真田家の嫁 『嫁の風邪』
その日、柳生は病院で当直をしていた。
うらさみしい当直室でカップラーメンをすすっていると電話がなった。
風邪の季節だ。
ずっと急患続きで、椅子に座ったのは八分前。
カップラーメンの蓋をあけ、ポットの湯を注ぎ、三分待った。
箸を持っては、まだ一分しかたっていない。
夜のほうが外来の待ち時間が短いなんぞとぬかす患者が来たなら、
つい殴り飛ばしてしまうかもと危惧しつつ、箸を持ったまま電話をとる。
「柳生先生に外線です」
「繋いでください」
外来からの呼び出しかと思ったのに、外からだった。
誰だろう。もしや・・・暇人な仁王君かも。
仁王君だったら、ものの0.01秒で切ってやる。
そう心に決めて待つ。
僅かな雑音の後、聞こえてきたのは意外な人物の声だった。
『もしもし、真田だ』
「真田君?めずらしいですね。どうしたのですか?」
『すまない。だが、お前しか思いつかなかったのだ』
真田から電話があるのも珍しいが、彼の切羽詰まったような様子も珍しい。
思わず柳生は箸をカップラーメンの上に置き、姿勢を正した。
「なにがあったのです?」
『ね、熱を出したのだ』
「熱?」
『夕方から上がって、今は四十度近い』
「高いですね。それにしては元気そうだ。さすが真田君ですね」
柳生は感心して言った。
昔から真田は丈夫だった。
36.8度でも平熱が低いから発熱だと騒ぐ幸村を横目に、
連日38度を超える熱を出しながら『なにやら今日は暑いな』と言っているうちに肺炎になっていたことのある真田だ。
きっと熱に強い体質なのだろう。
『違うっ、熱を出したのは・・・俺の妻だ!!』
「ええ!!あの結婚報告の葉書きは本物だったのですか!」
思わず柳生は素っ頓狂な声をあげてしまった。
毛筆で書かれた『結婚しました』葉書きは確かに受け取ったが、幸村の悪戯だと思い込んでいた。
その後も幸村から『真田家の嫁』というメールが来たが、
この内容もにわかに信じられないものだったので無視をした。
和服を着た大和撫子が真田君のことを『旦那様』と呼んでいたとか、そんな内容だった気がする。
面白がった仁王が真相を確かめに行こうと誘ってきたが、
そんな馬鹿馬鹿しいことに乗るほど暇ではない柳生はにべもなく断っていた。
『本物?』
「いえ、こっちのことです
すみません。忙しさにまぎれて、結婚のお祝いもせずに
なにかお入用なものがあれば贈り物をさせていただきます」
『そんなことより妻の熱が心配なんだ。どうすればいい?
救急車を呼びたいのだが、これぐらいのことで救急車を呼んではいけない
明日まで待って病院に行くと妻が言ってきかないのだが』
おお、なんと心がけの良い患者だと柳生は感動した。
包丁で指先を切ったと救急車に乗ってやってきた後輩の切原君とは大違いですよ。
赤也に絆創膏を投げつけ、徒歩で帰らせた記憶も生々しい柳生だ。
真田の妻に非常に好感を持った柳生は優しく言った。
「分かりました。ちょうど私が当直ですし診ましょう。奥さんを連れて来て下さい」
『そうか、助かる。すぐに向かうので、よろしく頼む』
「はい」
電話を切って、更に夜間外来に患者が来ることを伝えてから箸を手に取る。
ポットのお湯で作ったカップラーメンは冷めていたが、慣れっこの柳生は気にせず残りをすすった。
十分もしないうちに外来から電話がかかってきた。
夜とはいえ・・・真田の家から十分で病院につくなど有り得ない所要時間だ。
今度は食後のお茶を淹れたところだったのだが、これも次に飲むときには冷え切っていることだろう。
だが柳生は旧友のために白衣の裾を翻して外来に向かった。
そして、そこで柳生が見たものは・・・
薄いピンクの毛布に包まれた妻をお姫様抱っこして仁王立ちしている真田の姿だった。
「ひ・・久しぶりですね」
「よろしく頼む」
ひきつった笑顔で挨拶してみたが、真田の表情は硬い。
とにかく診察室へと促せば、真田は壊れ物でも運ぶようにして妻を抱いたまま入ってきた。
「座れますか?」
患者は座って話をできるかという意味で訊いた柳生だったが、
真田は包んだ妻を抱いたまま当然のように丸椅子に座ってしまった。
まぁいいかと気を取り直し、真っ白のカルテを開いて問診を始める。
「熱は夕方からでしたね。他に症状はないですか?咳とか、喉の痛みとか」
「咳は昨日ぐらいから少しあったのだが、夕方からは喉の痛みも酷くなって」
患者ではなく真田が全て答えていく。
まるで小さな子供を連れてきた母親のような問診風景だ。
ひとまず症状を聞きだした柳生は、聴診器を手にした。
「まずは胸の音を聞いてみましょう。あの・・・真田君、奥さんを出して貰ってもいいですか?」
「あ・・ああ。」
真田が包んだ毛布を開く。
柳生は多少の好奇心を抱きながら、聴診器を片手に待っていた。
が、めくられた毛布の中から現れた真田の妻に息をのむ。
その人は白地に花弁が散ったような模様の浴衣を着ていた。
艶やかな黒髪を真田の腕に流し、白く透けるような肌を熱のせいか桜色に染めている。
瞳は潤み、濡れたような眼差しで柳生を見ている。
驚くほどに美しい女性だ。
数秒間は固まっていた柳生だが、真田の咳払いで我にかえった。
「えっと、あ・・あの、む、胸の音を」
「よろしくお願いします」
小さな声で真田の妻が言った。
美しい人は風邪をひいた声までも美しい。
白く折れそうな指が浴衣の胸元を探る。
柳生はドキドキする鼓動を感じながらも平静を装い、
読んでもいないカルテに視線を落として彼女の胸元が開かれるのを待っていた。
「待て」
真田の声に手が止まる。
なにかと思えば、眉間のしわが三割増しの真田が柳生を睨んでいた。
「俺が聴診器をあてるのでは駄目か?」
「は?」
「妻が恥ずかしがる」
見れば、彼女は目を丸くして夫を見上げている。
開きかけた胸元を大きな手で隠しているのは、ほかならぬ真田だ。
「いや・・・その聴診器をあてる場所もココといものがあるのですよ
そんなに開かなくていいですし、場所さえ確認したら他所を見ながら聴きますから」
柳生が説明する横で、看護師も苦笑しながら「大丈夫ですよ」と言う。
そこで渋々という感じの真田が妻の胸元に手をかけて、そっと浴衣を緩めた。
その仕草に新婚夫婦の愛ある生活を垣間見た柳生のほうが赤面する。
気を利かせた看護師が間に入ってくれたものの、
余計な覗き見をしていないか監視されているような真田の視線を浴びながらの聴診は緊張した。
それから喉を見て、簡単な検査をして、その度に真田の眉間のしわが深くなり、眼光が厳しくなる。
柳生は学生時代の緊張感のある部活を思い出し、背中に冷や汗を流していた。
全ての結果が出そろい、真田の妻はインフルエンザに罹患していることが分かった。
「薬を飲めば直ぐに良くなりますよ」
「そうか。良かった」
強張っていた表情がホッと緩み、真田が大きな手で妻の額を撫でる。
「すぐに楽になるぞ」
「弦一郎様・・・」
マイリマシタ。
柳生は心の中で白旗を上げ、早々に真田夫婦にはお引き取りねがうことにした。
来た時と同様、真田は大事そうに妻を毛布にくるみ抱えて帰っていく。
もちろん柳生への礼も丁寧にしていったが、彼にしてみれば非常に疲労した診察だった。
看護師が夢でも見るように呟く。
「見てるほうが恥ずかしくなるほど愛されてる奥さんでしたね。うらやましいなぁ」
「彼にあんな一面があったとは、私も驚きましたよ」
「先生、胸の音を聴くとき引きつってましたよ?ご主人は睨んでるし」
「間違いでも犯したものなら、手打ちにされるかと。あ、シマッタ」
「なんです?」
柳生はカルテを手に眉を下げた。
「結婚祝いに何が欲しいのか・・・聞きそびれてしまいました」
深夜のことだ。
寝ている仁王の携帯が鳴り響いた。
いつもなら無視するところだが、
着信音が彼のものだったから半分眠りながらも携帯を手に取る。
「もしもし。なんじゃ、こんな時間に」
『仁王君、忠告です。君、真田君の家に行くのはやめておいたほうがいい』
「はぁ?真田の家?なんで、また」
ベッドから手を伸ばし、確認した時計は午前三時だ。
柳生は紳士であり常識人のはずなのだが、仁王にだけは遠慮がない。
それだけ心を許した友なのだろうが、深夜すぎる。
おまけに意味が分からないときた。
『君は女性にだらしない。おまけに人妻であろうが、何であろうがお構いなしの節操無しです』
「・・・否定はせんが、俺はヒロの女には手を出したことはないぜよ」
『だから、真田君だと言ったでしょう?彼には冗談さえ通じませんよ
君は確実に切り捨てご免になります。バッサリですよ、バッサリ』
「はぁ?」
『とにかく死にたくなければ、真田君の家には行かないことです
ですがお祝いぐらいはした方がいいので、一緒にしましょう
適当に見繕って贈っておきますから、あとで半額を払って下さいね
あ・・・また患者だ。それじゃあ、おやすみなさい』
「おい、待っ!ヒロ」
ブツッと電話は切られ、空しい機械音が続く。
「なんじゃ、いったい」
すっかり目が覚めてしまった仁王は携帯を手に呟くのだった。
その頃の真田家では、妻の看病をする弦一郎の姿があった。
「もう大丈夫ですから、旦那様はお休みになって下さい」
「俺は平気だ」
「でも・・・」
心配する妻の額に浮かぶ汗を拭ってやり、真田は優しく微笑む。
自分の体が辛いときまで気遣ってくれる彼女が愛しくて仕方ない
「迷惑をかけてしまって、ごめんなさい」
申し訳なさに瞳を潤ませる妻に、真田は首を振った。
「夫が妻の看病をするのは当然だ。気にすることはない
ほら、もう寝るんだ。起きた時には楽になっているだろう」
「はい」
安心した表情で目を閉じた妻の髪を真田は撫でる。
彼女の寝息が穏やかになるまで、慈しむ手が止まることはなかった。
真田家の嫁2 『嫁の風邪』
2009/03/05
好評だったので調子に乗って (かや)
すいません^^;勝手に不定期連載にしてしまった・・・(沙羅)
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