さよならから始めよう 〜真田編〜 3










長い口づけの後、そっと優花の肩を押してソファに倒した。



「優花、結婚しよう」
「ま・・待って。あの、今日はもう帰らないと。早く帰るって母に言ってきてるの。」



いつものセリフに、真田が眉根を寄せる。
優花は真田を避けるようにして身を起こすと、さっと視線を逸らしてソファの隅においてあった鞄を手に取った。



抱きしめると甘えるように擦り寄ってくる。
触れるだけのキスは好きだといった。
初めての朝に『幸せすぎて・・・』と涙を流したのは、ついこの前だ。



なのに、何故だ?



出会って一つの季節が過ぎ、表面上の交際は順調だった。
真田は優花に惹かれていく自分が止められないほどに、彼女を愛していた。



なのに一つになれない。
見えない壁が、優花との間にあった。



早すぎるのか?俺が・・焦りすぎなのだろうか。
一人のときは冷静に考えることもできるのが、優花に触れてしまえば理性など脆くなってしまう。



彼女との繋がりが強く欲しいと思ってしまうのは、裏を返せば二度と失いたくないという恐怖だとも理解している。
分かっていながら、自分の感情をコントロールできない真田だった。


意を決して、帰り支度をしている彼女の背中に聞いてみる。



「俺と一緒になるのが、嫌なのか?」



優花は背中を向けたまま、小さく首を横に振った。



「だったら、何故」
「私は・・・先生に相応しくないから」


「なにを、」



驚いた。あまりにも意外な言葉だったから。
相応しくないとは、何を基準に言っているのか。


優花の肩を掴んで無理に振り向かせると、涙で揺れる瞳が真田を映していた。



「俺が望んでいるのに、相応しいも相応しくもないだろう?
 ただ、優花はまだ若いから迷っても仕方がない・・・とは思っているが。
 相応しくないなどという理由で拒まれるのは納得できない。」


「先生・・・このままじゃ、駄目?
 いつか先生に好きな人ができるまで・・・ずっと傍にいるから、ね・・・お願い。」


「好きなのは優花だっ。何故、他の人間が出てくる必要がある? 俺は優花が欲しいと言っているんだ。」



激しく感情のままに言葉を発してしまう自分を知りながらも、自分の想いが彼女に伝わらないのがもどかしい。
掴んだままの彼女の細い肩を揺らすと、優花は両手で顔を覆って泣き始めてしまった。



「でも、でも・・・私は駄目なの、」
「誰か他に決めた人間でもいるのか?」


「いません!いるわけ・・・ないでしょう?」
「だったら、」


「・・・ごめんなさい」



優花の声に嗚咽が混ざった。
彼女がどうして結婚を拒むのか分からないまま、
結局は恋人を泣かせてしまったのが辛くて真田は追求できずに抱きしめてしまう。


すると優花は泣きながらも、自分の胸にしがみついてくるのが切なかった。





結婚の話しさえ出さなければ、恋人との時間は穏やかに過ぎていく。
だが、いつ自分の手をすり抜けていくかもしれぬ恋に、真田の心は落ち着かなかった。





午後のオペが終了した途端、外来に呼ばれた真田は緑のオペ着を着たまま外来に降りた。
腹痛の原因が良く分からないと新米の医師に呼ばれ、結局はgyne(婦人科)の疾患だった。
紹介状と一緒にカルテをまわして一息つくと、すぐに病棟に戻らなくてはならない。
術後の記録が待っている。ICUにも顔を出さなくては。
頭の中で、これからの予定を考えながら歩いていると、遠く外来の廊下に恋人の姿を見つけた。


仕事中だろう。
声をかけたいが自分には時間がないと我慢して、エレベーターに足を向けた時、優花が内科の医師と話しているのに気がついた。


彼女が他の医師と話している姿は見かけたことがあったから、そんなに気にとめる必要はなかったのかもしれない。
ただ、違和感が・・・優花に全く笑顔がないのが気になった。


そう、初めて彼女を見かけたときと同じ・・・表情のない儚い立ち姿で医師の言葉を聞いていた。
どうしても気になった真田が二人に足を向けたと同時ぐらいに、
内科の医師は軽く優花の肩を叩き、彼女は頭を下げると真田のいる方向と反対に歩き出してしまった。
後を追うように内科の医師に近づく真田は、小さくなる優花の背中を見つめながら医師に声をかけた。



「内藤先生」


「あ、真田先生。オペですか?そうそう、ちょうど良かった。
 この前、診てもらった肺気腫もちのcancer(癌)の患者さん。麻酔科の山田君が難色を示してね、」


「ああ、それはさっきオペ室で聞きました。その件は、時間をとって相談しようと思ってます。
 それより、彼女は・・・先ほど話していた、」



内藤は真田の視線を追って優花の姿を認めると、ああ・・という顔をした。



「僕の患者ですけど、何か?」
「患者?彼女はどこが悪いんですか?」


「Leukemiaだけど?なに、知り合い?」



真田は言葉をなくした。
息を呑んだまま瞬きもしない真田を内藤が覗き込む。



「彼女、外科にもかかってるの?それなら、カルテまわすけど?」



それから先。足元が揺らぐ感覚がなかなか抜けなかった。
何度も頭の中を廻る内藤の言葉を振り払いながら、黙々と仕事をこなしていく。
そして、自分の仕事が終わると「ちょっと、下のカルテ室に行ってくる」と言葉を残して、薄暗い事務室へと降りていった。



いつもとは違う内科のカルテ棚の前で恋人の名前を探す。
見つけた外来カルテは厚かった。長期の治療を受けている患者特有の厚みに胸が軋む。
パラパラと目を通していき、彼女の発病から経過、施された治療、その後の検査データーなど、すべてを把握した。


厳しい治療を受けて五年。


ふと、売店での会話が頭を掠めた。



『どう?結果は?』
『うん、大丈夫だと思う。』


『今年で五年だもんね。』
『うん、心配してくれてありがとうね』



そういう意味だったのか。



彼女と雨の降る紫陽花のもとで出会った日。
あれは彼女が再発をチェックするための定期検診を受診した日だったのだ。



私は・・・先生に相応しくないから


でも、でも・・・私は駄目なの、


・・・ごめんなさい



優花の声が、また聞こえてくる。





     Leukemia   白血病  





恋人が抱えるものは・・・深刻だった。




















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