real 4
朝練で忍足と顔を合わせた俺は昨日の事を話した。
忍足は眉を寄せると「しもうたな・・・」と苦々しく呟く。
俺の予想通り、は嫌がらせをされている事実を忍足に話していなかった。
「やっぱり、お前がらみか?」
「それは分からへん。けど・・・が俺に言わん理由は多分ソレやろうな。」
「なんでだ?女にだらしない男のせいで苦労してんだから、テメェに文句を言うのが先だろう?」
「それは跡部の考え方やろ?はな、俺に心配かけるくらいなら黙って我慢しようって思うタイプやねん。
なんていうか・・・自己犠牲っていうか、自分さえ我慢すれば済むみたいなところがあってな。
せやから人前ではイチャイチャせんように気をつけてたんやけどなぁ。」
「バーカ。周囲を欺くつもりなら、徹底的に隠し通すぐらいやれ。
人に紹介やらしてるところが、お前の甘いところなんだよ。」
「そうやなぁ。」
忍足はレギュラージャージに袖を通しながら溜息をつく。
あの女は、どう考えても自分から立ち向かっていける人間ではない。
おどおどした態度が余計に神経を逆なでして苛められるタイプだろう。
「お前にしちゃ、珍しい女だな。俺は見てるとイライラするが。」
「そうか?なんていうか・・・綺麗でお洒落で甘え上手みたいな子に厭きたっていうのもあるかもな。
たまたま転入してきた時に俺の隣の席へきたんやけど、清楚で物静かな子でな。
色々と慣れん環境で困ってるのに、人に甘えるのが下手で苦労してた。
見かねて声をかけるようになったんやけど、ふとした時に『ありがとう』って笑うてくれた。
ニコッて、そりゃもう可愛らしくな。その時にきたな、ビビビ・・・っと。」
「おめでたいな。」
ビビビ・・とやらを人差し指を立てて表現する忍足に嫌味を言ってやるが通じてない。
忍足は恋人の表情を思い出しているのか、デレデレと口元を緩めていた。
「俺な、初めて自分から告ったんやで?なんやもう、試合前よりドキドキしたわ。」
「お前が試合前にドキドキするとは初めて聞いたぜ。常にニュートラルだと思ってたが?」
「せやなぁ。」
「馬鹿。ちっとは、テニスも本気でやれよ。才能の持ち腐れだ。」
俺が忍足の才能を惜しむ言葉を吐くと、奴はいつも困ったように・・・それでいて少し嬉しそうに笑う。
認められるのが嬉しいのなら、もっと努力をすればいい。
いや、しているのは知っている。
部活の後、更に別の場所で練習しているだろう忍足の努力に気づいてないわけじゃない。
だからこそ、もっと・・と思ってしまう。
忍足は今より上を目指せる力があるのだ。
俺と肩を並べるほどに上がってきて欲しい。
そう願うから俺の言葉がキツクなるんだ。
「とにかくを守ってやらんとなぁ。」
「それとな、」
「侑士!早く来いよ、行くぜ!」
もう一つ忍足に言いたいことがあったが、向日の大きな声に遮られた。
忍足は慌ててジャージのファスナーを上げると、俺に向かって「跡部、ありがとうな!」と残して部室を出て行く。
言いそびれてしまったピアノの件を喉の奥に引っ掛けたまま、俺もジャージに袖を通す。
まぁ、いいか。別にやましい事はない。
俺が言わなくてもから忍足に話すだろう。
その時の俺は自分に言い訳していることに気づいていなかった。
「跡部、頼んだぞ。」
「はい。」
教頭に差し出された書類を受け取り職員室を後にする。
時計を確認し、部活の残り時間が少ないことに溜息が出た。
生徒会の仕事まで背負うことはないだろうと宍戸は言うが、そうもいかないのが跡部の家だ。
理事会に名前を連ねる跡部家の息子は学校でも常にトップでなくてはならない。
テニスだけに専念できたら、どんなに楽だろうと思うが仕方ない。
やるからには完璧にこなす。それが俺の信条だ。
階段を降りようとして足が止まった。
あの日と同じ、上階から僅かに漏れ聞こえてくるのはピアノの音。
そういえば今日は吹奏学部の練習がない日だ。
俺は緩む口元をそのままに体の向きを変えて上階を目指した。
思ったとおりの人物がピアノに向かっていた。
今日のは練習をしているらしい。
難しい顔をして楽譜を睨んでは同じ箇所を何度も何度も繰り返し弾いている。
納得いかないらしい。
溜息をついては頭を横に振り、ブツブツと呟いては弾く。
また止めて、楽譜を睨む。
まるでピアノを習い始めた子供みたいな、ひたむきな練習風景だった。
コンコンと軽く扉を叩けば、気づいたが顔を上げる。
俺の姿を認めると明らかに『見つかってしまった』という気まずい顔をするから笑ってしまった。
「まるで隠れて機を織る鶴みたいな奴だな。」
「え?」
はキョトンとした目をしたが、直ぐに意味が分かったらしく困った笑顔を浮かべる。
俺はピアノに近づき楽譜を覗き込んだ。
「この前、うちから持っていったやつか。」
は俺の貸してやった楽譜をコピーしていた。
その楽譜には鉛筆の文字や印がビッシリと書き込まれている。
「コピーなんかしないで使ってもいいんだぜ?書き込んでも構わねぇ。」
「そんな駄目です。大事にしてる楽譜なのに。」
「大事になんかしてないし、もう使わないものだ。」
は頭を横に振ると俺を見上げて微笑んだ。
「楽譜・・・あなたの文字も沢山ありました。
とても丁寧に、しっかりと練習されていたんだと分かりました。」
「やるからには手を抜かないことに決めてるんだ。だが・・・ピアノは昔のことだ。」
「それでもピアノが好きでしょう?」
「お前ほどじゃないだろうけどな。」
そう切り返せばの瞳が揺れた。
俺の視線から逃れるように俯くと鍵盤に指を下ろす。
「部活・・・行かなくていいんですか?」
「今更行っても練習するほどの時間がない。」
「そう・・ですか。」
「今ごろは忍足が俺の代わりをやってるだろうぜ。」
そうですかとは視線を落としたままだ。
忍足の名前に反応するでもなく鍵盤を見つめているは確かに普通の女達と違っていた。
「忍足とは帰らないのか?」
「今日は送るから待つようにと言われました。」
「ふーん。ま、良かったんじゃねぇの?さすがに忍足がいれば嫌がらせもされないだろう。」
黙り込むは表情の乏しい女になっていた。
忍足に紹介された時の印象の薄いハッキリしない女だ。
ピアノに向かっている時の表情はあんなにも豊かなのにと落差に驚く。
「おい。何か弾けよ。」
「ま、まだ練習中で・・・」
「弾けるやつでいいさ。他に楽譜はないのか?」
俺はより先に手を伸ばし、重ねられている楽譜をパラパラとめくった。
たまたま目に留まった言葉に手が止まる。
『Jesus que ma joie demeure』 主よ、人の望みの喜びよ
「これでいい。」
「あ・・でも、これは連弾用で」
「そうだな。難しい方はお前に任せる。」
俺は近くにある椅子を引き寄せ、の隣に並べて腰をおろした。
指を動かし準備する俺を呆気に取られて見ているに笑ってやる。
「言っとくが弾くのは久しぶりなんだ。うまいこと合わせてくれよ。」
俺が鍵盤に指を置くと、も慌てて指を置いた。
目と目でタイミングをとり、呼吸を合わせて弾き始めた。
駄目だな、ピアノってのは毎日弾き続けないと恐ろしいほどの早さで積み上げてきたものが失われてしまう。
俺のお粗末な音もが上手にフォローしてくれて何とか曲になっていた。
四本の手で奏でられる音が重なり、溶け合い、一つになっていく。
楽しくなってきた俺が視線を隣に向ければ、それに気づいたが綺麗に微笑んだ。
やっぱり、コイツにはピアノだ。
ピアノを弾いている時のは目の輝きが違っている。
この女の全てを生かすことが出来るのはピアノだけなんだろう。
「今のは駄目だ。もう一回。」
「すごく上手だから、びっくりしたのに。」
「お世辞はいらねぇんだよ。俺様が気にいらないんだ、もう一回。」
僅かに肩をすくめるようにしてが笑っていた。
「笑ってんじゃねぇよ。ほら、弾くぞ。」
「はい。」
笑いを噛み殺すようにしてが鍵盤に向かう。
さぁ、満足できるまで弾こうぜ。
オレンジの西日を背に階段を降りていたら、下から響いてくる靴音があった。
靴音の主が階下から俺を見上げて、いつもの笑顔を浮かべる。
「ああ、跡部!ご苦労さん。えらい時間がかかったなぁ。もう解散させたで?」
「そうか。」
忍足の顔もオレンジに染まっていた。
西日を背にしている俺の表情など忍足には暗くなって見えないだろう。
「忍足、」
「跡部なぁ、お前の立場は分かるけど頑張りすぎや。
もうちょっと自分を大事にしてもええんやないか?・・・なんてな。」
忍足は照れくさそうに頭をかいて、擦れ違いざまにポンと俺の肩を叩いていった。
お先にと明るい声を残し階段を駆け上がる忍足の靴音が遠ざかっていく。
俺は振り向くことが出来なかった。
『real』4
2007.04.06
戻る テニプリ連載TOPへ 次へ