つきせぬ想い 5
「ふざけるなっっ」
目の前のコップが倒れていくのを、スローモーションのように見ていた。
次には、目の前が黒くなる。
それが侑士の着ているジャケットだと認識するときには、彼が私の盾になっていた。
「どんなお詫びでもします。でも、彼女は・・・渡せない。」
侑士の背中に庇われながら、彼の声を体から聞く。
「とは、9月に式を挙げるんだぞ?家族にも紹介して。職場にだって、もう話してる。今さらっ」
「すべて白紙にしてください。お願いします。」
ダンッと、激しくテーブルを叩く音がした。
普段は穏やかな彼の怒りに。私は、言葉もなく震えるばかり。
「いつから付き合ってたんだっ?平気な顔してっ、ずっと騙してたのかっ!っ!」
怖くて、申し訳なくて・・・ただ涙が零れてくる。
「ごめんなさい。ごめんな・・・さい。」
それ以上に伝える言葉もなくて。
侑士は、相手がどんなに怒っても、冷静だった。覚悟を決めていたのだろうか。
丁寧に、言葉を選びながらも、決して譲らない強さで、凛としていた。
2時間近くに及ぶ話し合い。最後に、彼が・・・疲れたように聞いてきた。
「お前が、忘れられなかった男は・・・コイツだったんだな?」
私は、ただ。瞬きも忘れて、彼を見つめることしか出来なかった。
「この2年間。ずっと・・・お前の傍に居て。気付かなかったと思ってるのか?
お前・・・時々、誰かを見てた。俺じゃない・・・誰か。
それでも。俺でいいと言ってくれるなら。
いつかは、忘れてくれるだろう・・・って思ってたのにっ。クソッ」
「ごめんなさい・・・」
涙でうまく言えない私の背中に、温かい手が添えられる。
侑士が見えないところで、そっと背中を撫でてくれた。
「あとの事は、すべて・・・私と弁護士で、お話させていただきます。あと・・・これを。」
侑士はポケットから。あの夜、私から取り上げた婚約指輪を出して、彼の前に置いた。
ぼんやりと。指輪を見つめている彼の姿に、胸が裂かれそうに痛んだ。
侑士は、ホテルに部屋をとっていた。
「仕事は大丈夫なの?」 と聞けば。
「お前が心配することやない。」 と、軽くかわされた。
疲れきった体で、小さなソファに体を埋めた。
泣きすぎて、腫れぼったい目が痛む。
この数日で起こった出来事が、あまりに激しくて。信じられない。
「。ほら、目・・・冷やした方がええやろ?」
冷たいタオルが差し出されて、穏やかな笑顔の侑士が見下ろしている。
私。本当に、これでいいんだろうか?
突然現れた、この人に。本当に、すべてをゆだねて・・・いいのだろうか?
忍足の家・・・というものが、私を受け入れてくれるとも限らない。
私の両親だって・・・どんなに悲しむか。
怖い。この先、どうなってしまうのか・・・。
好きという気持ちだけで。突っ走れる年齢でもないのに。でも・・・
タオルを受け取らない私に。侑士が、そっとタオルを載せてくれた。
目を覆われて視界が暗くなる。ソファに置いた手に、大きな手が重なったのを感じた。
侑士が、ソファの横に跪いたのだろう。すぐ、隣から声がした。
「そんな、不安そうな顔するな。この前も言うたやろ?
俺が、絶対・・・お前を守る。ひとりには、せんから。なっ。」
「でも・・・たくさんの人を裏切って・・・傷つけちゃうよ?」
「ん。分かってる。それでも・・・譲れんもんがあるねん。」
「誰も・・・祝福してくれないよ?」
「別に。祝福なんて欲しくない。欲しいのは・・・お前だけやから。」
「侑士。後悔しない?」
「後悔は・・・もう、した。お前をあの日・・・手放したこと。
あれ以上の後悔は、ないから。?」
「うん?」
「今、別れたら。俺も、お前も。きっと一生後悔する。だから、進むしかない。
どんなに大変でも。もう、止められへん。」
ぎゅっと手を握られた。タオルの下。また、新たな涙が流れる。
ここ数日で。何年分の涙が流れたのだろう。
それでも。握られた手が温かくて。
私は、また泣いてしまう。切ないぐらい・・・愛しくて。
私たちは、ひとつのベッドに抱き合って寝た。
ただ、ぬくもりを感じて。共に眠っただけ。
それでも、眠りの中は幸せだった。
翌日は、私の実家に向かった。
母は泣き。父は怒った。当然だ。
父が手を振り上げると、侑士が前に出て私を庇う。
頭を畳に擦り付けて謝る彼の隣で、私も頭を下げた。
「お前は、うちの娘じゃない。親子の縁を切るっ」
父はとうとう部屋を出た。
取り残された私たちに、母が涙を拭いながら言う。
「とにかく、今日はひとまず帰りなさい。お父さんも・・・時間がたてば落ち着くだろうし。
とにかく、向こうのご両親にお詫びに行かなくてはね。
も行ったほうがいいのかしら。こんなことが起こるなんて・・・思ってもみなかったから。
どうしていいか・・・」
「私の弁護士を同伴させてください。できたら・・・さんは、連れて行って欲しくないのですが。」
「でも・・・」
「悪いのは、すべて僕です。頭を下げるのなら・・・私が下げます。」
「けれど。忍足さんが出て行ったのでは、余計に気分を害されるかもしれないし。
どうしようかしら。」
母と侑士が相談しているのを見ていたら。自分が情けなくなってきた。
流されて、こんなことになったんじゃない。
全部、侑士が悪いんじゃない。
侑士を忘れられなかったのは私。差し出された手を、振り払えなかったのも私だ。
そして。侑士と共に生きたい、と願ったのも私なのだから。
「私が行きます。選んだのは・・・私だから。私が行きます。」
「・・・。」
「お父さんにも。もう一度、話してきます。私の気持ち・・・ちゃんと話す。」
私が立ち上がると「俺も行く」と、侑士は言ったが、遠慮してもらった。
心配そうな顔で見つめる彼に頷いて、私は父の部屋に向かった。
廊下に立ち。襖一枚を隔てた向こうにいる父に話しかける。
「お父さん。本当に・・・ごめんなさい。自分でも、酷いことしてると思ってる。でもね・・・私。
ここで、彼を選ばなかったら・・・一生後悔すると思うの。
ずっと、彼のことを忘れられずに後悔するの・・・もう嫌なの。
ごめんね。本当に、ごめんなさい。でも・・・どんなに反対されても。私、彼と一緒に生きてく。」
「勝手にしろ」
くぐもった父の声が聞こえてきた。
ごめんなさい。どんなに誰かを傷つけても・・・。
私は、この恋を選びます。
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