さよならから始めよう 〜真田編〜 2










「すまない。」



真田の口から出た謝罪の言葉に、彼女は涙でいっぱいの瞳を逸らした。
もう顔も見られない。


真田は立ち上がると、もう彼女を振り向かずに目的地へと向かった。
鼓動が自分の耳に響いてくるような感覚。


事務当直のものに「外科のカルテを見せてもらいたい」と声をかけて、勝手知ったる奥のカルテ保管室に入っていった。


そこで、やっと立ち止まり。スチール棚に背中を預け、自らの唇に触れる。





俺は・・・何をした?





柔らかな感触がよみがえり、背中が震えた。


自分でも信じられない行為。
三十数年生きてきて初めて後先考えずに行動し、今・・・胸を占めるのは後悔。


いや、後悔だけじゃない。
この響いてくる鼓動は?甘く疼いている胸は?





どうしようもない衝動。これは・・・





たった一人の女性を愛し続けてきた。
とても息の長い・・・深い恋を続けてきた自覚がある。


そんな自分に、突然訪れた嵐。





その答えを。年令を重ねた真田は知っていてた。





真田はカルテ保管室から飛び出した。



「先生?」



あまりな真田の慌てように事務当直が声をかけた時には、ひるがえった白衣の残存が視界を掠めただけだった。



暗い待合室に出て、彼女がいた案内所の辺りを目を凝らして見つめる。
立っている姿はない。けれど、うずくまる白くて小さな姿。



いてくれた。



真田の近付く靴音に彼女が顔をあげた。
その前には・・・まだ缶コーヒーが転がったまま。





彼女の頬は涙で濡れたまま、真田の顔を驚きの表情で見上げている。
真田は彼女を怖がらせないように、少し離れた位置に片膝をついて座り視線を合わせた。



「・・・さっきは、すまなかった。驚かせてしまったと思う。だが、君だからだ。それだけは、分かって欲しい。」
「私・・・だから?」



彼女の声は掠れている。
笑顔じゃない彼女を見たのは・・・出会った雨の日の以来、二度目だ。
泣かせてしまった自覚があるから、真田も真摯に向き合った。



「そうだ。あの、雨の日。覚えているだろうか?
 駐車場へ向かう通路に植えられている紫陽花を見ていた君を見た。」


「あの日・・・」


「そう。あの日から、俺は君の姿を探していて。そして、売店で見つけた。
 ずっと俺は目で追っていた。その意味を。今、自分で理解したところなんだ。」


「先生、それは」


「行動と言葉が前後逆になってしまって、すまないが。
 俺は・・・君に好意を抱いているらしい。」



なんと間抜けなセリフだろう。
自分でも思うが、こんな時に洒落た言葉がでるほど器用なら今の自分はいないだろう。


飾る言葉もない。正直に言葉にして伝えた。



「あ・・・信じられない」



彼女の瞳から、また新たな涙が流れる。
唇を震わせる彼女に、すぐ信じて貰えるはずもなかったと真田は眉を寄せた。



「いや。本当だ。」


「そうじゃなくて・・・わたし・・・」


「なんだ?」


「私も・・・ずっと・・・」


「ずっと?」





あなたを探して。いつも目で追っていたんです。












「優花!すまない、遅くなった。」
「いいえ。大丈夫です。」


「行こうか?何が食べたい?」
「先生が連れて行ってくれるところなら、どこでも。」


「その『先生』はやめて欲しいのだが・・・」
「だって、先生なんですもの。」



優花は子供のように笑って肩をすくめた。
そんな彼女の髪をクシャと撫でて歩き出す。


それにもやっぱり、くすぐったそうに首をすくめる彼女が可愛らしくて・・・幼馴染に重なる。



チク、と。真田の胸を刺す小さな棘の痛み。



失ってしまった大切な人が頭をよぎる。



「先生?どうかしました?気になる患者さんでもいるんですか?」
「あ、いや。何でもない。今夜は、和食にしようか?」


「はい!」



にっこりと笑った彼女が愛しい。
この気持ちに嘘はない、何もやましく思うことはないだろう?
そう自分に言い聞かせて、彼女の華奢な肩を抱き寄せた。



とにかく彼女はよく笑った。
『笑顔が絶えないとは優花のことを言うんだな』そう言ってやると、また嬉しそうに笑った。



自分の話は、そう面白いとも思えないのだが。
優花は熱心に耳を傾けて楽しそうにしている。



『俺の話は、つまらなくないか?』と聞けば、
『ううん。とっても楽しいです。』と嘘のない瞳で微笑んだ。



急速に惹かれていく。
のめりこんでいくともいえる状況。



過去に愛した人に似た彼女に惹かれる自分が後ろめたかった。
だが、彼女の傍は居心地がよくて。


失くしてしまった柔らかな時間が自らの手に戻ってきたような錯覚を覚えてしまうのだ。




『弦一郎』



「優花」
「先生」



ああ、もう彼女は失いたくない。



失くす痛みを知っているからこそ。



もう二度と、あの痛みを味わいたくないと。



真田は強く思った。




















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