さよならから始めよう 7
言葉が出なかった。手が震えるのを感じる。
『開けてくれ』
返事もできないのに、手が勝手にエントランスを開く操作をしてしまう。
1階から自分の部屋まで、2分とかからないだろう。
あ・・・でも。部屋番号は知っているのかしら?
頭の中は混乱している。
とにかく胸がドキドキして、片付けようとするのに物が手につかない。
ソファに置きっ放しにしてあった鞄やコートを寝室に片付けただけで、
チャイムが鳴った。
ハッとして玄関に続く廊下を振り向く。
嬉しいのか、戸惑っているのか、困っているのか。
心の中はぐちゃぐちゃだ。
それでも込み上げてくるような鼓動を抑えて、は玄関に向かった。
急かすかのように、もう一度チャイムが鳴る。
カチリ・・とロックを外したら、勝手に外から開くドア。
そこには、景吾が立っていた。
は震えるままの手で自分の口元を押さえ、ただ黙って景吾を見上げていた。
片眉をあげ眉間に皺を寄せた景吾。
「おい。なんで、会うなり泣いてんるだ?」
「だって・・・」
涙が溢れて、景吾の顔が歪んで見える。
ドアを開けたら、いきなり泣き顔のが立っていて景吾も驚いている。
それでも玄関の中に入ってきて後ろ手にドアを閉めてしまった。
「だって?だって、なんだ?」
「あの日から・・・連絡がなくて・・・もう・・・終わった・・・んだと」
「・・・あの日からNYに飛んでいた。3日前に帰国したんだが、お前こそ・・・待たせすぎだ。」
「待たせる?」
「いつ電話してくるんだろうか。メールぐらいはしてくるだろうと、ずっと待っていた。
お前こそ・・・酷いだろう?俺では満足できずに逃げるのかと思った。」
「そんなこと・・・」
フ・・・と景吾が瞳を和らげる。
そのまま手を伸ばして、の頬をふんわりと包んだ。
冷たくて大きな手が心地よい。は、擦り寄るように顔を傾けて目を閉じた。
頬に涙が零れていく。それを景吾の指がぬぐってくれる。
「悪い。お前は、そういうことが出来ない女なんだな。いいから・・・もう泣くな。女が泣くのは嫌いなんだ。」
「ごめんなさい」
景吾の言葉に、体をビクッとさせるに苦笑して。景吾はの肩に両手を置く。
「だが・・・お前が泣いてるのは悪くない。
、抱きしめていいか?いや・・・抱きしめたい。今すぐ、抱きしめさせろ。」
言い終わる前に抱きしめられていた。
体がしなりそうなほど、強く強く抱きしめられて。
それでも、その力の強さが嬉しくて。は景吾の胸に顔を埋めた。
「ねぇ、もう・・・聞かないで下さい。」
「ん?ああ、約束のことか?」
「そう・・・恥ずかしいの。」
「俺はいいぜ?そのかわり、好きなようにさせて貰うが・・・いいのか?」
景吾はの滑らかな髪を指ですきながら、笑いを滲ませた声で聞く。
は目を閉じたまま、コクリと頷いた。
その途端。また、強く抱きしめられた。
夜明け過ぎ。
は景吾に揺り動かされる。
「おい。起きろよ。今から、花見に行くぞ。」
「・・・今から?」
「本当は夜桜を見てから、お前を抱こうと思っていたんだが。
可愛いことを言いやがるから予定が狂った。」
気恥ずかしくて黙り込んだ自分の髪を軽く撫で、
いそいそとベッドから出て行く景吾の背中に初めては幸せを感じられた。
車の中で欠伸をかみ殺しながら『シングルのベッドはキツイな。ダブルを買うか?』などと景吾が言う。
そんなことを言われたら、この先も続くのだろうかと期待してしまう。
どう見ても恋愛慣れしている彼と、不慣れな自分。
厭きられるのは分かっているのに・・・続くことを願っている自分がいる。
あまり深くのめり込んではいけないと、心にブレーキをかけているつもりなのに。
どんどん深みにはまっていくのを感じている。
窓を開け、春の風を受けて髪が靡く景吾の横顔を見つめながら、やっぱり切なくなってしまった。
早朝の桜並木には犬を散歩させている人しかいない。
澄んだ空気の中、二人は並んで桜を見上げた。
は景吾に急かされて、ろくに化粧もせずに出てきた。
薄く淡いピンクの口紅をひいただけ。
だが、それが返って彼女の美しさを際立たせていた。
柔らかな朝の陽射しの中、眩しそうに桜を見上げる彼女の横顔を景吾はしばし堪能する。
ふと、景吾の視線に気がついたが「どうかした?」と微笑む。
「また見惚れてた」
景吾は恥ずかしげもなく告げると、を抱き寄せてキスをした。
30分ほど花見を楽しんで、共にカフェで朝食を取る。
会えなかった時間が嘘のよう。
二人は肩を並べ、額がつきそうなほど顔を寄せ合って他愛ない話をした。
「一度自宅に戻って服を着替える」という景吾に遠慮して、は最寄の駅で車を下ろしてもらうことにした。
駅前のロータリーに車を寄せた景吾に別れを告げるため、は運転席にまわる。
窓から手を伸ばした景吾が苦笑しながら手招きをした。
「おい。髪に桜の花びらがついてるぞ。」
「え?」
「ほら、しゃがめよ」
言われては身をかがめ運転席の景吾に花びらをとってもらうことにした。
する・・・と髪を梳かれて、花びらが視界の隅に舞っていくのを追っていこうとしたとき。
後頭部にまわった景吾の手に引き寄せられて、額に感じる柔らかな感触。
通勤の人たちが増えてきている駅での事。
すぐには赤くなって身を引いた。
そんな仕草も初々しくて、景吾は堪らず声を立てて笑う。
「口にしなかっただけ遠慮したんだ。」
「もう・・・」
「3日以内に電話する。お前も、2日以内に電話しろ。いいな?じゃあ。」
「あの、2日以内・・・って」
「それぐらいが俺の待てる限界ってことだ。分かったな。」
ニヤッと笑うと、の返事も待たずウィンカーを出して発進してしまう。
は唖然としながら車を見送った。
駅前の桜はもう散り始めている。
道路を薄く覆う花びらが、景吾の車を追うかのように舞いながらついて行く。
まるで・・・彼を追う自分のように思えて。
幸せでいて、どこか苦い朝のひととき。
無意識に、の唇から溜息が落ちていった。
2日後。
『パーティーの件ですが。本日、花の発注をします。最終確認ですが、よろしいでしょうか。』
『色気も何もないメールを寄こしてくるな。他にいうことは無いのか?』
『大事なことです。』
『すべて、お前に任すと言った筈だ。で、他に言いたいことは無いのか?個人的に。』
意地悪な人だと思う。
こんな事務的なメールに、どんなに勇気を振り絞ったか知りもしないのだろう。
は躊躇って。それでも、意を決して文字を打ち込んだ。
送信ボタンを押すときには、ドキドキして指が震えてしまった。
微妙な間を置いて、手のひらで震えだした携帯を開く。
オフィスの自分の部屋。景吾はメールを読んで一瞬瞠目した後、笑い出した。
『今度はいつ会えますか?』
笑いを耐えながら返信を打った。
『お前が望むなら、いつでも。』
さぁて。彼女は、いつと言ってくるだろう。
返信が待ち遠しい。
書類を机に放り出したまま、さっき届いた彼女のメールをもう一度読みかえす。
会えるものなら今日にでも会いたい。
来週などと返事がきたものなら怒ってしまいそうな自分に笑ってしまう。
これほどまでに会いたいと思わせる女はいただろうか。
また、携帯が震え始めた。
開いたメールには一言。
『今夜、会えますか?』
景吾は、また笑った。
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