『お慕いしております 〜幸村精市編〜』 捌











跡部家との婚儀が、いつのまにか真田家になっていた。
事の真相を知らぬ者たちは大いに驚いたのだが、謀に関わっていた重臣たちにより婚儀は滞りなく行われた。


そう、すべては精市の願った通りになったはずだった。



「九分九厘、後悔されているな」



柳の言葉など聞いているようで聞いていない精市。
反対に城主から姫を賜った真田は「俺のことか」と狼狽する。


溜息と共に、やっと精市は重く筆を滑らせはじめた。
白い紙に綴られていく自らの文字に今更ながら深く後悔した。





閉め切った室に屋根をうつ雨音が響く。
用もなければ侍女もいない。
薄暗い室内はすっかり片付けられて、
妻が残していった物は触れもしなかった琴と・・・もう一つ。


精市の懐に戻ってきた漆の櫛だけだった。



『櫛・・本当は嬉しかったです』
『なら持っていればいい』



いいえ、と最後まで首をたてにはしない。



『わたくしには身に余るものでございますから
いつか殿が心から愛しいと思える姫に出会ったら差し上げて下さい』



そう言って、は風に揺れる花のように微笑んだ。



表向き、正室は里に下がっただけだ。
御懐妊ではなかろうかとの噂も流れている城内で、まさかこのまま離縁になるとは誰も考えていないだろう。
今朝のこと精市がしたためた文を送れば、離縁は現実のものとなる。


畳に腰を下ろした精市は項垂れて一つ息を吐く。



「君に似合うと思って選んだのにね」



呟いて、精市は懐の櫛に触れた。





同じ頃の家では抜刀した父、その父を後ろから羽交い締めにして止める兄たち。
おろおろとして涙する母と青くなる義姉。


だけが凛として父を見上げていた。



「なにが離縁じゃ!!お前はこの家に泥を塗るつもりかっ」
「わたくしが離縁されたとて誰も驚きはしないと思いますが」


「驚く、驚かんの問題ではないっ今すぐ戻って幸村殿に許しを請うのだ」
「幸村様に許しを乞うようなことは致しておりませぬ」


「どの口がそのような生意気を。ええい、家の恥じさらしは、この父が切ってくれる」
「受けてたちます。えっと、誰か刀を貸して」



が立とうとすると兄たちが慌てて父との間に入ってきた。
長兄が冷や汗をかきながら後ろを振り返り、お前は室で謹慎だと怒鳴る。


次期当主の兄に命令されれば引き下がるしかない。
は丁寧に頭を下げると父の罵声を背にして自分の部屋に下がった。



連日のように繰り返される『帰れ』『帰りません』の問答にも疲れてきた。
生まれ育った城だというのに、少しばかり嫁にいっていたうちに居場所がなくなってしまった。
かえすがえすも軽率なことをしてしまったものだと悔いてしまう。


外は雨。
昼間だというに暗く、空気がひんやりとしている。



「殿がお風邪など召してなければよいのだけれど」



食が細くて困っているのだと厨の者がぼやいていた。
少しでも食べて欲しくて自ら台所に立った日が懐かしく感じられる。
作った握り飯を子どものように喜んで食べる姿。
と名を呼び、いつも目を見て話し、笑ってくれた。


ひとつの駒ではあったが、精市が与えてくれたものは温かく優しいものだった。



『御方様』



城に仕える者たちが大切にしてくれた正室の呼び名。
真の妻として嫁いでいたなら、皆の想いに応えることもできただろうに。
あんなもに嫌っていた女の役割を果たせなかったと、悔いる自分はどうかしていると思う。


でも・・・義妹と真田の恋に少しだけ夢を見てしまったのだ。
心から請われ、想い、想われて真に仲睦まじい夫婦として生きられたなら、さぞかし幸せだろうと。



寂しくなった懐に手を添え、は軒から落ちる雫を眺めて過ごす。
規則的な雨音に不思議と慰められる心地がした。





「これを家に」



差し出された書状に真田は目を見開いたが、柳は眉ひとつ動かさずに受け取った。
我に返った真田が口を開くが、隣からスッと柳の手が伸びてきて制される。


精市は静かに頷くと「頼むね」と微笑んだ。



室を出て声の届かぬ場所にきた途端、真田は柳の前に立って睨みつけた。



「どういうことだ」
「どうもこうも話せば長い」


「長くても話せ」
「うむ。事の発端は弦一郎、お前だからな」



その言葉に真田が眉を寄せる。
柳は託された離縁状の文字に目を落とし、それから事の詳細を語り始めた。


人も通らぬ端の室で、柳と真田は向かい合って座している。
拳を握りしめた真田の唇は真一文字に結ばれ、奥歯を食いしばっているのが見て分かった。



「俺のせいで・・・」
「確かにお前のせいではあるが、瓢箪から駒が出たんだよ」


「駒?」



表情を緩めた柳に、真田は首をかしげて問う。



「お前が殿に恩を返す絶好の機会だぞ」



にっこりと微笑んだ柳が若干不気味だが、とにかく恩を返せるならばと真田は膝を進めた。



そのすぐ後だ。
のもとに急を知らせる文が届く。



精市の病が再発したという報せだった。




















お慕いしております 〜幸村精市編〜 捌 

2010/06/07




















戻る     お慕いしておりますTOPへ     次へ