real 3










忍足の女はイライラするほど意思表示をハッキリしない女だった。


さっきの女達に心当たりはあるのかと聞いても曖昧に言葉を濁す。
とにかく手当てをしてやるからついて来いと言っても、消え入りそうな声で遠慮しているようだがハッキリしない。


俺は『イエス』か『ノー』を直ぐに欲しい人間だ。
煮え切らない態度の奴を見ると短気が出てしまい、ならば答えは俺が決めてやるになってしまう。
女からしたら何が何だか分からないうちに車に引きずり込まれて連れてこられた・・・そんな感じだろう。


自動で門が開くのを待つ間から、女は目が丸くなっていた。
玄関前で車を降りて、出迎えの使用人に女の手当てを頼む。
丁重に中へと促されるのに、女は困惑した顔で俺に縋るような視線を向けてきた。



「なんだ?」
「あ・・あまりに立派なお家で・・どうしていいか。」


「なんだ、そんなことか。別に見てくれは大きいが中はフツーだろ。
 とにかく手当てを先にして貰えよ。俺は着替えてくる。」



家の雰囲気に圧倒されているらしい女を残し、俺は自室に向かうと着替えを済ませた。
暫くして客間に下りていけば、猫の子を借りてきたような女がソファに小さくなって座っている。
目の前には紅茶と焼き菓子が出されているのに手をつけていなかった。



「どうだ?手当てしてもらったか?」


「はい・・・ありがとうございました。それで・・あの、私やっぱり帰ります。」
「ここまで来て、それはないだろう。」


「でも、」
「来いよ。向こうにピアノがある。」


「あ、あの・・」
「一曲でいいんだ。助けて貰ったお礼だと思えばいいだろう?」



そう言って笑ってやると、は観念したらしい。
ぎこちなく立ち上がると俺の後ろについてきた。










軽く鍵盤を叩けば澄んだ音がした。
を振り向けば、驚いたように室内を見回している。



「すごい・・・個人の家にこれだけの設備があるなんて。」


「グランドピアノは調律できているし、室内は完全防音だ。
 後ろの棚には、だいたいの楽譜なら揃っている。どれを使ってもらっても構わない。」



はふらふらっと棚に向かい、溜息と共に楽譜を見つめる。
あ・・と小さな声をあげては楽譜を抜き出し、集中して譜読みしている姿には笑ってしまった。
一瞬で緊張や困惑は忘れてしまったようだ。



「楽譜はどれでも持って行っていいから。とにかく弾けよ。遅くなっちまうだろ?」
「あ・・・はい。」



言われて我に返ったらしいは、おどおどとピアノの前に腰をおろした。
少し指を動かしてから、軽く鍵盤にタッチして何音か出す。



「手入れが行き届いてるんですね。あなたが弾いてるんですか?」
「俺は中学で辞めた。俺こそ趣味みたいなもんだ。」


「そうなんですか・・・あの・・何を弾きましょう?」
「へぇ。リクエストに応えてくれるのか?」


「私が・・弾けるものなら。」


「そうだな。じゃあ、リストを。ラ・カンパネラでも弾いてもらうか。」



が俺を見て頷いた。
これも簡単な曲じゃない。
だが、素直に頷いたところをみると技術的には問題ないようだ。



気負いもなく、なんでもないように弾き始めた女。
だが直ぐに俺は息を止めることになる。



コイツは本物だ。



近くで聴くからこそか、腹の底から湧き上がってくるように音が広がる。
指の先まで電流が走っていくように音が駆け抜けて俺を満たしていく。


は美しかった。
さっきまでの女とは別人かと思うほど、喜びに輝く瞳で情熱的に音を紡いでいく。
肩に流れる髪も、琥珀の瞳も、僅かに上気した頬も、流れるような指も・・・全てが美しかった。



ああ、もう終わっちまう。
もう少し・・・聴きたいのに。



最後の音が消えた時、俺は無意識に溜息をついていた。
それでも素晴らしい演奏に拍手を送れば、今ごろ俺がいるのに気がついたみたいにが振り返る。



「なんだ、俺が居るのも忘れて弾いてたのか。」
「す・・すみません。あまりに気持ちよくて・・つい。」



クッと笑いが漏れる。
面白い女だ、コイツ。



「もう一曲と言いたいところだが、遅いとお前が困るだろう。家まで送ろう。」
「い、いえ。一人が帰れます。」


「ばーか。もう外は真っ暗だ。何かあったら忍足に申し訳ないからな、送ってやる。
 楽譜、いるヤツがあれば持っていけよ。」


「でも・・」
「くれてやってもいいが、気になるなら貸してやる。」


「ほ、本当に?あ・・あの、隣のCDは・・・」
「好きなだけ持って行けよ。」


「ありがとう!必ず返します!」



が頬を紅潮させて子供みたいに笑った。
すごくすごく嬉しいと、あまりに純粋に喜ばれて俺のほうが面食らう。



「これ、もう廃盤になったやつで珍しいぜ。」
「ホントだ!ずっと聴きたいと思ってたの。嬉しい・・・」


「コレもだ。コイツはお前の弾き方に似てるかもな。聴いてみろよ。」



一つ一つに目を輝かせて反応する姿が微笑ましいと思った。
あんなに印象の薄い女だったはずなのに、目の前で夢中になっている姿は可愛らしいとさえ思う。



「でも、こんなには借りれないし・・・」


「次の時にすればいいだろ?」
「次の時?」

「こんな荷物になるものを学校で返されるのも迷惑だ。
 借りたものは返しに来いよ。そして、また次のぶんを借りていけばいいだろう?


 俺はまた・・お前の弾くピアノが聴きたい。」





俺の顎までしかないが見上げてくる。
その瞳に躊躇いと一緒に見え隠れする希望と期待。



「ピアノ・・・弾きたいんだろ?」



お前なら誘惑に負けるだろう。
弾くのに飢えているみたいな、そんなお前だから。



コクリとが頷くのを見て俺は満足した。



帰りの車中、俺は気まぐれでの隣に座っていた。
運転手に送らせることにして、俺は玄関で別れてもよかった。


だが俺の我儘に付き合わせて随分と遅くなってしまったし、
場合によってはの親に頭を下げてやった方がいいかと思ったのが一つ。
二つ目はという人間をもう少し知りたいという欲求があった。



「あんなに弾けるのに、なぜ表に出ない?何か理由があるのか?」



藍色の闇の中を走る車の中で、街の灯りに照らされるの横顔に問いかけた。
は俺を見ないで首を横に振る。



「私は・・ただ好きで弾いているだけです。」
「好きでそれだけ弾けりゃ万々歳だろう?音楽の道には進まないのか?」



コクリとが頷く。
大きなお世話だと思いながらも俺は訊かずにいられなかった。



「何故だ?」



が少しだけ笑った。
車内が暗いせいだけじゃない。光りを失った諦めの微笑みだった。





















『real』 3 

2007.03.17




















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