『お慕いしております 〜幸村精市編〜』 伍
「首尾は?」
「上々でございます」
精市の言葉に柳は頷く。
「で、真田は?」
「日を追うごとに口数が少なくなっておりますが」
「そうか。そのうち悩みすぎてハゲるかもな」
嬉しそうに笑った精市は手にした茶碗をゆっくりと唇に運ぶ。
それを横目に見た柳は淡々と口を開いた。
「ところで殿、そのお姿は如何なものかと」
濡れ縁に腰を下ろした精市は、金糸を縫い込んだ派手な打掛を肩に羽織った姿だった。
女物の打掛を縁に広げる背中は、遊女と夜を明かした遊び人に見えなくもない。
重鎮たちが目にしたなら卒倒しそうな格好なのだが、当の本人はまったく気にしていないようだ。
「が動きにくくて邪魔だと言うから預かったんだよ」
「打掛を脱ぎ棄てられた御方様はどちらに」
「さて、そろそろ」
精市が聞こえてきた足音に視線を向けた。
主の動いた視線の先、下働きの女よろしく袂を紐で上げた北の方が盆を持って近付いてきていた。
その後ろを恐縮しきった侍女がついてくる。
「お待たせいたしました」
「待ってたよ」
子どものように手をたたく精市の前に置かれたのは、存在感のある握り飯だ。
表情を動かすことなく握り飯を見つめる柳の前で、精市は早速手を伸ばして大きな口を開けた。
「わたくしが握りましたの。よろしかったら柳殿も」
「いえ、御方様自らが握られたものを頂くわけには」
戦場でもないのに、主の皿から握り飯を貰うなどできはしない。
ましてや握ったのが御正室であっては、恐れ多いというものだ。
常識的に遠慮する柳に対し、ふたりは大らかだ。
「いいじゃないか。うまいぞ、これ。ほら、ひとつ食べてみなよ」
「ついつい作りすぎてしまったのです。殿おひとりでは食べきれません」
「そこまでおっしゃるのでしたら、遠慮なく」
柳は丁寧に頭を下げると握り飯を一つ手に取った。
一口を噛みしめ、なるほどと思う。
塩加減もさることながら、硬すぎず柔らかすぎずの美味い握り飯だ。
いつも食が細くて厨の者たちを泣かせている精市が、重量感のある握り飯を苦にもせず食べていた。
「お上手ですね。御方様の腕前に感服いたしました」
お世辞ではなく柳が褒めると、肩の紐をほどくが驚いたように目を丸くする。
その表情に隣の精市は声を上げて笑い、次の握り飯に手を伸ばしながら揶揄するように言う。
「ほら、だから君の握り飯は絶品だって言ってるじゃないか。ちっとも信じないんだから」
「し、信じてないわけではありませんが・・・握り飯などは誰が握っても同じかと思いまして」
「違うよね、柳」
「まぁ、そうですね。硬く握りすぎていると触感が悪くなりますし、柔らかすぎると崩れます
微妙な力加減が大事でしょうね。素朴なものだからこそ、塩加減なども大事になりますし
その点から考えて、御方様の握られた握り飯は逸品に値すると思われます」
「ほらほら、の握り飯は逸品だ」
手放しで褒める二人を前に、は自分の頬が熱くなるのが分かった。
思わず頬を両の手で押さえると、その仕草に気付いた精市が目を細めて微笑む。
「赤くなって、可愛い」
「からかわないでください」
「本当に可愛いんだって。ねぇ、柳」
「・・・そろそろ私は失礼を」
黙々と握り飯を食べきった柳はそつなく頭を下げると腰を上げた。
精市の笑い声との焦った声が庭に広がる。
廊下の途中で振り返った柳は、ふっと口元を緩めた。
病に罹ってからの主は何事にも執着しなくなったと思う。
もともとの性質からして何かに酷く執着するということはなかったにしても、顕著になったのが生死をかけた病からだった。
神の子とも呼ばれた精市の天才的な戦運びと剣の腕。
常勝が当たり前だった幸村家を襲った最大の不幸であった。
幼い時から小姓として傍に仕えてきた柳と真田たちが、必死に踏ん張って今の幸村家がある。
あの病で精市を失っていたとしたら・・・考えるのも恐ろしい事態になっていただろう。
だが死地から戻ってきた精市は何かが変わっていた。
柳は『まるで風のようだ』と思う。
確かに存在しているのに掴みどころがなく、自由で、それでいて儚い。
なんとしても彼の人をこの世に繋ぎとめておかなければと焦燥感を感じてしまうのだ。
その精市が珍しくこだわっているのが真田と妹君の身分違いの恋。
本当であれば御自分に関心を向けて欲しいところなのだが、まずは願いを叶えなくてはならない。
柳が策をめぐらせているうちに、精市は自分の婚姻を餌にして重鎮たちに無理を通してしまった。
いくらなんでも自らの生き方に執着がなさすぎだと柳は内心で呆れた。
真田がコトの真相を知った日には、腹を切ると言いだしそうな気さえする。
案の定・・姫は輿入れしてきたものの、どうも夫婦は本当の夫婦になっていない。
仲睦まじく装ってはいるが、精市が正室の部屋で夜を明かすことなど一度もなかったからだ。
姫様を真田に嫁がせた後、殿は姫様と離縁する気なのでは。
そう、柳は考えていた。
「ふむ。俺の勘が当たるか、外れるか」
ひとり呟いて、柳は仕事の待つ執務室へと足を向けた。
余ってしまった握り飯を手に、は離れに住む義妹のもとへ顔を出した。
精市から『絶対に気が合うだろうから』と言われた義妹は、なるほど自分と性質が似ていた。
あっという間に打ち解けた二人は、今では本当の姉妹のようだと噂されている。
「わたしは姉上が羨ましい」
握り飯を見つめて呟く義妹に、は黙って耳を傾ける。
「兄上に心から望まれて輿入れなさってきたんですもの
姉上以上の姫はいない、姉上以外は絶対に娶る気はないと宣言されたそうですよ?
それほどまでに求められて嫁ぐのでしたら、女に生まれたことも幸せです」
「そ・・そうかしら?」
自分は別の意味で望まれたのだ。
強く求めたのは、無茶な要求を重臣たちに飲ませる為の策。
曖昧に笑うしかないの前で、身分違いの恋をする義妹は物憂げな溜息をつく。
「跡部様など妻になる相手にまるで興味がなさそうで
それはお互い様なのだけれど・・・そんな心の通わぬ婚姻に意味があるのか」
それは跡部様に元から妻に迎える気がないからですよと、心の中で独り言。
「好いた男とも添えぬ世ならば、いっそ出家でもしてやろうかと」
「出家は退屈だそうですよ?馬にも乗れないし、刀も振れない。一日中、辛気臭い仏様の顔を見て過ごすだけだと」
つい精市に言われた言葉を思い出して口にすれば、義妹は目を丸くした後に声をたてて笑った。
「ほんに姉上は面白い方ですね」
「・・・殿ほどではございません」
そう忠告してくれたのは、あなたの兄上です。
溜息を飲み込んで庭を見る。
すると遠くに、歩く真田の姿が見えた。
「姫、真田殿が」
「え?」
視線を上げた義妹が途端に落ち着かなくなる。
は目を細めると、まだ手付かずの握り飯を差し出した。
「殿と柳殿が美味しいと褒めてくれたのだけど、真田殿にもどうかしら?」
「よいのですか?」
「どうぞ姫がお持ちください」
「ありがとうございます」
頬を染めた姫は嬉しいそうに頭を下げると直ぐに真田を追って行った。
その背を見送って、は少しだけ寂しく思う。
誰かを慕う、誰かに慕われる。
それはきっと・・・とても幸せなことなのだ。
「羨ましいのは、わたくしのほうですよ」
の呟きは誰もいない室に溶けて消えていった。
お慕いしております〜幸村精市編〜 伍
2010/05/26
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