お慕いしております 〜柳編〜 完結
「あなた」
「うん?」
呼ばれて肩越しに顔を向ける柳の羽織を丁寧に直す。
すると我が身に触れる指先を体の向きを変えた柳が取って恭しく唇を寄せた。
「今日は早く戻る」
指先への口づけと共に告げられて、は頬を染めて小さく微笑んだ。
人には話せぬような騒動と一世一代の告白によって、の心は動いた。
前にも増して柳は優しくなり、忙しい時間の合間を縫ってと共にいてくれようとする。
やはり時々は不安になってしまうだったが、疑うのも申し訳なくなるほどに柳は愛情を注いでくれていた。
壊れ物を抱くように優しく触れ、宝物を扱うように大事にされている。
『』
囁くように甘く名を呼ばれるたびに顔が熱くなって、うろたえてしまうのだけど。
それさえも『紅葉のように赤くなって美しい』と柳は笑って言うのだ。
「奥方様、今日はお出掛けされるとか」
妙に声をかけられ、は頷いた。
今日は乾に贈る祝いの品を夫に代わって見に行くのだった。
妙と共に町へ出た。
時間をかけ、納得のいく祝いの品を手に入れることができたは安堵する。
あとは屋敷に戻るだけなのだが、ふと早く帰ると言った夫の顔を思い浮かべて足を止めた。
確か・・この近くに蓮二様が土産にしてくれた餅屋があったような。
赤い紅葉に添えられた白い餅を思い出し妙に尋ねると、すぐそこでございますよと案内してくれた。
いつもいつも何かしら貰ってばかりなので今日は・・と幾つか買い求め、包みを貰って振り返った先。
思いがけない人物が前から歩いてきていた。
向こうも気づいたようで目を見開いているが、の頭は一瞬のこと真っ白になる。
先に妙が馴染みのある姿に気付いて頭を下げた。
「まぁ、真田様。婚礼の時以来でございましょうか。しばらくぶりでございます」
独り身の時は度々屋敷を行き来していた柳と真田だ。
妙はにこにことして偶然の再会を喜んでいる。
真田は妙に対して僅かに微笑んだが、には硬い表情で丁寧な挨拶を述べた。
その姿を見つめているうちに、段々と気持ちが落ち着いてくるのをは感じた。
もう遠い人になってしまったのだと少しだけ切なく、だが前のような苦しみを感じることなく真田を見ていられる。
も丁寧に挨拶を返し、では・・と何事もないように別れようとした。
「殿」
真田が呼びとめてきた。
かつてないことに戸惑いながら振り向くに、真田は少し言いにくそうに間をあけてから唇を開いた。
「以前、殿に差しあげた匂い袋だが」
「は・・い」
衣を縫ったお礼にと真田に貰った匂い袋のことだ。
柳家に輿入れした後も肌身離さず隠して持っていた。
夫と心を通わせてからは、文箱の奥深くに仕舞っている。
本当は捨てなくてはと考えているのだが、思いきれずにそのままだった。
後ろめたい気持ちは否めず、の表情が強張る。
「あれを選んだのは蓮二なのだ」
思いもしなかった言葉には驚いた。
隣の妙は話が分からず、常と違う様子のに寄り添う。
「同じ色の着物を着ていたから好みかもしれんと言って、蓮二が選んだ
中の香も随分と時間をかけて、蓮二が合わせたものだ」
今思うと・・・と真田が視線を空に向けて、それからの顔を見た。
そして笑った。
「よけいなことは言うまい。どうか、幸せに」
初めてみた屈託ない真田の笑みに、も微笑んで頷いた。
別れを告げ、家路を急ぐ。
帰ったら、一番に匂い袋を出して身につけようと笑みが浮かぶ。
それから戻ってきた夫に礼を言い、土産の餅を一緒に食べるのだ。
「あ、奥方様。初雪でございますよ」
妙の言葉に視線をあげれば、一つ二つと雪が舞ってきていた。
「ねぇ、妙。今宵は温かいものにしましょう」
「それはよろしゅうございますね」
「蓮二様は何がお好きかしら?」
「そうでございますね・・・」
子供の頃の話しも交えつつ、妙が柳の好みを教えてくれる。
その声に耳を傾けながらは思った。
これから、たくさん夫を知って
きっと、とてもとても好きになるのだ。
そうして、ふたりで末永く幸せになるのだと。
お慕いしております 柳編 完結
2011/06/28
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