夜明け。
彼は私に背を向けてシャツを着る。
私など存在してないかのように。
二人の間には何もなかったかのように。
彼の背中が真っ白のシャツに覆われていくのを見ていると、
いつも泣きたくなってしまう。
腕の中にいるときの幸福は短くて。
また、待つばかりの不安な一日が始まる。
さよならから始めよう 8
景吾がマンションにやってきた日から、頻繁に二人は会うようになっていた。
恋の行く先など気にも留めていない景吾は、欲するままにを求め。
恋の行き先に未来が欲しいは、臆病で傷つきやすかった。
今日は景吾に依頼された幼馴染の誕生日パーティーだ。
席は二つだけ。
景吾と高校生の女の子。
たった一人の女の子のために用意されたディナーは素晴らしいものだった。
シェフの食事も。
というテーブルコーディネーターという資格を持つ人間を使って準備させたテーブルも。
でも、寂しい。とも、は思った。
自分の誕生日は、二十歳を過ぎても家族が集い祝ってくれた。
母親がケーキを焼いて、兄は毎年のようにテディベアをプレゼントしてくれる。
ダイニングには、昼間のうちに父が活けてくれてた花が華やかに飾られていた。
家族が祝う誕生日。
そんなに気取ったものはない。それでも楽しい、ひとときを過ごす。
『保奈美の家は誕生日を祝ってやれるような家庭じゃない。プレゼントだけ貰っても、寂しいだろう?』
用意は二人分だけでいいのかと確認したときに景吾がいった。
寂しいだろう?という言葉に、彼も寂しかったのだろう・・・とは察した。
『景吾さん。誕生日・・・教えてもらってもいいですか?』
『ん?いいぜ。何かしてくれるのか?』
『私が・・・お祝いしてもいいですか?』
恐る恐る訊ねてみたら。
『そりゃ、楽しみだ』と、腕を引かれて抱きしめられた。
彼の誕生日は秋だった。
それまでは、傍に置いてくれると思っていいのだろうか。
僅かな望みに心をあたたかくする。
とにかく。景吾が大事にしている幼馴染。
彼女には、少しでも幸せな誕生日を迎えて欲しいと思った。
だから、いつも以上に心を込めて。
あたたかな色を選び、包み込むような優しさを表現するよう努めてプランを立てたのだった。
夕方には跡部邸に入り、準備を始めた。
可愛らしい彼女に合わせて、チューリップ系で揃えた。
ファンシーフリル・レオ フィーシー・バラード・ジュディレスター・ワシントン・ブラッシング レディ。
愛らしい変わり咲きのチューリップたち。
白いシャツに黒のエプロン、髪を後ろに束ねたが、ハサミを片手にフラワーベースへ向かう。
この時ばかりは、景吾のことも心から消える。
頭の中には完成したイメージが出来ている。それを、一本一本ハサミを入れながら表現していくのだ。
静かな部屋に、ハサミのパチンという音が響いていた。
最後の花が仕上がって、ほぅ・・・と息をつく。
「見事だな」
後ろから声をかけられて振り向けば、普段着の景吾が開いたままのドアの端に背
中を預けて立っていた。
「いつからいらしてたんですか?」
慌てて切った花を片付けながらが聞いた。
「さあ・・・半分ぐらい出来たところだったか。」
「そんなに前から?全然、気づいてませんでした。」
「集中してたな。初めて仕事をしているところを見たが・・・惚れ直した。」
「からかうのは、やめてください。」
また赤くなる頬を隠しながらゴミをまとめた。
不意に後ろから影が伸びてくる。
あ・・・と思ったときには、背中から抱きしめられて首筋に唇が押し付けられた。
「ちょっ・・・だめ。」
「何が、駄目なんだ。」
「まだ、やることがあるの」
「ふーん。だが、キスするぐらいの時間はあるだろう?なんなら泊まっていくか?」
言うなりの肩を掴んで体を反転させると唇を寄せてきた。
あっという間に景吾の好きなようにされてしまう。
その時。
廊下からバタバタと音がして「景吾!」と女の子の声がした。
は景吾の肩を押して、慌てて背を向ける。
息が整わない。髪を手ぐしで直しながら、下を向いて深呼吸を繰り返した。
「なんだ、保奈美。パーティーは夜からだって言っただろ?まだ準備中だ。」
背中で、いつもと変わらない平然とした景吾の声を聞く。
「そうだけど・・・。ねぇ、その人。誰?」
「ん?ああ、テーブルコーディネートを頼んだんだ。おい。」
そう言って、の腕を掴むと自分の横に並ばせた。
キスしているところを見られてないだろうか?
そう思うだけで頬が染まっていくのを感じる。
ドアの入り口に立っているであろう彼女の顔が見られずには頭を下げた。
「Aprilのと申します。本日はお誕生日おめでとうございます。」
「・・・ありがとうございます。それより、ねっ、景吾。私、買い物したいの。
準備が出来るまで足代わりになってよ。」
「ああ?今からか?」
「この服に合うイヤリングが欲しいの。だからっ」
「お前、そうやって俺にたかるつもりだろう?」
「もちろん。ねっ、お願い!」
「・・・仕方ねぇな。」
チラ・・・と景吾がを見た。
「予定時間までには整えておきますので。」
その間に近付いてきた保奈美が、自然と景吾に腕を絡ませて擦り寄っている。
その姿を見ていると胸の中がざわめくのを感じて、は視線を下に落とした。
「車をまわしてくるから待ってろ。」
「うん!」
景吾が部屋を出て行くと、と保奈美の二人になる。
どうにも居心地の悪い空気に耐えられず、は軽く頭を下げると作業を再開した。
出来上がったものを撮影しておこうとデジカメを出してファインダーを覗く。
そんなに保奈美の声がかけられた。
「あの・・・さんでしたっけ。私たち、遅くなるかもしれませんから終わったら帰ってくださいね。」
え?と振り向けば、すでに保奈美の姿はなかった。
「景吾。口紅がついてる。」
景吾のまわしてきた車に乗り込むと、保奈美は前を向いたままで不機嫌に言った。
ああ、そうか?ぐらいのもので、景吾は平気で唇を親指で拭った。
「女の人を家に入れるなんて珍しいじゃない?」
「彼女は仕事だ。」
「じゃ、寝てないの?」
「ガキが大人のことに口を挟むな。っていうか、そんな口をきくもんじゃないぞ。」
「ガキじゃないって!」
景吾はムキになる保奈美を横目で見ると、はいはい・・・と呆れた顔で頭を撫でてやる。
保奈美は悔しくて、悲しくて。大声で泣いてやりたい気持ちだった。
けれど、それでは。また子供だと笑われてしまう。
「ね、あの人。いくつ?」
「俺より・・・3つぐらい下か。」
「いつから付き合ってるの?」
「春から。」
「今だって春じゃない。じゃ、まだ・・・たいして長くないんだ。というより、長く付き合うことないものね。」
「大きなお世話だ。」
「季節労働者状態だよね。ひとつの季節しか続けない。」
「この話は終わりだ。どこの店に行くんだ?」
話しているうちに、少し余裕が出てきた。
景吾が女性を家に入れたことで気が動転したが・・・いつもの遊びと変わりないようだ。
保奈美が気づいたときには、常に景吾の周囲には女の影があった。
パーティーなどで見かける女性は、どの人も美しい大人の女性。
ちゃんと自分に合う女性を隣に置いている景吾は華やかだった。
景吾は保奈美に対して特別隠し立てもしない。
彼女を女だと意識してないからだが、自分の恋愛についても問われれば際どい事以外は話した。
それを聞く度に、保奈美は胸を刺す様な痛みに耐えなければならなかった。
だが痛みに耐えてでも、知りたかった。
ずっと、ずっと、景吾だけを追い求めてきたから。
だから景吾が誰にも本気になったことがないことや。
女の人に厭きたら、さっさとかえていくことや。
面倒だから自分の家には入れないことや。
絶対に朝まではベッドを共にしないことなんかまで知っていた。
あの人。今まで景吾が連れてた女の人とは感じが違う気がしたけど。
たまには、あんなタイプもつまみ食いしたくなるのかもね。
今日は仕事で家に来てただけだし・・・うん。大丈夫。また、すぐに別れる。
景吾が他の人とキスしてるのなんて、何度も目撃したことあるし。
平気。
あと・・・少し。
もう少し大人になったら、私だって景吾にキスしてもらえるような女になる。
景吾は誰にも渡さない。最後は、絶対私のものになって貰う。
「保奈美、ついたぞ。どうした?ぼんやりしてたが・・・具合が悪いのか?」
「うんん。だいじょーぶ!どんな高いものを強請ろうか考えてた。」
「おい。誕生日プレゼントは、もう用意してあるんだぜ?」
「それは、それ。これは、これ。」
だってさ。私の誕生日。
景吾の恋人がコーディネートした食卓で迎えるんだよ?
こんなに残酷なことってないと思う。
だから。もの凄く高いものを買って貰うの!
は自分の腕時計を見て、溜息をついた。
パーティーの予定開始時間は過ぎている。
いつもなら出来上がった後、ホストに確認してもらう。
だが景吾たちが帰ってくる気配もないし、
保奈美には『遅くなるかもしれませんから終わったら帰ってくださいね』と言われていた。
迷ったが。なんとなく、この家で二人を待つのは辛かった。
はいつも鞄に入れている洒落たメッセージカードを出すと愛用の万年筆で文字を書いていく。
次の仕事があるので帰ります・・・と、嘘を書いた。
そして保奈美の誕生日を祝うメッセージを書き、執事に渡して家を出た。
桜はもう散っている。
短い命。
だからこそ美しいのだ。
春が終わる。
は胸の奥に重い何かを飲み込んだまま、ひとり暗い道を歩いて帰った。
夜道に車を走らせながら、景吾が呟く。
「遅くなっちまった。」
「あの人が気になる?多分、もう帰っちゃってるわよ。」
少し意地悪に言ってしまってから、保奈美は嫌な気分になった。
なのに景吾ときたら、少し笑って答える。
「そうだな。アイツは、そういう女だ。」
その柔らかな笑顔を見て。保奈美は胸騒ぎを感じた。
「景吾。私がイヤリングを見ている間に何か買ったでしょ。」
「目ざといな。」
「何買ったの?あの人に買ったの?」
「ああ。アイツに買った。だが・・・」
「なによ?」
「は受け取らねぇ気がするけどな。さて、どうするかな。」
そう言って、何が楽しいのが笑い始めた。
保奈美は泣きたくなってきた。
自分の耳には、ダイヤモンドのイヤリングが輝いているのに。
彼女は贈り物を受け取らないような女だという。
それが分かっていて、景吾は彼女に何かを買ったという。
今すぐイヤリングを外して、窓の外に投げ捨てたい気持ちだった。
もう食事なんてする気にもなれない。
あの人が触れたものなど何も見たくはなかった。
「景吾。ごめ・・・苦しい。なんか、発作がきそうな感じ。」
「おい、薬は?」
「朝・・・飲んだけど。吸入とかは置いてきちゃった。」
「バカっ、仕方ねぇ。お前の家に戻るぞ。」
「うん・・・ごめん。」
嘘じゃない。本当に苦しいの。
胸が苦しくて、苦しくて。
最悪の誕生日だよ、景吾。
保奈美の想いは、闇と同じに沈んでいった。
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