ただ、愛しい。4 『またね』












女ひとりでバッティングセンターに通うのは、いかがなものかと思っていた。
何度か人を誘ってみたこともあるのだが、同僚たちの中で頷いてくれる人はいなかった。


ボールがバットに当たり跳ね返る音とモーター音が重なり合う中、私は長身の背中を見つける。



「ここ、禁煙よ」
「ん?」



くわえ煙草で振り返った乾が片眉をあげた。
バットを足の間に挟むと、ポケットから出してきた携帯灰皿に短くなった煙草を押し込む。



「煙草は体に悪いって。いつから吸ってるの?」
「卒論を書いてる頃から。」


「とにかくやめてよ。そうじゃなくても会社で煙に巻かれてるんだから。」



乾は意外そうな顔をしてから、メガネを押し上げて笑う。



「なんだ。じゃあ、からする煙草の匂いはカレシのものじゃないんだ?」
「カレシを作る暇もないって言ったでしょう?ヤダなぁ、私って煙草くさいんだ。最悪。」



思わず着ている服の匂いを嗅いで顔をしかめる。
乾は声をたてて笑うと、またボールを打ち始めた。



バッティングセンターで待ち合わせして、その後は定食屋か居酒屋へ。
友達同士で行くのだから当然なのだろうが、お洒落とは程遠い店を選んでる気がする。
それでもお互いが味を重視して贔屓にしている店だから悪くはなかった。


今夜は乾のお勧めで肉じゃがの美味しい定食屋に落ち着いた。



「お腹すいた。今日は昼を食べてないの。途中でお汁粉を飲んだだけ。」
「お汁粉?なんでまた。」


「血糖値を上げようと思って。自販機の中で一番甘そうなのがお汁粉だったの。」
「学生時代から思ってたんだけど、って面白いね。」



まぁ・・まずは一杯とビールを注がれ、すきっ腹に飲んだら胃が縮みあがる。
思わず胸を抑えて息を吐けば、乾が「いい飲みっぷり」と楽しそうに手を叩いてみせた。


今日の出来事を話しながら定食が来るのを待つ。
偶然に再会してから、もう五回目。


一週間から十日に一度は会ってる気がする。
もちろん付き合ってるわけでもなく、気のあう友達として。


ここ最近は乾からの連絡を心待ちにしている自分がいて、何かにつけてメールをチェックしてしまう癖がついてしまった。
私の方からも何か理由がつけばメールをするようになった。
さすがに理由もなく『会おう』と言えるほどの勇気はないが、メールをすれば乾は機嫌よく誘われてくれた。



「ね、吸ってもいい?」
「嫌。これ以上、煙草臭くなりたくない。」



食後の一服を訊ねてくる乾に一応は嫌がって見せる。
でも本当は乾の煙草を吸う姿を見るのは好きだ。


指の綺麗な男が煙草を吸う姿は見惚れるほど色っぽい。



「一本だけ。」
「それなら、いいよ。」



さんきゅ、と表情を崩して乾が胸のポケットから煙草を取り出す。
再会したばかりの頃は気を遣って吸わなかったようだけど、今は遠慮もない。
断って吸うだけでもマシだろう。



は煙草が嫌いなんだ。吸ってる人とは付き合わない?」


「そうでもない。カッコイイ人が吸ってるのを見てるのは好き。
 けど出版社は煙草を吸うオヤジが多くて、そっちは本当に嫌ね。」


「なるほど。で、俺は許せる?」



コイツ、もう酔ってるんだろうか?
大瓶ビール一本を二人で分けただけで、まさか。



「申し訳ないけど許しません。」
「酷いなぁ。俺はの鑑賞に堪えないってことか。」



頬杖をつき、指に煙草を挟んだままでメガネを押し上げる仕草。
それを見ているだけで胸がときめいてしまう女心を知らないでしょう?


いつの間に・・・この男はこんなにイイ男へと変わったんだろう。
彼の変化を近くで見てきた女性たちに嫉妬してしまいそう。



「乾になんか、ときめきません。」



心と裏腹な言葉を吐き、私はソッポを向く。
あまり見つめていたら絶対に赤面してしまうから。



「今日は雰囲気が違うね。髪をあげてるからかな。」
「なにを今さら。もう会ってから二時間以上もたってるのに。」



今日は出版記念パーティーがあったので髪をアップにしている。
なんとなく乾の視線が恥ずかしくて、私は耳元に揺れる小ぶりのパールピアスに触れた。
そんな私を乾は眩しいものでも見るように瞳を細めて首を傾けた。



「本当はバッティングセンターで顔を見た瞬間に思ったんだけど言いづらくてね。」
「言いづらいって、何よ。似合ってないってこと?」



違う、違うと乾が首を横に振るけど、私は唇を尖らせてビールのグラスに口をつける。
私の表情に諦めたような息を吐いた乾は、細い紫煙をくゆらせながら静かに言った。



「ちょっと、ときめいたから。」



飲んでいたピールが気管に入りむせた。
大丈夫かいと心配する乾の手を軽く払って自分を保つ。


乾のバカ。女ったらし。
いつの間にそんな口説き文句を言える男になったんだ。
心の中で罵りつつ、赤くなる頬をおしぼりで隠す。



そんなの女友達に言うセリフじゃないでしょうに。



それから後、ことさら乾に冷たくしてしまった。
乾は気にしたふうもなく軽く流すけど、私は友達としての領域を超えないコトに必死だ。


近づきすぎない方がいいのかも。


乾の広い背中を見ながら思えば、胸の中に小さな痛みが走った。



「じゃあね、また。」



電車を降りる時に乾は言う。
この前も、その前の前も乾は言った。



「またね。」



私も答える。
私の降りる駅より二駅前で電車を降りる乾は、必ず振り返って私を見送ってくれる。
ホームに立つスーツ姿の乾を見るたび、泣きたくなるのは何故だろう。



バイバイとガラス越しに手を振れば、微かな煙草の匂いを感じた。



やだ、煙草の匂いが。



走りだした電車の中、私はひとり赤くなりながら冷たいガラスに額をつけた。




















ただ、愛しい。『またね』 

2008/03/01




















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