さよならから始めよう 11










は11時ごろに顔を出すといっていた。


日曜の病棟は比較的のんびりとしている。
遅めに病棟に顔を出して朝の回診を済ませ、薬の処方や週明けの検査オーダー指示を書く。


それが済めば、急変や急患がない限り自由に過ごせる。
といっても、病院外には出られないが。



のマンションにいった翌週。
『会って話したい』と彼女が電話をしてきた。


跡部との事だと分かるから。本当は聞きたくもなかった。
けれど、が自分と向き合いたいという気持ちが分かるから・・・断われなかった。



「真田先生。下に面会の方がいらっしゃってると、当直事務からお電話です。」
「分かった。すぐに降りると伝えてくれ。」



真田は溜息をついて立ち上がる。
そして白衣の裾を翻しながら階段を降りて行った。





日曜日の1階ロビーは明かりが灯っておらず薄暗い。
普段は患者が溢れんばかりに座っている会計前に、がポツンと立っていた。



。」
「ごめんなさい。職場にまで・・・忙しくなかった?」


「いや。病棟は落ち着いているし大丈夫だ。こっちこそ、時間がとれずに、こんなところまで来てもらって悪かったな。」



ううん、と。が目を伏せて首を横に振った。
見るからに辛そうな彼女に真田の胸も痛む。



「跡部は?」
「・・・駐車場で待ってる。」


「そうか・・・。で?なんだ?お前と跡部のことなら驚きはしたが、いちいち俺に報告することもないんだぞ。」
「でも」


「確かに紹介したのは俺だったが。もともとは仕事の関係で知り合ったんだ。
 あの場で俺が紹介せずとも会っていたかも知れない。」
「そうかもしれないけれど、やっぱり内緒にしてたみたいで。心苦しいの。」


「もう、子供じゃないんだ。内緒も何もない。気にするな。」
「弦一郎・・・」


。俺は・・・お前が幸せなら。それでいい。」
「ありがと・・う。」



瞳を潤ませて見上げてくるが愛しくて。
真田はいけないと知りながら、手を伸ばしての頭をクシャッと撫でた。
いつものように。が肩をすくめて、くすぐったそうに笑う。


胸に迫る想い。
こんなにも愛した人を手放さなくてはならない自分が、愚かしく哀れに思えた。



。もし・・・もしも。お前が辛くて泣きたくなった時には、必ず俺の元に来い。それだけ・・・約束してくれ。」
「弦一郎?」


「俺はお前を見守ってきたから。これからも、ずっと見守っているから。だからだ。」



真田の言葉に瞳を大きくしただったが、次には心からの笑顔を見せた。
柔らかな花のつぼみが開いたような笑顔を、真田は目を細めて心の奥に焼き付けた。




駐車場に車を止めて、景吾は病院正面の自動ドアを睨むかのように見つめていた。
ガラス戸の向こう、と見送りに出てきた真田が並んで歩いてきた。



は真田にどうしても話しておきたい・・・と景吾に言った。



熱のある彼女に無茶をした翌日。
入社して初めて私用で会社を休み彼女のそばに居た景吾。


は目覚めても景吾を責めたりしなかった。
それどころか『ごめんなさい』と謝って、景吾の手を熱っぽい手のひらで包み込んだ。



『なんで謝るんだ?謝るのは・・・俺だろう?』
『あなた・・・とても辛そうだった。私のせい。あなたを・・傷つけてしまった。』


『お前・・』
『弦一郎は私にとって、大切な肉親にも近い人なの。いつまでも・・・いい子で見られたかった。
 ずっと、優等生の可愛がられる子供でいたかったの。

 あなたに抱く・・・苦しくなるような想いとは違う。それは・・・わかって?』



その言葉に。自分の中にあった苛立ちや不信感は嘘のように消えた。
だからこそ。こうやってを車に乗せて、真田の病院にまでやってきたのだ。


それでが納得できるのならと。



そうは思っていたのに。
自分の見えない場所で、ふたりが何を話しているのか気になってしまう独占欲に呆れる。


自動扉が開き、外に出てきた二人。
真田は出たところで足を止めて、なにか話している。


それに対して、が朗らかに笑っていた。



途端に気分が悪くなる。


そう。初めてパーティーで会った時も、
名刺を交換した後に振り返って見たは同じようにリラックスした自然な笑顔を浮かべていた。


真田のことは中学から知っているが、彼も初めて見るような柔らかい表情をしていた。
それで、二人は恋人なのかと・・・疑ったのだ。


あの日と同じように笑いあう二人に、また『嫉妬』という厄介な想いが湧き上る。



俺の前で、あんなふうに笑ったことがあるか?
いつも何かに怯えたような瞳をして。困ったように。儚い笑顔を浮かべる。


何故だ?



真田に手を振って、こちらに真っ直ぐ向かってくる
車に気づいた真田が跡部を見た。


ほんの少し片手をあげると背を向ける。彼らしい挨拶の仕方だった。



助手席のドアが開く。



「ありがとう。終わりました。」
「スッキリしたのか?」


「ええ。」
「なら・・・海でも行くか?」


「え?」



驚くに口元を緩め、どこが近いか・・・と呟きながら車を発進させる景吾だった。



車の中で、は真田と話したことを景吾に聞かせた。
真田の態度が変わらなかった事。
幸せならいいと、ずっと見守っていると言ってくれたこと。



景吾は聞きながら、はこういうところは酷く幼くて残酷だと溜息をついた。


さっきまで嫉妬していたが、真田に同情すら感じてしまう。
どんな想いで、そう告げたのか。


は本当に気づいていないのか?


近すぎると見えないものかもしれないな。
あんなに近くで自分を愛している男がいるのに、近すぎて愛情の質が分からなくなるんだ。
異性に向ける愛なのか、肉親に向ける愛なのか。


どちらも深い想いなのに、まったく異なる愛情。
それが近すぎると区別がつかなくなっちまうんだ。



そんなことをつらつら考えながら、景吾は適当に相槌を打ちながらハンドルを握っていた。



ただ、ひとつ。は景吾に話さなかった事がある。


それは。



『もし・・・もしも。お前が辛くて泣きたくなった時には、必ず俺の元に来い。それだけ・・・約束してくれ。』



この言葉だけは大事に胸の奥へと仕舞った。


景吾との恋が、どこへ向かうのか常に不安を抱いているにとっては。
何より救いになる言葉だった。


傷ついても、真田が受け止めてくれる。
きっとバカな奴だと・・・優しく頭を撫でてくれるだろう。


そう、今までそうしてくれたように。



自分でも子供だと思うが、真田は逃げ帰ることのできる母親の胸のような存在に思えた。





「気持ちいい!」



初夏の浜辺でが背伸びをした。
景吾は波打ち際まで歩いて行き、ポケットに手を突っ込んだまま沖を眺める。


こんな時期の、こんな時間に浜辺に立つなど、いったい何年ぶりだろう。
光を反射する海面に目を眇めながら、大きく潮の香りを吸った。



「あ・・・綺麗。」
「ん?」



振り向けば。
は、すでにサンダルを脱ぎ捨てて何やら拾っている。



「おい。いきなり裸足になるのか?」
「え・・・ダメでしたか?あ・・・どうしよう、車を汚しちゃう。」


「バーカ。そんな心配してるんじゃない。病み上がりの癖に、海に入る気か?」



しまった。という顔を見せるに、景吾は噴出した。



「バカだ、バカ。もう会社は休めねぇぞ。自分で何とかしろよ。」
「ごめんなさい・・・つい。でも、大丈夫です。」


「そんな細い体で、大丈夫と言われてもな」



景吾はそう言ってに近づいていくと、ふんわりと彼女を抱きしめた。
彼女からは、いつもの花の香りがする。



可愛い花は幼くて。
可愛がれば可愛がるほど綺麗に咲くかもしれないが、咲けば咲いたで心配の種は尽きない。


彼女は自分の美しさも。
花に憧れる男の心も知らないから。



の体を気遣って、ほんの一時間ほどだったが浜辺で遊んだ。
彼女は輝くものや綺麗な色のものに魅かれた。



ガラスビンが波に洗われるうちに角が取れて丸くなったものや、小さな巻貝など。
見つけては太陽の光に透かして喜んだ。



。ほら、綺麗な色だぞ。」



探してやった小指の爪ほどのピンクの貝殻にも、は目を輝かせて微笑んだ。



開放的な海で、景吾と過ごす時間。
すこし汗ばむほど日差しの中で、は素直に楽しんだ。



ああ、と景吾は思う。



見たかった笑顔を、今。手にしたと。



笑ってくれ。もっと、もっと、俺にお前の笑顔を見せてくれ。
愛されているのだと、もっと俺に感じさせてくれ。



愛されているのだと。



景吾は息が止まるようなショックを受けていた。



自分はに『愛されたい』と心から願っていることに気づいてしまった。



同時に気づいたこと。


それは・・・



彼女を愛してしまっている、ということだった。





は小さな小石や貝殻を大事そうにハンカチに包んでカバンに仕舞った。


「楽しかったか?」と聞けば、ニッコリとが微笑んで頷いた。



「また、来よう。」



囁いて。景吾はアクセルを踏んだ。



彼の心の中にも。
恋の行く先を思う感情が芽生えていた。




















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