ただ、愛しい。7 『動揺』












一本あとの電車だったから、まだ駅にいるとは思っていなかった。
それでも追ってしまったのは、俺の中にある後ろめたさだったろうか。



階段を昇りながら携帯を出してみたが、帰りを急ぐ人間を避けて進めばボタンが押せない。
改札を出てからだと諦めて、乗り越し料金を払って外へ出たら、予想を裏切った背中があった。


斜め後ろから見てもは綺麗だ。
空を見上げる彼女の横顔は愁いを帯びた女性のそれで、俺は声をかけそびれてしまった。
ぼんやりと落ちてくる雨を見ている姿は酷く儚く見える。


手にしていた携帯をポケットに仕舞い、俺はただ彼女の横顔を見つめていた。
さっきまで傍にいた人とは違う。今、俺の心を占めている人。



が足元に視線を落とし、小さく息をついた。
そして思い切ったかのように雨の中へと踏み出すのを俺は我にかえって追った。
折り畳み傘を開くと同時に掴んだ腕は、しっとりと湿度を含んで冷えていた。


振り返ったの目を見た瞬間、電話の声に感じた違和感が当たっていたことを確信する。



見られたかな。



自分の優柔不断さと迂闊さに舌打ちしたい気持ちになりながらも、どこかで喜んでいる俺がいた。
は消え入りそうな小さな声で俺に問う。



「ど・・したの?」
「一本あとの電車で追いかけてきたんだよ。こそ、どうした?」


「なにが?」



には自覚がないらしい。
そんな泣きそうな瞳で見つめられたら、思わず抱きしめたくなる。



「なにがじゃない。そんな目で俺を見るなよ。」



気持ち的に切羽詰まってきた俺の言葉をは受け止めきれずに困惑の色を見せた。
雨に濡れたような潤んだ瞳に鼓動が騒いで仕方ないのに。



「我慢できなくなる。」



ボソッと呟いて、俺はの細い肩を抱きしめるようにして自分の傘に入れた。





そのまま、さらってしまいたい。
だけど今の彼女に手を伸ばしても傷つけてしまいそうな気がする。


俺は目についた和風の居酒屋へ彼女を連れていくことにした。
は始めだけ帰りたいというような事を言ったが、肩を抱く手の力を強くすると黙った。


赤い暖簾をくぐるとムッとした湿気と人の声が俺たちを包む。
威勢の良い店員の声に促され、俺たちはカウンターの端に空いている二つの席に腰をおろした。



「なに飲む?体が冷えてるみたいだからビールはやめておくか?」


「まさか熱燗?」
「ああ、いいね。それにしようか。」



彼女も大人だ。
感情は上手く隠して、いつもと変わらない口調を作る。
それでも俺は全神経を集中させて、の様子を窺っていた。


店に入る時に濡れたのだろうか。
彼女の髪に一つだけ雨の雫が煌めいていた。
自然と伸ばし指先で雫を払えば、ちょっと傷ついてしまいそうなほど素早く身を引かれた。



「そんなに嫌がらなくてもいいのに。雨の雫をはらっただけだよ。」
「ゴ・・ゴメン、つい。頭でも叩かれるのかなと思って。」


「なんでそんなこと。俺だって我が身が可愛いよ。」
「それどういう意味?」


「いや、そんなことしたら倍になって返ってくるって」



無言で睨んでくるのに肩をすくめて誤魔化し笑いをすれば、やっとの表情が緩んだ。
そこへお通しが運ばれてきて、なんとなく場が落ち着いて俺は安堵した。


とにかく誤解を解かなくては。
それでいて藪蛇にはならないよう、慎重に。



「今日はゴメン、随分と遅れてしまった。」
「ううん。」



おしぼりで手を拭きながら、さりげなく切り出す。
は俺を見ないで頭を横に振った。



「ビアガーデンには行かなかったんだね。
 どこで待ってた?駅に着いた時には待ち合わせ場所にも居なかったと思うんだけど。」


「カフェでお茶を飲んでたんだけど・・・乾は遅いし、雨も降るしね。」



カフェ?ああ、ロータリーに面した一階にあるガラス張りの店。
なるほど。窓際で待っていたとしたら、俺たちの姿は隠しようもなく見られただろうと思う。



「なら、もう少し待っててくれたら良かったのに。
 同僚の女のコと現場からタクシーに乗ってきたんだ。時間帯が悪かったうえに雨だろ?
 普段なら十分で着く道が三十分以上かかってしまったんだ。」



が「同僚?」と僅かに首をかしげるのを見逃さない。


女の勘って本当に怖い。
だけど嘘は言っていないよ。
すべては過去のことで、そんな昔の関わりまで話して君に嫌な思いをさせることもない。
彼女は昔・・恋人だったけれど、今はただの同僚。



「現場から直帰するなら、ついでに駅まで乗せていってくれって頼まれてね。」



言い訳してるよと自分にツッコミつつ、の横顔ばかり見ている。


反省はしてる。
昔の女に優しくするのは、金輪際ナシにする。
自惚れかもしれないけれど、君を悲しませたくはない。



「あと五分早ければ、君を雨に濡らすこともなかった。」



いたわりの想いをこめて告げれば、おしぼりを綺麗にたたんだ君がやっと俺に視線を向けた。
君の瞳に映ることで体の力が抜けてしまいそうなほどホッとしている俺って、
自分が思ってたよりずっと君が好きらしい。


マイッタな。



「ゴメンね?」



雨が降り出したのに、傘を持たない君を独りにしてゴメン。
君の知らない女性を連れていってしまって、ゴメン。


は瞬きも忘れたように俺をジッと見てから、ふっと瞳を緩めた。



「こっちこそ、ゴメン。
 ちゃんと待てなくてゴメンナサイ。それと・・・」

「ん?」



君が素直に微笑んだ。
好きだな、その笑い方。



「追いかけてきてくれて嬉しかった。・・・ありがと。」



俺は動揺した。
既に見惚れてた笑顔が、少女のようにはにかんだから。



駄目だ、それ。
その笑顔だけで恋に落ちるどころか溺れそうだよ。



ウンとか適当に答えながら、とりあえず何かを口にしよう。
はやく注文した酒が来ないかな。


じゃないと勝手に赤くなる頬を誤魔化せない。


内心で焦ってたら、素晴らしいタイミングで酒が運ばれてきた。
それそれと熱い日本酒を注ぎ、注いでもらう。


どちらからともなく小さな白いお猪口を軽く合わせ、乾杯のようにして口に含んだ。


口腔内に広がる柔らかな甘みと香り。
喉元を過ぎた途端にカッと胸が熱くなる。


もう一口飲んで彼女を見たら、ピアスの揺れる耳たぶが赤く染まっていた。




ああ、・・・くらくらする。




















ただ、愛しい。 『動揺』 

2008/04/03




















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