さよならから始めよう 〜真田編〜 5











朝、目覚めて。ベッドの中で、しばらく体の具合を確かめる。
ここ最近は体がだるい。


もともと夏は苦手だった。
今年の猛暑は堪えたし、特別な夏に心も体もはしゃぎ過ぎたのは分かっている。
体重も減ったし、貧血はなかなか改善しないままで、
主治医からは鉄剤を内服から注射に変えてみようかと言われた。


再発ではないから、と肩をたたかれたけれど。
頭では分かっていても、拭えない不安が常に付き纏っている。


発病した、あの夏も。
とにかく体がだるくて、微熱が続いた。
立ちくらみが頻繁に起こり、立っていられないこともあった。


あの時の具合の悪さと比べては、胃が縮むような不安に襲われる。
それを一年、一年繰り返して・・・今年で五年。


『治癒』と言っても良いのだと・・・先生もいってくれた。


それでも、いつどうなるか分からない。
急性骨髄性白血病の場合、初回寛解期に移植を行った場合には70-80%は生存できるらしい。
だが確実に3割前後の患者は死んでしまうのだ。


その3割に自分が入らないと・・・誰が言える?





姉から移植できたおかげで、骨髄移植後の拒絶反応は多分軽い方だったと思う。
それでも皮膚症状、眼症状、肝機能低下、胃腸症状と、ひと通りの反応があった。
致命的なものではなかったが、今も残っているものがある。


それに、大量の抗がん剤投与と放射線治療は白血病を治すことはできたけれど、将来的に新たな癌を生み出すリスクともなる。


副作用で、既に卵巣の機能は失われて・・・子供は産めない。



結婚なんて・・・夢のような話だと思う。



だるい体を起こしてカーテンを開くと、朝陽に目が眩んでふらついた。
自分の体なのに、思い通りには動かない。



「この夏は・・・幸せだったな」



優花は小さく呟いた。



真田が帰国してきたのを知ったのは、外来の掲示板に新任医師として真田の名前を見つけた日だ。
その後、用もないのに外科の外来前を通って、チラッと彼の横顔を見ることができた。


凛々しい横顔に、胸はドキドキして数秒と見てはいられないほどだった。
時々、見かける姿に胸はときめく。
花屋のアルバイトを続けながら探す想い人。
会えたらラッキー、会えなかったら・・・また明日と、毎日が楽しくて仕方なかった。


梅雨の時期に、紫陽花の前ですれ違い視線を交わせただけでも嬉しくて泣いてしまったほど、憧れていた人。
それから売店や病棟、外来の廊下とすれ違う事が多くなり、ついには会釈ができるまでになった。



楽しかった。
胸の高まりに、恋の輝きに目が眩みそうなほど楽しかった。



見ているだけで良かったのに。
なのに・・・五年も想い続けた片想いが、思いもよらぬことで実ってしまった。
それも、憧れていた相手から突然に想いを告げられたのだ。


信じられなかった。でも、嬉しかった。
嬉しかったけれど・・・同時に苦しみも背負わなくてはならなくなった。


真田は優しくて。とても大事にしてくれた。
見ていただけの時は無口で、厳しい人に見えたけれど、本当は気遣いのできる心の細やかな人だった。


近くなれば近くなるほど。愛されていると感じれば感じるほど。
心はどんどん重く苦しくなっていく。


真田と過ごす時間は、優花にとって限りある時間。


命の期限がどこにあるのか。
いや・・・まともに生きられたとしても、女として子供の産めない体では。



頭をもたげる思いを押さえ込んで、真田の前では笑っていた。
そう、常に笑顔で過ごすように決めていから。
いつ尽きるとも分からない命だから、皆の記憶に笑顔を残したいと思っていた。
心配ばかりかけている両親にも、命を分け与えてくれた姉にも、せめて自分の笑顔を返したいと思っていたからだ。



笑いながら、すぐ後ろに死を感じながら生きてきた。



幸せを感じれば感じるほど、別れが辛くなる。
でも、好きな人に好きといってもらえる。こんな奇跡的な幸せを手放したくない。


彼のことを思えば・・・いつかは別れなくてはいけないと思う。
でも、もう少し・・・もう少しだけ、傍にいたい。


二つの心がせめぎあって苦しい。
見ているだけだったなら、こんなに苦しまなくてすんだのに。
いや、見ているだけだったなら、こんなに温かな彼の心に触れることはなかった。



私が普通だったなら。
でも、病気をしたからこそ・・・彼に恋をした。



運命は偶然を繰り返しながら・・・どれも断ち切れずにループになっている。



どれもこれも必然のように重なって、今の二人がいる。





     結婚しよう。ずっと・・・傍にいる。子供などいなくてもいい。


     優花がいれば、それでいいから。・・・俺と結婚して欲しい。





嬉しい・・・私も傍にいたい。でも、



愛しているから選べないの。
大好きな先生には幸せになって欲しいから。私では、きっと幸せはあげられないから。



だから、あなたを選べないの。



今日も迎えることのできた新たな一日に、優花は一人で涙を流した。










「優花」


「先生・・・」


「外来に?」



外来の会計に並ぶ恋人の姿を見つけた真田が眉間に皺を寄せて声をかけてきた。
心配をしているのだと察した優花は、すぐに笑顔を作る。



「鉄剤・・・注射になったんです。毎日なんて、内藤先生ったら酷いの。」
「静脈注射のほうが効果が高いんだ。食事はとれているのか?辛かったら仕事は休むんだ。」



真顔で言い聞かせてくる真田に、優花はニコニコと微笑むばかり。
貧血も治りが悪いようなら問題になる。真田は、恋人の体が心配でたまらなかった。



「とにかく、今夜はうちに来ないか?少し話したい。」
「この前の話なら・・・」


「俺は諦めない。説得するから、」
「先生・・・」


「弦一郎」



不敵ともいえる笑顔を浮かべた真田に、困り顔で反論しようとした優花は、その時・・・真田の体越しに美しい人を見た。
名前を呼ばれた真田が振り返り、ああ、と笑顔を浮かべる。



。どうしたんだ?健診か?」


「そう。仕事中だろうから会えないと思ってたんだけど、会えてよかったわ。
 元気そう。この前は、電話ありがとう。」


「いや。順調か?」


「順調よ。今日は、景吾さんも来てくれたの。今、車をまわしてきてくれてる。」


「・・・信じられんマメさだな。」



和やかに話す二人の後ろで、優花はその人を黙ってみていた。
ふっくらと膨らんだお腹を柔らかな色のマタニティドレスで包んだ人は、女の自分が見ても見惚れるほどに美しかった。
彼女の白くて綺麗な手は、幸せがつまったお腹に優しく添えられている。



ああ、幸せな人なんだな。と、優花は思った。



思った途端、目の奥が熱くなる。



     自分の手には一生つかめない幸せ



ひと通り話した真田が、優花を紹介しようと後ろを振り向いた。



。彼女は・・・、優花?」



そこにいるはずの優花の姿が消えていた。
は不思議そうな顔で「え?誰?」と聞き返すが真田の目は広いフロアを走る。



どこへ?



優花を探す視線の先、不機嫌な顔の跡部がこちらに向かって歩いてきていた。



「よぅ、真田。元気そうだな。」
「あ・・ああ。お前も元気そうで何よりだ。」


「なんだ?俺を探してたんじゃないのか?」
「いや、お前たちに紹介したい人がいたのだが・・・」


「ひょっとして後ろにいた・・・髪の長い可愛い人?ごめんなさい!話してるところに声をかけてしまったのね。」
「いや、それはいいのだが。」



まだ、真田の視線は優花を探している。
跡部はチラッと真田の顔を見ると「行くぞ」とを急かして肩を抱いた。



数歩、歩くと足を止め、を先に促して真田のもとへ帰ってきた跡部が耳元に顔を寄せた。



「お前、の身代わりにして付き合っているのか?」
「なんだ、突然。どういう意味だ?」


「さっき玄関で泣いてる女とすれ違った。そいつの雰囲気がに似てたから気になったんだ。
 で、こっちに来てみたら・・・どうも泣いていた女が、お前の紹介したい奴なんじゃないかと思えてよ。」



目を見開いた真田に、跡部は目を眇めて溜息をつく。



「・・・当たりかよ」


「跡部。半分は当たっているかもしれないが、半分は外れている。」


「どういう意味だ?」


「お前がすれ違ったのは俺が紹介したいと思った彼女かもしれない。
 しかし、彼女は決しての身代わりなどではない。


 俺が一生をかけてもいいと思っている、特別な人だ。」



自分の目を見てキッパリと言い切った真田に、今度は跡部のほうが目を大きくする。
しかし、次には唇に笑顔を乗せて、真田の肩を叩いた。



「悪かった。何があったかは知らねぇが、早く追えよ。裏の駐車場の方へ行ったぜ。」


「すまない。紹介は、また今度する。」
「ああ、またな。」



真田は白衣を翻すと、玄関に向かって走り出した。
その背中を見送ってから、跡部は自分を待つ妻の隣に向かった。



「どうかしたの?彼女・・・気を悪くしたのかしら。どうしよう・・・」
「お前。真田のこと弦一郎って呼ぶの止めろよ。恋人から見たら、面白くねぇだろうよ。」


「あ・・・そうよね。私ったら、つい習慣で」
「チッ。真田にも、人の女房を呼びきりするなと言っときゃ良かった。」


「景吾さん、」
「馬鹿。俺の名前こそ、景吾でいいんだよ。真田のことは放っておけ。
 自分の女のことぐらい、自分で何とかするだろうよ。」



跡部は笑いながらの髪を軽く撫でて歩き出した。
真田の性格はよく知っているからこそ、奴が決めたことなら間違いないだろうと思う。



「心配はいらねぇよ。」



跡部の囁きに、は微笑みで返した。




















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