お慕いしております 〜柳編〜 伍
戸のむこうには赤く燃える紅葉があった。
城の庭にある紅葉は遅いのか、まだ美しい色で葉を残している。
自分が屋敷の庭に植えた紅葉は既に随分と葉が落ちていたのだが、やはり木が若いせいだろうか。
を見初めた秋に植えた紅葉だ。
それなりに大きくなった木を移したものだが、城の大木に比べれば若いだろう。
柳は紅葉を眺めながら思う。
「美しいな」
ぽつりと隣の柳が呟くのに、真田の視線も紅葉に向いた。
策を弄して里から正室を呼び戻し、臥せった幸村のもとへ送りこんだ後だ。
良い結果が得られるかは分からなかったが、顔色を失くした正室の表情を見たならば分かるというもの。
互いに想いあっていたのだと理解すれば、安堵で気が抜けた真田だ。
「蓮二は紅葉が好きだろう」
「好きだが・・お前にしては珍しいことを聞く」
良くも悪くも他者の細かな嗜好を気にかけない真田の言葉に柳が口元を緩めた。
「いつも紅葉を慈しむように見ているからな」
真田の言葉に柳は小さく笑い、その視線を再び紅葉に移した。
「好いた女が紅葉のような人なのだ」
「蓮二?」
思いがけない告白に真田は動揺した。
自分の許嫁を押しつけてしまった柳に、まさか慕う相手がいたとは思ってもいなかった。
押し寄せてくる申し訳なさに握った手が震えそうになった時、柳は柔らかく微笑んで真田を見た。
「には紅葉が良く似合う
弦一郎。お前には感謝しているから、もう気に病むな」
唖然として言葉が出ない真田に向かい、柳は笑って告げた。
正室が戻った途端に回復した現金な幸村から許しを貰い、柳は早々に城を退出した。
溜まっている執務は幸村が目を通さなくてはならないものばかりで、今さら城に残って夜明かしする必要もない。
手には城から手折ってきた紅葉がある。
美しい赤の葉に白い餅でも添えてやれば目にも楽しいだろうと、手土産の餅を買い求めてから屋敷に戻った。
だが懐かしくさえ感じる我が邸に戻ると常に出迎えてくれるの姿がない。
聞けば、あまりに顔色が優れないので家人たちが心配して休ませているという。
医者には診せたのかと奥へ足を進めようとすれば、幼い時分から仕えてくれている妙が『恐れながら』と柳を止めた。
「他国の遊女を柳家に迎え入れるという話はまことでございますか?」
「その話を誰から聞いた?」
「大奥様でございます。たいそうご心配されて、何か知らぬかと私に問われたのでございます」
「母上か。まったく、父上は分かったと仰ってくれたのだが」
「では、まことに」
目をつり上げた妙に柳は溜息をついた。
時間があれば母や家の者、もちろんにも詳しく説明できたのだが余裕がなかった。
父にだけは話しておかなければと事情を説明して納得してもらったのだが、聞きかじった母は心配したのだろう。
「遊女を養女にするは嘘ではないが、それは貞治が」
言葉が途切れる。
気配を感じて視線をあげれば、廊下の奥で顔色を失くしたが崩れそうな様子で立っていた。
そして柳と視線があった途端、逃げるように身を翻す。
「奥方様!!」
の存在に慌てた妙の声を後ろに、柳は迷わず後を追った。
柱の陰に消える朱の袖を捉え、焦燥感と共に思わず舌打ちしたい気分だ。
「、待て」
初めて名を呼び捨てしたが、は振り向きもせずに自室に飛び込み戸を閉めてしまう。
僅かに届かなかった柳は勢いで戸に手をかけたものの、ぐっと息を飲み込んで引くことをやめた。
は整わぬ息のまま後ろ手に戸を押さえて唇をかむ。
涙が頬を流れて顎へと滴るが拭うこともできない。
情けで妻にしてもらったのに、いつまでも真田の面影を追いかけたりしたから罰を下されたのだと思った。
夫が養女と名を借りて、好いた遊女を家に入れたとて文句の言える立場ではない。
真の夫婦ではないのだから・・・・
「このままでいいから、俺の話を聞いてくれ」
の肩が揺れた。
戸の向こうからは平素と変わらぬ穏やかな声が聞こえてくる。
力を加えれば直ぐに開けられる戸であろうが、無理強いをしないのが柳らしいと思う。
その優しさが今は余計に辛い。
は涙の零れる面をあげて、先に口を開いた。
「わたくしは構いませぬ」
柳の表情が険しくなったのをは知らない。
「わたくしのような者を妻にして頂いただけでも感謝しております
あとは・・貴方様が心から望まれる方をお迎えになっても」
平気だ、と続く言葉だったのに喉の奥で詰まる。
また愛されなかったのだと思うと同時に、愛されたいと願っていた自分に気づいてしまった。
自分からは愛そうとしなかったくせに、優しい夫には愛して欲しいと浅ましくも願っていたのだ。
愚かすぎて我が身が心底嫌になる。
の震える言葉を聞き、柳は戸に額をつけると一つ息を吐いた。
まだまだ、だった。
なにひとつ手に入れていなかったのだと思い知り、策士の名が聞いて呆れると自嘲する。
それでも諦める気は微塵もない。
気を取り直し、戸の向こうにいる人に伝わることを念じて口を開いた。
「確かに遊女を養女に迎えるが、それは他国に住む友のためだ
貞治・・・友人の乾家はそれなりの家だから、迎えるには名が必要だと頼まれた
言っておくが俺は養女にする娘に会ったこともないし今後も会うことはないだろう」
きっとは聞いている。
その気配を頼りに柳は思いきって秘めていた想いを口にした。
「それに俺はもう望んだ人を妻に迎えた。他は必要ない」
沈黙に怯まず、柳は続ける。
今を逃してしまっては取り返しのつかない事になると勘が働いたからだ。
「茶会で見かけた友の許嫁に一目で心惹かれた
忘れようと思ったこともあったが、諦めきれずに俺が手を伸ばしたのだ
には不幸な事だったかもしれないが、他を想い続ける男と暮らし続ける以上の不幸にはしない」
は口元を両手で覆い、天を見上げた。
心の内はぐちゃぐちゃだ。
信じていいのか、信じられるのか。
疑っているはずなのに胸に灯るような温かさは何なのだろう。
「急がなくていい。少しずつでも歩み寄ってくれれば」
ひとつひとつを言葉にしながら、こんな時には他が認めてくれる才も役立たずだと柳は思った。
真田を不器用だと分析していたが、好いた女を前にしては己も器用とは言い難かった。
幸村にしても、己にしても、本当に欲しいと思う女の前では言葉足らずの子どもと同じかもしれなかった。
そのくせ、がむしゃらに欲しがるのは恥だと大人のような格好をつけるからややこしくなる。
ふっと柳は微笑んで、肩の力を抜いた。
ここで格好をつけて何になる。
「先程のは撤回だ。できたら直ぐにでも弦一郎など頭の中から追い出して、俺と真の夫婦になって欲しい
あれは好い男だが、俺も負けてはいないぞ。それに弦一郎の何百倍もお前を好いている
後々は必ず、俺を夫にして良かったと心から思うに違いない」
、と甘さを滲ませた声色が名を呼んだ。
頬の涙は僅かに乾き、噛みしめていた唇が緩んでほどける。
は乱れた髪を震える手で梳いて衿元を正した。
それは、夫となる人の前では少しでも美しい自分で居たいと思う女心だった。
お慕いしております 柳編 伍
2011/06/28
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