さよならから始めよう 13










今年の夏は短くて。
残暑らしきものもないままに秋がやってきた。


はハサミを手にフラワーベースの前で考えている。
そこは、跡部邸。


夏から後。
景吾に言われるまま、跡部邸内の花をが手がけるようになった。
週に2回は、景吾がいる、いないに関わらず、仕事として跡部邸に出入りする。


わざわざ彼女を通さずに、会社と契約してを指名してきた景吾。
仕事と言われれば断われるはずもなく、居心地の悪い思いをしながら通ってきている。


跡部邸の使用人は何も言わないが。
が景吾に関係するということぐらい分かっている。


時々攫われるようにして跡部邸に連れてこられ、そのまま朝を迎える。
景吾だけが住んでいる家ではない。
今は海外にいるという母親。
殆ど戻らない父親。
それでも、景吾の家族が暮らす家。
いつも留守を守っている使用人たち。


そんな場所に泊まること自体、にはストレスだった。





パチン、と。静かな部屋にハサミの音が響く。
今日はバラをメインにした。
華やかで品のあるオールドローズを中心にグリーンを合わせる。



メイドが用意してくれた紅茶に手もつけず、黙々と作業を続ける背後からドアの開く音が聞こえた。



「こんにちは。」



振り向いた先に立っていたのは、保奈美だった。
彼女は氷帝学園の制服を着たままの姿、片手には学生カバンを持っている。



「こんにちは。・・・学校帰りですか?」



思いもよらぬ人物が現れたことには慌てた。
制服姿の彼女に、当たり前のことを聞いてしまう自分が情けない。


保奈美はクスっと笑い「ええ」と答えた。
そのまま彼女は部屋の中まで入ってきて、黙って花を見つめる。
どうしたものかと困惑しているをよそに、彼女は勝手に話し始めた。



さんでしたっけ。まだ、景吾と続いてるんですね。」



ハッとしたの顔など見ずに、保奈美はローズに顔を近づけて香りを楽しんでいる。



「今回は珍しく長続きしてるの。ビックリ。ちょっと・・・長すぎかなって思い始めて。」
「長すぎ・・・?」


「そう。もし、気の迷いでも起こって景吾に本気になられると困るなって。
 だって・・・遊ぶのは私が高校を卒業するまでって約束してあるのに。」



保奈美の言う意味が分からず、は言葉も出なかった。
そんなを無視して、保奈美は淡々と話す。



「私と景吾は、結婚が決まってるの。つまり、私は景吾の婚約者。」



手にしていたハサミを落しそうになって、自分の右手を支える。
保奈美は最後までの顔を見なかった。



「・・・そろそろ遊びは、お終いにしてもらっていいですか。
 
 明日は両家で、正式に結婚までの予定を決めるんです。」



言うだけ言うとの返事も聞かずに
「これ、貰っていきます。香りが素敵。」と、保奈美は一本のローズを手に部屋を出た。



部屋を出たら、足早に玄関に向かう。
早く外に出たかった。
この場所に一分たりとも居たくない。



「保奈美様。」



古くから跡部邸に仕えている渡邊が気配を感じて出てきた。
何ともいえない瞳で保奈美を見つめ「大丈夫でございますか」と訊ねてくれたが、保奈美は足を止めなかった。



「渡邊さん。私が今日来たこと、景吾には言わないで。お願い。」
「承知いたしました。」


「無理いって・・・ごめんなさい」



玄関のドアを開けてくれた渡邊に謝って、保奈美は外に出た。


午後の陽射しが溢れる外。
保奈美は眩しさに目がくらみ、一瞬足元が崩れるような感覚を覚えた。


彼女を待っていた運転手が素早く車から出てきて、保奈美のためにドアを開く。
何とか意識を保ちつつ、開かれたドアから体を滑り込ませた。


目眩がする。気持ちが悪い・・・。


保奈美は口元を押さえて、シートに深く沈んだ。
片手に持ったローズの香りが強すぎる。



「保奈美様?おかげんが悪いのですか?病院の方へ寄りましょうか?」
「いい。帰る。」


「分かりました。とにかく、山田先生に往診に来ていただけるよう連絡しておきます。」



運転手が携帯で連絡をとる後姿に『どうでもいいから、早くここから離れて!』と心の中で叫んだが声にならなかった。
手にしたローズを強く握ると、棘が手のひらを刺す。



痛い。だが、その痛みが今は救われる。



迎えに出た使用人が無理矢理に手を開かせるまで、保奈美はローズを握り締め、手のひらに傷を残した。



ああ。神様が本当にいるとしたら。
私は、きっと地獄に落ちる。


嘘つきだもの。


それでも。景吾が欲しいの。
景吾は、私の唯一の人だから。










取り残されたは、ぼんやりと保奈美の出て行ったドアを見つめていた。


ピピー、と。窓の外で甲高い鳥の鳴き声がして我に返った。
作業の途中だったことを思い出し、ローズを手に取り、ハサミを入れようとして気がついた。
小刻みに震えて、力の入らない指。



呆然と見つめる手の甲に、ポツ・・・と雫が落ちる。



はそのまま崩れ落ちるかのように膝をついた。



「・・・ごめんなさい」



静かな部屋に呟かれた謝罪の言葉。



私は・・・なんてことを。



は、声を殺して泣いた。





「おい。なんで帰ったんだ?俺の部屋で待ってろと言わなかったか?」
『急な仕事が入ってしまって・・・』


「家なのか?」
『会社です』


「まだ働いてるのか?もう10時過ぎてるぞ」
『そうですね・・・忙しくて』


「はあ。仕方ねぇな。明日は休みだろう?午前中、迎えに行く。」
『・・・明日は大切な用事があるんじゃないですか?』



携帯を片手にパソコンを開き、メールをチェックしていた景吾の手が止まった。



「保奈美の家に呼ばれているが、夕方だ。お前に話してあったか?」
『・・・会うのは、やめます。』


「夕方だと言っただろ?昼間は空いてる。とにかく迎えに行くからな。準備しておけよ。」
『・・・・・。』


?」
『分かりました』



電話を切って。なにか違和感を感じた。
いつも以上に緊張したような硬い声。消え入りそうに話すの声が耳に残る。


また、くだらない事を愚図愚図と思い悩んでいるのだろうか。
ならば尚更、明日は会ってを抱きしめなくては・・・と思う。



本当に手のかかる女だ。


フ・・・と笑って。メールに目を向けた。



会長の秘書からメールが来ていた。
昼間、電話でも確認されたのに、しつこい。



『大事な話がある』と、会長から連絡を受けたのは先週だった。


ちょうど忙しかった景吾は内容も確認せずに、時間と場所だけ聞いて電話を切った。
保奈美の家で会うのなら、そうたいした事ではないだろうと深く考えもしなかったのだ。


祖父同士の付き合いがらみで、茶会だ、花見だと付き合わされることも多かったから、
いつものお勤め・・・ぐらいにしか思っていなかった。



保奈美の抱えた闇も。
の流した涙も知らず。



景吾は、ひとり。



デスクに飾られたオールドローズの優しい香りに包まれていた。




















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