お慕いしております 〜柳編〜 参
柳家の嫁として始めた生活は、なにひとつ不自由のないものだった。
躾の行き届いた家人たちは不満な表情一つ見せず、主の妻としてに尽くしてくれる。
若手の出世頭である柳は付き合いも広く、家を守る妻の役目としての雑事は多かった。
「奥方様、青学の乾様から祝いの品が届いております」
「青学・・・」
他国からも祝いの品が届くとは、広い人脈に今更ながら驚かされる。
礼状を書かなくてはねと呟くに、柳家に長く仕えている女中の妙(たえ)が笑顔で応じる。
「乾様は古くからのご友人ですから、礼状は蓮二様ご自身でお書きになるでしょう」
「そう。では、私が書いても不都合のない方と分けてくれますか」
承知いたしましたと妙は手際よく文を分けていく。
妙は自分の母ほどの年齢だが、働き者で若々しく柳家の雑事をしきっている女中だ。
自分も早く付き合いのある名を覚えていかなくてはと目を凝らしていれば、妙が手を動かしながら嬉しそうに言った。
「ほんに奥方様は申し分のないお方。蓮二様が望まれたのも納得できるというものです」
「それは・・・」
「縁談など右から左で耳を貸さなかった蓮二様が輿入れを急かせたぐらいですから」
口を開きかけたが言葉にできず、は視線を落とした。
きっと妙はが輿入れしてきた本当の経緯を知らないのだ。
事実を知ったら何と思うのか、考えただけで情けなくなる。
嫁いできたからには精一杯のことをしようと妻らしく振舞っているが、心が晴れたわけでも吹っ切れたわけでもない。
ただ、こんな自分を娶ってくれた柳が、とても穏やかで優しい人だという事は分かった。
いまだに夫婦の床は共にせず、だからといって冷たい態度をとるでもない。
時間のある時には食事を共にして、その日にあったことなど話して聞かせてくれた。
だが共に食するのは数日に一度が、やっとの状態。
我が父親が閑職だったのかと疑ってしまうほど、柳は忙しい。
朝は早くから登城し、夜も随分と遅くなってから戻ってくる。
城泊まりになることも多い。
「奥方様、お茶をお持ちしました」
顔をのぞかせた下女が持つ盆には、茶と共に菓子がのっている。
その小さい花のような形の菓子に目を奪われていると妙が横から口を挟む。
「それは蓮二様が奥方様にと持ち帰られたものですよ」
「え?」
「なんでも南蛮からきた船に乗っていたものだとか」
どうりで見たこともない菓子だと思った。
桃の花のような色の菓子からは甘い香りがする。
「そのような珍しいものを?」
「珍しいからこそ奥方様に見せたいと思われたのでしょう」
屈託なく言われ、は曖昧に微笑むしかない。
さぁさぁと勧められ口に運んだ菓子は食べるのが申し訳ないほどに可愛らしく、甘かった。
夫は自分には勿体ない人だと思う。
ただただ優しい人だから、友のために妻まで娶ってしまったのだろうかと
己の存在が尚更申し訳なく・・・遣る瀬無くなるだった。
「どうだ妻帯者になった気分は?」
婚礼の翌日から常と変わらず執務に励む柳に当主の幸村が訊ねた。
書きつけをしていた真田の表情が険しく変化したのに反して、柳の表情は変わらない。
「上々ですよ」
「上々か、いいね」
笑った幸村だが、見るからに覇気がない。
真田の婚礼が終わってから暫くして、正室が里帰りしたからだ。
ただの里帰りならばよいが、そう事は簡単ではないと幸村の様子から柳は思っている。
「殿が身を入れて執務に励んで下さると、もっと上々になるかと」
「はいはい」
「失礼いたします。真田殿、切原が報告に参っております」
「わかった。直ぐに行く」
何か物言いたげに黙していた真田が呼ばれて執務室を出ていく。
その足音が遠ざかるのを待っていたかのように、幸村が脇息にもたれて呟いた。
「苦悩の多い男だな。大事な姫をやったのに、また眉間の皺が深くなっている」
「弦一郎は真面目な男ですから」
言って口元を緩める柳を幸村は目を眇めて見る。
「正直に教えてやればいいじゃないか。お前に譲ってもらった嫁だが、俺はもうメロメロのデレデレだって」
「メロメロのデレデレなどという言葉、弦一郎には意味が通じないでしょう」
「はぐらかすなよ。お前は友想いには違いないだろうが、だからといって自分を犠牲にするほど甘い男でもないだろう」
勢いで姫を賜りたいと申し出た真田は、そののち許嫁の存在に苦しんだ。
信頼を寄せてくれた家にも申し訳ないと強く思うものの、姫以外に娶る気もなければ許嫁は浮く。
いかようにして償えばいいのかと悩む真田に柳は言ったのだ。
『殿は俺が娶ろう』
あの時、さすがの幸村も驚いた顔をしていた。
が、すぐに納得したような顔をして「めでたいな」と笑ったのだ。
一を知って、十を知る。
その頭の回転の早さがあるからこそ、柳は幸村の下で生涯を過ごしてもいいと思っている。
「あれは己に厳しい男ですから、周囲が気遣えば気遣うほど自分を責める
少々は心配したり、悩んだりしている方がいいのですよ。それに姫が傍にいらっしゃいますから」
男勝りの姫ならば、真田の背中を叩いて喝を入れるぐらいはするだろう。
「真田は完全に尻に敷かれてるな」
柳は同意するように微笑んだ。
その笑みのまま、幸村に真っ直ぐな眼差しを向ける。
「殿はどうなさるおつもりか?」
「どうとは何のことだ」
語るほどには決断できていないのか、幸村は分かっていて答えないつもりらしい。
答えを求めず、柳は続けた。
「国が豊だから、個が幸せだとは限らない
ですが幸せな個が集まり暮らす国は、きっと豊かだ
ささやかな人の幸せがあってこそ、豊かな国は生まれるのだと思うのですが」
幸村は静かな表情で柳の話を聞いていたが、おもむろに口を開いた。
「幸せは一人でなれるものではないしな・・・相手に想われていない時はどうする?不幸せだぞ」
柳は破顔した。
「殿、想われる努力を惜しんでは幸せにはなれませんよ」
幸村は扇子をこめかみにあて、唇を尖らせるようにして何事か考えていた。
お慕いしております〜柳編〜 参
2011/06/07
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