さよならから始めよう 〜真田編〜 4
今夜は優花が真田の家で夕食を作ってくれていた。
台所に立つ小さな背中を見つめながら、真田は複雑な思いで溜息をついていた。
「ご馳走様。うまかった。」
「よかった!」
嬉しそうに手を叩いて口元に持っていく、優花の仕草が可愛らしい。
こういう、ちょっとした仕草もと似ていると感じて・・・またチクッと胸が痛んだ。
優花の抱えている現実。彼女が結婚を拒む理由は・・・体のことだろう。
彼女を求めるということは、自分にもそれを背負う覚悟がいる。
と似ているから、とか。そんな曖昧な感情だけで背負える重さではない。
何が起ころうと、優花を守り抜いて、愛し、共に生きていく。強い意志が必要だ。
「はい、お茶。私は先に洗い物を済ませますね。」
そういって、手早く食器を片付け始めた彼女の背中を見つめながら、
真田は自分の中にもう答えが出ているのに苦笑した。
昔から、困難に立ち向かうほど気力の湧く性質だった。
それは幼い頃から続けてきた武道によるものだったが、それに輪をかけたのがテニスだった。
強いものに出会えば出会うほど燃えた。負けるたび、湧き上るような闘志で克服してきた。
気づけば『皇帝』などと、あだ名されるようになり、跡部ともテニスを通じて知り合い、力をぶつけ合った仲だ。
惹かれたきっかけは過去の恋だったが、今は違う。
愛しているのは優花という・・・目の前の大切な人だ。
真田は立ち上がると、台所に立つ優花の隣に立った。
なに?と、いつもの笑顔で自分を見上げてくる瞳を見据えて、真田は口を開いた。
「鉄剤は、飲まなくていいのか?」
ハッとした優花の瞳が大きくなる。だが、真田は言葉を続けた。
酷いようだが・・・これを語り合わなければ先には進めない。
「貧血が酷いだろう。体は、疲れやすくないか?」
「どう・・・して、」
「内藤先生は、同じ大学出身の先輩だ。彼の本来の専門は血液疾患だ。お前の・・・主治医なのだろう?」
透けるような白い肌が青ざめている。優花の唇が僅かに震えているのを真田は見ていた。
「骨髄移植は成功して、もう五年だ。白血病が不治の病といわれたのは昔のことだろう。
優花はもう大丈夫だ。結婚を躊躇う必要もない。だから、」
「そこまで知っているなら・・・分かるでしょう?もう、傍にいられない。」
「何故?この前のマルク(骨髄穿刺)でも再発は見られなかった。貧血はあるが、白血球は問題ない。
寛解も五年を保てば、もう治癒と言ってもいいだろう?」
真田が見た彼女の検査データーは概ね良好だった。
運良くHLA(白血球の型)の合った姉から骨髄移植が受けられて、寛解期の良い状態で移植を受けられたのも良かったのだろう。
治療としては、非常に良い経過をたどっている。
だが、優花は激しく頭を振り、目に涙を一杯ためて叫ぶように言った。
「でも、絶対じゃないの。本当の治癒・・・なんて言葉はない。先生だって、知ってるでしょう?
来年・・・ううん、半年後には再発しているかもしれない。どこかにまだ、僅かな細胞が残ってるかもしれない。
慢性の副作用も残ってるの。抗がん剤と放射線治療で・・・子供だって産めない。私は・・・結婚できる人間じゃない!」
「優花、」
「好きだった・・・ずっと・・・見つめてた。
私は窓際の病室から・・・駐車場の壁でテニスの壁打ちしている先生を見てた。
はじめは珍しくて。暇だったから・・・ただ面白がって見てたの。
日差しを浴びて力に溢れてる先生・・・生きてるって感じがして眩しかった。
お医者さんだなんて知らなかったのよ。検査で下へ降りていったとき、先生とエレベーターの中で一緒になったの。
そこで初めて白衣の先生を見たわ。私は車椅子に乗ってたし・・・近くで見た先生・・・とても大きく見えて感動した。
それからよ。いつもいつも、先生の姿を探していた。いつのまにか・・・先生に恋してた。」
真田は驚いていた。彼女が入院していた頃・・・それは五年前だということだ。
自分がドイツに行く前・・・まだを愛していた頃、優花は闘病しながら自分を見ていたという。
あの頃は暇な時間を見つけては、一番奥の高いセメントの塀で壁打ちをしたものだった。
いつも僅か15分ほどだったが、気分転換になって気にいっていた。
そう確かあの場所は・・・内科病棟からは良く見える。
「退院して・・・毎回ビクビクしながら外来に通ってた。マルクもルンバール(腰椎穿刺)も痛くて大嫌いだった。
GVHD(移植片対宿主病)もあって体も辛かったし・・・成功しているのか、それとも駄目なのか分からずに苦しかった。
それでも・・・先生の姿が見たくて、それだけを楽しみにしていたの。
運良く先生に会えたら、次の検診まで生きていられるなんて、自分に賭けをしたりしてた。
だから、先生の姿が見えなくなって、外国に留学したって聞いた時・・・私・・・死ぬかと思った。
もう・・駄目だって、でも・・・ここまで生きながらえて・・・そして奇跡が起こったの。
先生と・・・恋をした。信じられない・・・幸せな夢みたいなことが。
夢は・・・いつか醒める。知りながらも・・傍にいたかった」
「ならば傍にいればいい。夢なんかじゃないだろう?俺はここにいる。
優花を愛している。こうやって、お前を抱きしめて、一生を共にしたいと思っている。」
最後は嗚咽で言葉が途切れた優花の体を抱きしめて、真田は抱く腕に力を込めた。
厳しい残暑は彼女の体を更に小さくしてしまった。
今にも折れてしまいそうな愛しい体を抱きしめて、彼女が消えてしまわないように。
「結婚しよう。ずっと・・・傍にいる。子供などいなくてもいい。
優花がいれば、それでいいから。・・・俺と結婚して欲しい。」
彼女は最後まで『うん』とは言わなかった。
ただ真田の胸に縋って泣いていた。
真田の心は決まっていた。何があろうと離さない。共に生きていこうと強く心に思う。
その心に、もう昔の恋は消えていた。
『弦一郎?』
「元気か?」
『ええ、元気よ。』
「跡部は相変わらずか?忙しいのだろう。」
『今は、NYよ。さっき電話があった。』
「そうか、マメな奴だな。」
『私の心配というより・・・赤ちゃんの方が心配みたい。朝、昼、晩と電話がかかるの。
調子はどうだ?とか、動いてるか?って、可笑しいでしょ?』
「人間、変われば変わるものだな。の体調はいいのか?いつ・・・生まれるんだ?」
『クリスマスの頃よ。体調もいい。』
「そうか・・・ならばいい。お前が幸せなら、もう俺もいいだろう。」
『なに?弦一郎、何かあったの?』
「もうの心配など無用のようだと言ったのだ。そろそろ、自分の幸せを考えることにした。」
『それって、ね。そういうこと?』
「とにかく体を大事にしろ。跡部にも、よろしく伝えておいてくれ。」
『待って、弦一郎!』
「なんだ?」
『今まで・・・ありがとう。幸せになってね。』
「ああ、ありがとう。」
電話を切って、小さく一つ息を吐いた。
今、本当に終わった恋になった。
そんな気がして。
真田は星空を見上げて、優花の事を思った。
お前の命の輝きを・・・俺のすべてで包んでやりたい、と。
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