月とすっぽん 完結
景吾の馬鹿。馬鹿、馬鹿、馬鹿。自己チュー野郎!
でもね、一番に馬鹿なのは私だ。
「すみません、新宿まで」
タクシーに乗り込んで行き先を告げた途端、本気で泣きたくなった。
寂しいお財布から札を出し、涙を拭うようにしてタクシーを降りる。
見上げた空には、そびえたつ高級ホテルの旗が風に揺れていた。
スーツで良かったと思うべきか。
しかし華やかなロビーに新聞の折り込み広告から抜け出てきたみたいなリクルートスーツと大きなカバンは浮いている。
気おくれしながらキョロキョロとしていたら、超絶不機嫌な顔をした景吾がロビーの奥から歩いてきた。
久しぶりに会えて嬉しいやら、腹立たしいやらで、訳が分からない。
半泣きになりながら駆け寄った私に対し、開口一番「遅い」と文句を言う景吾。
相変わらず見惚れるくらいイイ男だけど、本当に酷い。
「面接を放り出してきたんだよ?」
「どうせ落ちるんだから無駄なことしてんじゃねぇよ」
「そんなの分かんないじゃない!」
なんて奴だ。私の一生がかかってるかもしれない面接を潰しておいて謝りもしない。
「分かるんだよ。俺なら絶対にお前みたいなの採らないからな。それより今日は」
ぶちっと頭の中で血管の切れる音を聞いた。
ずっと好きだったよ。私の全身全霊をかけて好きだったことは認める。
けどね、もういいや。こんな男、どこぞの金持ち女にくれてやる!
「もういい、別れます。景吾は同じお月様と見合いでも、結婚でも好きにして下さい
これまでお世話になりました。それでは、さようなら」
怖くて冗談でも言えなかった言葉が勢いよく出ていく。
別れるなんて口にしたら、速攻で頷かれるのが分かっていたから言えなかった。
本当はもっとドラマみたいに格好よく言いたかったけど。
泣くまいと歯を食いしばって景吾をにらみつけたら、唖然とした間抜け面がそこにあった。
「お前という奴は・・・」
しばし見つめあい、やっと出た景吾の声が低い。
嬉々として別れを受け入れると思っていた景吾の眉間には深い皺が刻まれ、青味がかった瞳が冷たく細められていた。
「ちょっと、来い」
言うなり腕を掴まれ、抵抗も許さずに奥へと引きずられる。
よく考えなくても二人が別れ話を始めたのはホテルのロビーで、今更ながら場所が悪かったと顔が赤くなる。
抵抗がなくなっても景吾の力は弱まらず、私は痛いほど腕を掴まれたままロビーから外の庭園へと連れられて行った。
「見合いの話、忍足や岳人から聞いたんだろ。なぜ、妨害してこねぇんだ」
手入れされた芝生に足元の感触が変わったところで、唐突に景吾が訊ねてきた。
芝生にヒールをとられた私がつまづくと景吾の足が止まって、ゆっくりと振り返る。
美しい庭園に人影は少なく、離れたテラスで優雅にお茶を飲む人たちが見えるだけだった。
「妨害・・・して欲しかったの?」
「馬鹿。そんなわけあるか」
一瞬、景吾は私に止めてほしかったのかと期待してしまったが、ものの一秒で打ち消された。
へこむ私をよそに景吾は延々と文句を言い始める。
「だがな、これまでのお前だったら怒って、泣いて、大騒ぎしているはずだ
それが何だ?俺の前に顔は出さない。電話はおろかメールもしてこねぇ
あげくの果てに別れるって?お前、どっかで頭でも打ったんじゃないか?」
頭は打ってないので、首を横に振る。
そんな私の仕草に景吾の表情がますます険しくなっていく。
「どっか悪いのか?」
「悪くない。悪いのは景吾と私が違いすぎるから。景吾と私じゃ不釣り合いだから」
「んなこと初めから分かってただろ」
痛みを吐き出すようにして告げたのに、景吾は「なんだ、そんなことか」と脱力したように息を吐いた。
頭の血が一気に下がっていくような眩暈に襲われる私をよそに、景吾はしかめっ面で嫌そうに続ける。
「今更か?そういうことは俺に告る前に考えとけよ」
「あ、あの頃は・・ただ好きで」
「そうだ。人の迷惑なんぞお構いなしで追いかけまわして、好きだ好きだって朝から晩まで言いまくってたな」
「だって」
「その図々しさと執念に、俺はうっかり頷いちまったんだ」
「ごめん・・・」
段々と景吾の語尾が強くなる。
いつの間にか腰に手を当て説教を始めた様子の景吾に、私は段々と身を小さくするしかない。
「だがな。うっかりはしたが、それから後は俺の意志だ」
はっとして顔を上げた。
そこには唇の端に笑みを浮かべた景吾がいる。
「お前が暴走するとややこしくなると思って黙っていたが、まさかおとなしく諦めようとするとはな
今になってビビってんじゃねぇよ、ばーか」
『結婚話は俺の手で潰しちまったから心配するな』と軽く頭を小突かれて涙が出た。
もちろん痛みじゃなくて、嬉しくてだ。
子どもみたいに涙をこぼす私の肩を景吾の腕が優しく包んでくれる。
懐かしい景吾の香りを吸いこんで、もう何があっても絶対に離れないんだからと強く誓った。
「おい、もう泣くなよ。これから面接があるんだから」
「面接?」
ひょっとして跡部家の系列会社を紹介してくれるの?
浮かんだ素晴らしい予想に期待の視線を上げると、景吾が意地悪気に笑った。
「親がお前に会いたいってよ。ま、就職が決まらなきゃ、俺んちのメイドだな」
景吾の言葉に、今度こそ全身の血液が凍ってしまった私だった。
月とすっぽん 完結
2011/11/08
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