『お慕いしております 〜幸村精市編〜』 質










「殿、このままでは姫が跡部家に輿入れしてしまいます」
「そうだね」



脇息に頬杖をついて庭を眺めている精市に柳は溜息をつく。
机上に広げられた紙は白いまま、数刻前から使われていない墨は乾き始めている。


現実になりそうな勢いで進む婚儀なのだが、企てた本人に意欲がない。
花嫁道具が揃うにしたがって沈んでいく姫と苦悩の色が濃くなっていく真田。
そろそろ限界なのではと思うのだが、他にも解決せねばならないことができたらしい。


ふむ、と柳は頷いた。



「てっとりばやく弦一郎の尻を叩くとしましょう」
「ん?」



はじめて気付いたように顔を向ける精市に、柳は表情を変えずに続けた。
解決できるところから片付けていくのが良いでしょうと。


嫁にくれと真田が頭を下げたら解決だ。
扇子を開いては閉じ、閉じては開きを繰り返しながら精市は考える。


目的は妹を臣下の真田家に嫁がせることだったはずだ。
もうひと押しで願いは達成てぎるはずなのに、これはどういうことだろうと思う。


妹を好いた男のもとに嫁がせてやりたい、その気持ちに変わりはない。
だが・・妹が嫁げば、きっとは自分のもとを去ってくのだ。


その一点が精市の心を曇らせる。


気丈なが泣いていた。
段々と周囲を偽ることが苦しくなってきたのだろうことは予想できた。
女の身でありながら自分に正直に生きたいと願った姫だ。
だからこそ『嘘』は善意で接してくれる者に対して辛く感じるのだろう。


離縁を口にされるのが嫌で、つい冷たい言葉を吐いてしまった自分を後悔している。
駒などと言うつもりはなかったのに。



「泣くほど嫌なのかな・・・」自分の妻でいることが。



精市の呟きに思考を止めた柳は、顎に手をやり「重症だ」と息を吐く。
そんなことも気付かないほど精市は考えこんでいた。





その頃、の室には婚儀を目前に控えた義妹がやってきていた。



「わたくしは出家することに決めました。今から参りますので、姉上には最後の御挨拶を」
「お、お待ちなさい。殿には相談なされたのですか?」



義妹は勇ましい袴姿でとんでもないことを言う。
さすがのも顔色を失くして引きとめた。



「いいえ。兄上は自分さえ幸せなら妹のことなど、どうでもよいのですから」
「それは違います!!殿ほど姫の幸せを考えておられる方は他におりません!」


「姉上には分からぬのです。望まれぬ人のもとへ嫁ぐぐらいなら、仏に嫁ぎます」
「わ、わたくしは殿に望まれてなどおりません」



あっと思った時には、売り言葉に買い言葉で真実を口走ってしまった。
青ざめるに対し義妹は悲しそうに首を振る。



「慰めて下さらなくても良いのです
 兄上がどれほど姉上のことを想っているか・・傍で見ていれば分かりますから」


「それは思い違い・・・」


「お分かりでないのですか?姉上がお傍にいる時の兄上のお顔、
 いつも楽しそうで、子どものようにはしゃいで、甘えて。あんな兄を私は知りませんでした
 穏やかな中にも厳しさがあって、常に幸村家を背負う者として立っておられたのが私の知る兄です」



言葉が継げないに、姫は寂しそうに微笑む。



「あんな気難しい顔をした弦一郎殿も・・・わたしの前では優しく笑ってくれるのですよ」



ああ、とは櫛の納まった胸をおさえた。


本当に心から好きあった二人なのだ。
殿が添わせてやりたいと強く願ったお気持ちが理解できる。それならば。



は居住いを正し、まっすぐに義妹を見た。



「姫。ここは、おなごから参りましょう」
「おなごからとは・・・」


「受け身ばかりでは幸せは掴めませぬ。姫から真田殿を攻めるのです」
「攻める!?」


「真田殿の姫を想う気持ちに賭けましょう」



暗く沈んでいた姫の瞳が輝きを取り戻す。
は力強く頷くと姫に何事か耳打ちし、打掛の裾を美しく翻して立ち上がった。





真田と柳、そして姫の言い争う声が聞こえてくる。
閉じた襖の前に精市は立ち、その脇には静かに座して待つがいた。



「君は・・・」



不意に精市が話しかけてくる。
仰ぎ見ると襖に向く精市には普段の柔らかな笑みがなかった。



「この城を出ていくのか?」



は視線を戻し、薄暗い室の壁を見つめる。
廊下では涙声の姫が真田に想いのたけをぶつけていた。



「短い間でございましたが・・お世話になりました」



が畳に手をついたのと精市が襖を開けたのは同時だった。



「情けないぞ、真田!」



室から足を踏み出して一喝する精市の背中に、ゆっくりと頭を下げただった。




















お慕いしております〜幸村編〜 質 

2010/06/03




















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