております 祝言後(後編)
2011.10.24
その後が知りたいというリクにお応えして
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