real 9










強引に連れてきたはいいが、躊躇うの足は動かない。
仕方がないと、俺はの腕を掴んで中へと通した。


客間にと考えてから思い直し、直接ピアノがある部屋に連れて行く。
そこならも落ち着くだろうと考えてだ。


一時は止んでいた雨が降り始めたのは一時間ほど前だったか。
いつから家の前で待っていたのかと腹立たしくなった。



防音室の明かりをつけ、中にを放り込むと「待ってろ」と告げて部屋を出る。
直ぐにタオルを手に戻ってくれば、はピアノの前にボンヤリと立っていた。



「ほら、タオルだ。拭けよ。」


「あ・・ありがとう。跡部君は?」
「俺は大して濡れちゃいねぇよ。」



心配そうに俺の顔色を伺うの肩に手にしたタオルをかけてやる。
すると白い頬がサッと朱に染まった。



「お前、」



の表情に目が惹かれる。
生徒会室で瞳に涙を溢れさせ俺を見上げていた時もそうだった。


まるで・・・恋をしているかのような瞳。



「俺が好きなのか?」



の瞳がこれ以上ないというほど大きく見開かれた。


自分で尋ねておいて、急にとんでもない事をとも思ったが出てしまった言葉は取り戻せない。
の唇が僅かに震えているのが寒さのためなのか、真実のためなのか、見極めようと躍起になる。


そんな俺の強い視線から逃れられるはずもなく、
は追い詰められた小動物のように息さえ耐えているようだった。



「お前、自分がどんな目で俺を見ているか分かっているのか?」



ぎこちなくが首を横に振る。
既に泣きそうになっているのが可哀相だが、逃しはしない。



「きっと俺がお前を見ている時と同じ目だ。」
「そんな・・・」


「触れれば、もっと分かる。」



すまない、忍足。もう俺も限界だ。



湿った薄い肩に手をかけて抱き寄せた。
俺がかけてやったタオルが床に落ちていくのを視界の隅に収めながら、柔らかな髪に頬を寄せて腕の中に閉じ込める。
抵抗するかと思った体は人形のように立ち尽くしたまま。
その耳に俺の言葉を吹き込む。





「鼓動が速くなってきた。
 お前は、どうだ?

 もっと触れたい。俺以外の誰にも触れさせたくない。
 ずっと腕の中に抱いていたい。

 そんなふうにお前のことを想っている。」





抱きしめた肩が小刻みに揺れ、堪えきれない声が漏れてきた。
が泣いている。



の迷いは、二者選択の迷いじゃない。』
『どういう意味だ?』


『今まで俺はの何を見てきたんんやろうって思う。
 最近な・・俺の知らん表情ばっかり見せるんや、アイツ。』



言葉の意味が、やっと分かった。
人の心に聡い忍足はの変化に気付いていた。
知ったうえで大事な恋人を俺のもとへと寄越したんだ。


諦めの早さはテニスと一緒かよ、馬鹿。



「何故、泣く?」


「分から・・ない。自分がどうして・・いいのか。」
「何を?言ってみろよ。俺が訊いてやる。」



「私、気付いたら・・・あなたのことばかり考えてる。」



どうしよう、と呟いては泣いた。
項垂れた頭を胸に抱きかかえるようにして「大丈夫だ」と言ってやる。



気付けば唯ひとりの人のことばかり考えてしまう。
瞳が追う。声を拾う。
どこにいても、誰といても、その人のことしか考えられない。


それが、恋。
誰にも、自分にさえ止められないんだ。



なかなか泣きやまないに温かいミルクティーを飲ませた。
二人して床に腰をおろし背中から愛しい体を抱きしめ、グランドピアノを見上げる。



「連弾・・・楽しかった。」
「ああ。」


「また一緒に弾きたい。」
「そうだな。久しぶりに練習するか。」


「でも・・忙しいのでしょう?」
「お前のために作る時間は惜しくないさ。」



その言葉に黙り込んだの顔を後ろから覗き込もうとして、首まで赤くなってるのに気がついた。
赤くなりながら、また零れる涙を拭っている。



自分の心変わりを責めて泣くなよ。
お前は本当の恋をしていなかっただけだ。
それを忍足も知っている。


アイツは人の気持ちの分かる、馬鹿がつくほど優しい奴だから。
知ってて知らないフリをするなんて出来なかったんだ。


お前の気持ちを自分の気持ちよりも大事にした。
だから、もう泣くな。


じゃないと、アイツが更に辛くなっちまう。



「大丈夫だ。ずっと俺が傍にいる。」



コクン、と頷く頭に頬を寄せて目を閉じた。
手にした人の温もりは俺の心と体にゆっくりと溶けていった。










翌朝は昨日の雨が嘘のような快晴だった。
昨日は午後の部活を休んだ忍足が今朝の練習にも顔を出さない。



『雨が降ったり止んだりやし、今日は個人練習したいし休むわ。』



そう普段と変わらない表情で帰っていった忍足に何の疑問も感じていなかった俺。
だが、その時すでにを俺のもとへ行かせると決めていたとしたら?


携帯に電話をしても繋がらない。
向日に訊いても居場所が分からないと言うし、授業にも出ていない。
担任に聞けば、午前中に風邪で休むと本人から連絡だけはあったらしい。


なら俺の電話に出ろとメールもしてみたが返信はなく放課後になってしまった。



にもメールで訊いてみたが、やはり連絡が取れないらしい。
とにかくピアノのレッスンが終わる頃に迎えの車を寄越すからと約束して行かせた。


きっと今日のレッスンは先生の怒りをかうことだろう。
の不安定な気持ちを思うと溜息が出た。



部室に向かいながら、再度携帯を開いたところでテニスボールの音が響いてきた。
俺は携帯を閉じると制服姿のままコートへ足を向ける。


そこにはサービスの練習をしている忍足の背中があった。





「てめぇ、学校サボって練習してんじゃねぇぞ!風邪はどうした?」





大きな声をかければ、トスしたボールを掴んだ忍足が振り返る。
いつもの笑顔がないことに俺は緊張した。



「跡部、俺と試合してくれ。」


「試合?」


「お前とやりたいねん。」





真っ直ぐ射るような黒い瞳が俺を映す。
忍足は本気だ。そして、その試合には意味があるのだと感じた俺は頷いた。


遠くから明るい声が近づいてきて、「あっ、侑士だ!」と向日の驚いた声がする。
俺は忍足から目を離さずにネクタイを緩めて抜いた。



「宍戸、俺のラケットとシューズを持って来い!」


「え?なんだ、跡部・・着替えてねぇだろ?」
「着替える暇なんかねぇんだよ。とにかく持って来い、今すぐだ!」


「岳人、審判頼む。」


「え?まさか、今から試合すんのか?」



常と違う雰囲気に宍戸は慌てて部室へと走っていった。
忍足は向日の問いかけに答えることなく自分が打ったボールを黙々と片付け始める。



「ジロー、ネクタイ持ってろ。あと携帯も頼む。」


「いいけど・・・何があったの?二人とも変だよ?」
「黙って見とけよ。きっと本当の忍足が見られるはずだ。」


「本当の?」


「跡部!おら、持ってきてやったぜ。っていうか、制服ぐらい着がえりゃいいのに。」


「そんな時間はねぇ。アイツの集中力を切らしたくないんだ。」



ジローと宍戸が不思議そうな目で忍足の背中を見つめる。
その背中に怒りにも似たオーラが立ち昇るのが俺には見えていた。





忍足が望むなら、俺も全力で行く。




















『real』9  

2007.04.24



















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