『お慕いしております 〜柳蓮二編〜』 壱
急に決まった祝言だったが、随分と気を遣わせたのだろう。
柳家からは申し分ない用意をしてもらい、父に『恥ずかしくない立派な嫁入りだ』と言わせた。
目をかけた真田との縁談が破れたことに家としても納得できないものがあった。
だが相手が殿の妹君とあっては文句も言えず、泣き寝入りかと思ったところで柳家との縁談だ。
柳は真田と肩を並べるほどの出世頭であり、家柄も良い。
父が一も二もなく飛び付いたのも理解できた。
捨てられた許嫁という汚名を返上できるだけの家柄に嫁げるのだと。
揃えられた嫁入り道具に、純白の衣。
なにもかもが夢見ていたとおりに揃っているのに、夫となる人だけが違っている。
の心を置き去りに、婚礼の準備が整っていく。
両家の挨拶のおり、一度だけ会った柳は理知的で物静かな男だった。
礼儀正しく、かつ淡々とそつなく話を進めていく柳に『賢い男だ』と父がしきりに感心していた。
存在感のある真田とは対照的な佇まい。
真田が燃える火であれば、柳は流れる水のような男だとは思った。
形だけはと手順を踏んだの婚礼準備は慌ただしく、
それきり城での勤めが忙しい柳とは会えずじまいだった。
こうして夫となる柳蓮二という男を知ることもなく、は金屏風の前に花嫁となって座った。
嬉しいのか、疎ましいのか内心は知れないが、落ち着いた表情の柳が隣にいる。
祝いを受ければ穏やかに微笑んで礼を言い、時々はを気遣うように声をかけてきた。
それでもは虚しかった。
祝いに呼ばれた客の末席に真田の姿を見て、何故に貴方が隣にいないのかと涙が零れそうになる。
真田弦一郎の妻になる。
それだけ思って生きてきたのに、何故?
何がいけなかったのか。何が足りなかったのか。
そんなにも疎ましい存在だったのか。
涙を堪えて俯くの手の甲に、そっと懐紙が置かれた。
見れば前を向いたままの柳が片手に杯を持ったまま、さりげなくの手に懐紙を渡してくれたのだ。
「もう少しの辛抱だ」
「柳・・様」
「早々におひらきにするつもりだから、いま暫く耐えてくれ」
囁くように告げると、挨拶に近寄ってきた客人の相手をはじめる。
は渡された懐紙を小さくたたみ、人には知れぬようにして涙を拭った。
心身を疲弊させた婚礼の夜。
並んだ床と枕を見て、は今すぐ逃げ出したい衝動に駆られていた。
追いついていかない心に自身の体が震えているのを感じる。
だが、夫婦の初夜に夫となった男は優しく言った。
「疲れただろう。今宵はゆっくりと休めばいい」
「ですが・・」
「先は長い。今、無理することもない」
安堵と戸惑いに言葉が出ないの表情を見て、柳は少し考えてから思いついたように微笑んだ。
「では少し話をしよう」
「なんでございましょうか」
「ふむ。まずは好きな季節など訊いてみようか」
話とは何であろうかと身構えたのだったが、柳の話とはにまつわる他愛ない質問だった。
好みの食べ物とか、好きな花など、戸惑いながらも真剣に考えていれば時が経つ。
柳は唇に笑みを浮かべたまま、それでと相槌を打ちながら聞く。
もともとが聞き上手なのだろう。
真田と言葉を交わす時は、その沈黙が怖くて緊張しただったが、
柳との会話は話すうちに緊張が解けていくような感じがする。
「ありがとう、殿のことが知れて良かった。さぁ、もう横になるといい
家の者には言ってあるから、明日はゆっくりと過ごしてくれ」
そう告げると、柳は隣の床に入らず立ち上がった。
お待ちくださいと留める勇気もなく、焦燥感に唇をかむ。
そんな表情を見下ろした柳は自然と手を伸ばしての黒髪を撫でた。
びくっと身を竦ませたの様子に、その手は直ぐに離れていくが笑みは消えない。
「も、申し訳・・・」
「真の夫婦にと望んでくれるようになったら、こちらで横になろう」
その言葉に瞠目するを残し、柳は室を出て行った。
我が身を明るく照らす月を見上げ、柳は独りで杯を傾ける。
今宵はめでたい婚儀の夜。
願いは叶い、憂う心はあれども喜びのほうが大きい。
柳は目を閉じて薄く笑う。
瞼を通しても真珠のような月光を感じるのは、触れられない人の温もりを感じるのと似ている。
待つのは優しさなのか、己の我儘なのかは分からない。
きっと両方が綯い交ぜになっているのだろうと柳は理解している。
慕われ続ける男に対する嫉妬と意地もあった。
鈍い友は気付くこともないのだろうが、それでいい。
欲しいのはのすべてなのだ。
真田という男に塗りつぶされている心を自分に向けたいと思う。
ゆえに心の底から己を望まれるまで触れる気はない。
ゆっくりと瞼を開き、月の光りに手を伸ばす。
柳の掌に清らかな光りが射して溢れた。
お慕いしております 柳編 壱
2011/05/31
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