「お慕いしております〜大石秀一郎編〜」 弐
「で?どうしたいのさ」
「どうするって?」
「だからぁ。もう、不二も何とか言ってやってよ」
昼下がりの執務室。
大石の前には胡坐をかいた菊丸と何事が調べ物をしている不二がいる。
ちっとも働く気のない菊丸は胡坐の上に肘をつき、大げさな溜息をついた。
「殿ね。最近になって城勤めを始めたご子息がいたね」
「そう親しくはないが、祖父の代からの付き合いで婚礼祝いに行ってきたんだ」
記憶を探るような不二に大石が付け加える。
「また若造に先を越されて」
「うるさいぞ、英二」
揶揄する声にしかめっ面を見せたところで、怯む相手ではない。
不二は二人のやり取りに目を細め、少し考えてから口を開いた。
「昔に縁談を断った相手の不幸を知って、大石はどうしたいと思ったの?」
「どうしたいということもないのだが・・・お前たちが昨日は何をしていたんだと聞くから答えただけだ」
「ふ〜ん」
事実を答えたのだが、菊丸と不二が一緒になって微妙な相槌を返してきた。
「なんだ?何か言いたそうだな」
「だって。ねぇ、不二?」
「これまで大石が女性に興味を示すことってなかったからね
青学の繁栄と手塚の幸せを祈るのが趣味なのかなと僕は思ってたから」
「そうだよ。だから、やっと春が来たのかと」
「梅も咲いたし、もう春は来ているだろう?」
素で季節を論ずる大石に不二は苦笑いを浮かべ、菊丸はがっくりと項垂れたのだった。
城にも梅が咲いている。
どこからともなく甘い香りがするたびに、大石はのことを思い出す。
書きつけていた筆も止まり、白梅の下で微笑んでいた美しい人が瞼に浮かぶのだ。
おろそかになった手に気づき、慌てて仕事に取り掛かるのも一度や二度ではない。
どうにも集中できない自分に増える溜息。
そんな大石の姿を眺めている菊丸や不二たちもまた、内心で溜息をついていた。
家に出向いて幾日かが過ぎた頃、城下で見かけた横顔に大石の鼓動が跳ねた。
あの横顔を見間違うはずもなく、我知らず足が速くなった大石は見失わないようにと人波を避ける。
「殿!」
理由もない焦燥感に離れたところから名を呼べば、顔を上げたが辺りを見回して瞳を大きくした。
自然に笑みがこぼれるのも知らず、大石は大股でに近づいて行く。
物事をわきまえた所作で会釈した人が微笑んで自分を待っている。
そう思った途端に頬が紅潮してきたような気がして大石は慌てた。
「あの、すみません。殿を見つけたので、つい往来で・・それも大声で呼びとめてしまいました」
「かまいません。わたくしも大石様にお会いできて嬉しく思っておりますから」
社交辞令だろうか。
だが微笑むに嘘はなさそうに見えて、大石も嬉しくなってきた。
は先日と同じく地味な柄の着物を着ている。
後家なのだから仕方がないのか。もっと綺麗な色も似合うだろうにと想像して、己の思考に焦る。
「え・・えっと、今日は何を?」
「入用なものがありまして買い物に参りました。大石様はお役目の途中でございますか」
「ええ、まぁ。たいした用事ではなくて、その・・終わって戻る途中です」
黒の睫毛に縁取りされた瞳が自分を見上げてくるのに、大石はますます落ち着かなくなってきた。
なんだろう。普通に話そうと思えば思うほど緊張してくるし、視線のやり場にも困っている。
自分から声をかけたくせに逃げ出したいような、それは勿体無いような。
「では早くお戻りにならなくては」
そう言って、遠慮がちに視線を下げるの姿に『去られてしまう』と感じた大石は考えるより先に口走っていた。
「いえ、近くまでお送りします」
申し訳ないですからと何度も断ってきただったが、心配ですからの一点張りで強引に送ることにした大石だ。
こんな真昼間に何があるとも思えないし、城を空けてしまう罪悪感はあるものの
何故だか此処で別れてしまうのは惜しいと大石は思った。
いつまでも鼓動は落ち着かないし、会話は上滑りで、の目が見られない。
けれども、この偶然を逃せば次がないというような切迫感が大石にはあった。
無理を通してしまったせいか、の口数は少ない。
人通りが多いうちは喧騒に紛れるが、屋敷が立ち並ぶ通りに入ると気まずくなった。
あ・・とが声を上げた。
何があったのかと歩みを止めた大石を見て、ほら・・と柔らかい笑みを浮かべる。
すると何処からか鶯の鳴き声がした。
よくよく見れば、散り始めた梅が屋敷の塀から覗いている。
「殿のお屋敷に咲く梅は、もう終わりですか」
知らぬ屋敷の梅を眺めて大石が訊ねると、は少しばかり残念そうに頷いた。
「あれは他より咲くのが早いのです。ですから散るのも早い
ですが見頃を大石様にお見せすることができて良かったです」
「確かに美しかった」
花を背景に立つ人が、何より美しく見えたのは満開だった梅のせいだったろうか。
ふと考えて、塀を見上げるの姿を眺めてみた。
白く滑らかな頬に流れる黒髪。
吐息が聞こえそうに薄く開いた唇は淡く色づき、白い肌に映えていた。
柔らかく吹く春の風のように自然で穏やかな立ち姿に視線がとらわれてしまう。
やはり美しい人だ。
婚家で随分と苦労をしたのだという。
夫婦として幸せな時があったのかも分からないと実父が嘆くほどだ。
けれど実家に戻されてからも婚家の愚痴や恨み言を口にしなかったという人は、
ただただ優しい眼差しで花や鳥を愛でている。
たおやかに咲く白梅のような人は、これから先の人生をどう生きていくのだろうか。
人知れず散っていくには、あまりに惜しい。
「殿」
「はい」
「よければ、私のもとにきませんか」
言葉の意味が理解できないようで、が問い返すように首を傾げた。
大石は自分の口から出た言葉に驚きながらも、どこかで納得もしている。
だから己の意志を確かめるように、今度は腹の底に力を込めて口を開いた。
「私の妻に、なりませんか」
の瞳が瞬き、次には眩しいものでも見るような表情になった。
はらはらと風に乗って花びらが舞う。
息をのむ大石を見つめて、が微笑んだ。
その微笑みは美しくも儚くて、散っていく白梅に溶けていくようだった。
後に、そう・・大石は思ったのだった。
お慕いしております 大石編 弐
2012/02/14
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