『お慕いしております 〜幸村編〜』 陸
ふらふらと供もつけずに城下を歩いていた精市。
慌てた家臣たちの姿を遠目に見つけると、するりと脇にあった店へと入りこんだ。
「いらっしゃいまし」
明るく声をかけられ見渡せば、そこは櫛や簪を売る店だった。
ふらっと入ってきた美しい男に、店にいた女たちが目を丸くしている。
場違いな店に入っちゃったな。
頭をかいた精市だったが、だからこそ追っ手の家臣には見つからないだろうと思う。
暫し此処で時間を潰させてもらうかと品物に近付くと、商売上手そうな店主が声をかけてきた。
「今日は何をお求めに?」
「そうだねぇ」
思案している精市の横顔に店の者たちは見惚れているのだが、本人はまったく気づかない。
目立たぬよう着流しで出てきた精市だが立ち姿にも品があり、どこぞの若様に違いないと店主は頭の中で算盤を弾いていた。
「妹、いや・・・妻に何かを贈ろうと思って」
「奥方様に。はいはい、ではこちらなどいかがでしょうか」
なんとなく思いついて口にしたのだが、愛想良く店主が並べる櫛や簪を見ると気分が浮き立つのを感じた。
時間潰しが満更でもなくなった精市は一つ一つを手にとっては考える。
さて、我が姫は何が好みかな。
口のうまい店主にほだされ、なにやら自分が妻思いの良い夫のような気になってきた。
「これ綺麗だね」
きらきらと輝く繊細な銀の簪を手に笑みが零れる。
あの艶かな黒髪を結いあげて簪を挿せば、さぞかし映えるだろうと思うのだが。
「でも、飾りが多いのは嫌がりそうだな」
「そうなのですか?この銀細工は大そう良いものですが」
「ジャラジャラしてるの嫌いそうなんだ。やっぱり櫛かな。櫛なら邪魔にされないだろう」
「奥方様は飾るのがお好きではないのですか?」
「そうだね。そういうのがついてると動きづらいんだって」
「はぁ」
店主が呆れた顔をするのに、精市は笑いをかみころした。
あれでもこれでもないと随分と時間をかけて選び出したのは漆に花菖蒲の描かれた櫛だ。
黒地に紫の花は落ち着いていて派手さはなく、それでいて品の良いものだった。
これなら喜んでくれるだろうと満足して、品物を受け取り外へ出たら日が暮れかかっていた。
「あれ、随分と時を食っちゃったな」
櫛選びに何刻を費やしたのだろう。
あっという間だったことに苦笑して、精市は急ぐでもなく城へ帰っていった。
真田の説教は長い。
おまけに同じことを繰り返し言うので飽きてくる。
しかし段々と真綿で絞めてくるような柳の説教よりはマシなので黙って聞くことにしていた。
「殿、聞いておられますか!」
「真田さぁ、女に櫛を買ったことがあるか?」
「は?」
「ないだろうね。あれ、楽しいよ。お前も行ってみたら?」
「そ、そんな話をしている場合では」
カッと頬を染めて怒りだす真田の肩を柳が宥める。
「殿は御方様のもとへ行きたくてたまらないんだ」
「御方様の?」
眉根を寄せる真田の隣で、柳は分かりきった表情だ。
精市は相好をくずすと「ねぇ、どうやって渡すといいかな」と子どものように声を弾ませた。
はたして突然に高価な櫛を差し出されたは、それはもう唖然と精市の手元を凝視していた。
そして開口一番は精市に精神的打撃を与えるのだ。
「無駄遣いなのでは?」
溜息と一緒に肩を落とし、目に見えて落胆した精市の様子には焦る。
「え、絵柄は素敵ですよ。色合いもいいし。それに花菖蒲は私の好きな花です」
「本当に?」
「ええ。だから独りで花菖蒲を見に行ったのですから」
「じゃあ、気にいってくれるよね?」
復活した精市が顔を輝かせるのに、はつい苦笑いを零す。
無駄遣いと思ったのは本心だ。かりそめの妻に大金を使うこともないだろうにと思ったから。
けれど明らかに落胆したり、喜んだりする姿を見せられては「要りません」とも言いにくい。
たしかに花菖蒲が描かれた櫛は美しい。
「もったいないですが」
「もったいなくないよ。それにいつも握り飯を作ってくれるお礼だから」
「それはたいしたことではございません」
「いいから。ほら、櫛を使ってみてごらんよ」
言うなり精市はの後ろにまわりこみ、止める間もなく黒髪を櫛で梳き始めた。
突然のことに慌てるだが後ろから肩を押さえられては抗えない。
「動かない」
念押しされては居心地悪く腰を落ち着けたが、精市は鼻歌まじりにご機嫌だ。
いつもは侍女が梳いてくれる髪を仮の夫とはいえ男に触れさせる。
意識すれば顔が赤くなるのを止められず、は俯き加減で恥ずかしさに耐えるしかない。
精市も赤く染まっていく妻のうなじに気がついた。
軽い気持ちで始めたことだが、自分も何だか照れてきた。
だけれど手は止まらない。掌を滑っていく絹のような手触りが心地よくて止められないのだ。
「綺麗な髪だ」
「は、はい?そ、そのようなことはないと思います。特に手入れもしておりませんし」
「ううん。とても綺麗だよ」
高貴な姫のように香油で束ねていない髪は自然で美しい。
褒められたの顔は更に熱くなり、後ろからは耳まで赤くなったのが分かる。
ああ、可愛いな。
媚びたり、自分を飾ったりしない人だから、素直に可愛い。
精市は柔らかな表情で何度も何度も髪を梳く。
茶を運んできた侍女は、あまりに仲睦まじい夫婦の姿に黙って踵を返して行った。
それから櫛はいつもの懐にある。
誰に見せるわけでなく、髪に飾るわけでもなく、それでも大事にされている櫛に精市は満足だ。
はで、段々と慣れていく幸村家の生活に戸惑っていた。
妹思いの兄だ。もともとが優しい性質であろう精市は、演技ではなく正室のを大事にしてくれる。
好きなようにすればいいとの言葉通り、が望むことは何でも許してくれた。
剣の稽古相手に真田をつけてくれたし、のために良い馬も求めてくれた。
学びたいと言えば柳が快く相手をしてくれる。
厨に立つのも、片付けも、今では侍女も諦めて黙認してくれるようになった。
居心地が良ければ良いほど、は自分の置かれた立場が心苦しくなるのだ。
「来年には赤子のむつきを縫いとうございますね」
「ほんに。御方様の御懐妊が待ち遠しい」
侍女たちが針仕事をしながら話すのを聞いてしまった。
出来たての饅頭を振舞うつもりが、つい足音を忍ばせて逃げてしまった自分が情けない。
皆を騙している。
それが心に重く圧し掛かり、常に心は晴れない。
「」
盆を持ったまま廊下の角を曲がったところで、向かってくる精市に名を呼ばれた。
強張ったの表情に気付きながら、精市は常と変わらぬ笑みを浮かべる。
急ぐでもなく近付いてくると湯気の立つ饅頭に目を細めた。
「美味しそうだね。ひとつ貰おうかな。いい?」
力なく頷いたは自室へ精市を案内する。
その背中をながめ、精市はらしくもない溜息をついた。
美味しそうに饅頭をほうばる精市の姿に、多少沈んでいた気持ちが浮上してくる。
おおらかなのか繊細なのか、大人なのか子どもなのか、どうにも掴めない人ではあるが嫌いではない。
城に住む誰もが敬い、慕っているのだから、悪い人であるはずがなかった。
だからこそ思うのだ。
自分のような女が、この幸村の家に正室として存在していいはずがないと。
「殿・・・お願いが」
「却下」
「はい?」
茶を差し出すのと同時に開いた口が途中で止まる。
「まだ駄目だよ。真田に妹を嫁がせるまでは必要な駒なんだ、君は」
向けられた精市の目は鋭く、氷のように冷たい。
普段とはまったく違う空気を纏った精市。
は息を吸ったまま吐けなかった。
しかし、動揺は瞬き一つで胸の内に仕舞い、小さく手をついて頭を下げる。
「申し訳ございません。つい・・あまりに心根の良い方ばかりに囲まれて心苦しくなりました」
駒なのだ。
自分は物事を上手く運ばせるための、一つの駒にすぎない。
この方にとって必要なのは駒であって、私ではない。
何故か喉の奥が熱くなるのを感じて、息を飲み込む。
そんなの頭を大きな温もりが撫でた。
顔を上げれば、いつもの精市に戻っている。
意外にも悪戯をして叱られた子どものように眉を下げ、困ったように笑うのだ。
「心の真っ直ぐな君に嘘をつかせることを悪く思う
もう少しだから俺の我儘に付き合って・・我慢してくれるかな?」
の畳についた手に雫が落ちてきた。
あれと疑う間もなく、伸びてきた白い指がの頬に触れる。
「泣かないで」
自分は泣いているのか。
自覚した途端、あとからあとから涙が溢れてきた。
なにが悲しいのか、何故に涙が出るのか分からない。
ただ感情が勝手に零れ落ちてきたかのようだ。
「も・・申し訳ござい」
謝罪を口にするの肩を精市は抱き寄せた。
そのまま自分の胸に彼女の額を押しつけ、艶やかな黒髪に頬をよせる。
「悪いのは俺だ。ごめんね」
慰めるように髪を梳き、肩を抱く。
腕の中の人が涙を堪えて震えているのが切なくて、自然と力がこもった。
は仮の夫の胸に抱かれながら、そっと自らの懐にある櫛に手を当てた。
櫛を髪に挿さないのは、いつかお返しする日が来ると思っていたからではないか。
そんなことも忘れそうになるほど優しくしてもらっていたのだと・・・
は涙が止まらなかった。
お慕いしております 〜幸村精市編〜 陸
2010/06/01
戻る お慕いしておりますTOPへ 次へ