策士です。それが何か? 6
「あがってくか?」
「遠慮します」
小奇麗なマンションの前で忍足が後ろを親指でさす。
もういいから帰らせてと目で訴えれば、忍足は「遠慮せんでもいいのに」と眉を下げた。
関西から転校してきた忍足が、寮に入らずマンションで独り暮らしをしているのは有名な話だ。
いくらなんでも呑気に一人暮らしの忍足んちへ上がり込んでお茶を御馳走になるわけにもいかない。
うっかり忍足ファンの女子にでも知られたら怖いコトこの上ないし。
「それじゃ、お疲れ。部屋で転ばないようにね」
「ちょい、待ち」
手を振って背を向けたら、後ろから肘を引っぱられて体が傾く。
とんと肩が何かにぶつかり、ふわっと柔らかなものが頬に触れる。
反射で振り返るより先に視界に映ったのは忍足の黒髪で、寄せられた顔に心臓が止まりそうになった。
「危ないやろ?暗うなったから送るわ」
背後から耳元に吹き込まれた低音に背中が震える。
思わず耳をおさえて飛び逃げたら、へらりと笑った忍足の表情があった。
「どうした?」
「ひ、一人で帰れるから平気だって。それに忍足、目が見えてないし」
ヤバい。勝手に耳が熱くなってきた。
これが女子の間で噂になってた『忍足のセクシー声』の威力なのか。
焦る私をよそに忍足はポケットから鍵を取り出し振って見せる。
「家の中に予備のメガネがあるからな。ちょっと待っといて」
「い、いいって」
「よくない。可愛い女のコを独りで帰らして何かあってからでは遅いし」
可愛い女のコ?
そんなこと親にぐらいしか心配してもらったことないから。
唖然とする私を無視して、さっさとマンションに入っていく背中に困惑する。
回れ右をするべきかと迷う私を見透かしたのか、
振り向いて動いていない私に気付いた忍足は大股で寄ってくると容赦なく腕を掴んだ。
「俺の言うこと聞いとこうな?」
メガネなしの瞳で囁くと人の腕を掴んだまま歩きだした。
逃げたいのに逃げ出せない。次々と繰り出される忍足の言動に何故か胸がドキドキする。
なんなの、この状態。
これが氷帝人気ナンバー2の男。噂じゃ『大人の魅力』の忍足侑士が為せる技なのか?
メガネ屋探索中とは逆に、手を忍足に引かれながら考える。
テニスで鍛えているだろう女とは違う広い肩幅と背中がみょうに新鮮だ。
九九でも数えて意識を別に向けようかと考える私をよそに、鼻歌まじりの忍足は何故か上機嫌だった。
たどり着いたドアの前で私の腕を掴んだまま、片手で部屋の鍵を開ける。
「直ぐやから玄関で待ってて」
言いながら開いたドアの向こうから、いつも忍足が身にまとっている香りがした。
忍足のテリトリーに足を踏み入れたのだと実感すると、これまた落ち着かない。
やっぱり帰っとくんだったと思っても後の祭りで、玄関に引き入れられるとドアを閉められてしまった。
靴を脱いだ忍足が電気をつけ、明るくなった視界に忍足の暮らす室内が見えた。
キッチンとリビングしかない小じんまりした部屋は思いのほか綺麗に片付いている。
あまりジロジロ見ては申し訳ないが、好奇心の方が勝った。
クローゼットを開けてメガネを探す忍足を通り越し、壁に掛けられたコルクのボードに視線をやる。
何かのチケットやらメモと一緒に写真もピンで留められていた。
一枚がテニス部の集合写真なのは見て分かった。問題はその隣にある一枚。
まさかと思う。きっと見間違えだと目も擦る。
私の視力は2.0、その目が捉えた写真。
それは私の姿だった。
策士です。それが何か? 6
2010/08/10
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