月とすっぽん 完結編 1










「見て見て、プリンスよ」
「きゃあ!今日も素敵」



隣のデスクから密やかに弾んだ声が聞こえてくる。
懐かしい会話にディスプレイを睨んでいた視線を向けた。


ガラス窓の向こう、品の好さそうなスーツに身を包んだ男が歩いていく。
我が子ほど下の相手に対し、隣に並ぶ五十を過ぎた部長の腰は低い。


きっと胸の内では『この若造めが』とか思ってるんだろうなぁ。
そんなことを思いつつ、通り過ぎていく人の横顔を鑑賞する。



いつ見てもイイ男♪



「あ〜、行っちゃう」
「部長、うらやましすぎる」



フロアのお局様が咳払いをしているが、彼女たちの興奮は治まりそうにない。
それも仕方がないと思う。


なんせ、ほら。
あれは俺様、何様、跡部景吾様だからね。


景吾が歩けば多くの視線が集まり、溜息が落ちる。
女のコはうっとりと。男の人は嫉妬まじりの溜息。


輝くオーラを撒き散らしつつ、羨望と妬みは当たり前と生きてきた男。
それが跡部景吾だ。



「ちょっと、さん」
「はい?」



急に呼ばれてキーボードを打ち間違えた。
あちゃ〜と思いつつ視線を向ければ、先輩のお姉様たちが景吾を指していた。



「やっぱり貴女もプリンス狙い?」
「はぁ、まぁ。いえ・・」 狙ったのは随分と昔ですが。


「気持ちは分かるけど、無理よ。なんてったって跡部家の御曹司
 相手も大企業のお嬢様に決まってるんだから」


「えっ、そうなんですか?でも、縁談は断ったって」 
「あら。新人なのに、よく知ってるわね?」


「ま、まぁ、ちょっと小耳に」 



曖昧な表現に終始していたら、お姉様方が呆れたような顔で私を見た。



「噂じゃ長く付き合ってる恋人がいるらしいわね。どんな人だろう」



どんな人って、私のことかな。
他に恋人と呼べる人が存在しないなら、景吾いわく私は『馬鹿』らしいですが。
部長と話しながら通り過ぎていく景吾の横顔を見つめて、ちょっと赤面してしまった。



「きっと、根性のある普通の人ですよ」



私の答えに目を丸くしたお姉様方は、あなたって面白いわねぇと笑った。





就職試験に落ちまくった私が勤めるのは、恐れ多くも一部上場の一流企業。
コネ以外の何ものでもない、景吾の莫大な力添えがあって入れた会社だ。
とはいっても、そうは甘くない景吾。



『正社員になろうなんざ百年早い』



そう言われ、契約社員として秘書課にいる。
秘書課なんて絶対に無理だと泣いてお願いしたけど聞く耳持たずの景吾に放り込まれた。


言葉遣い、立ち居振る舞い、なにをとっても駄目駄目。
敬語が正しく使えず日本語だって不十分なのに、英語が話せるはずもない。



さん、お喋りしている暇はないはずですよ」



かけられた冷たい声に恐る恐る振り向けば、にこやかだけれど怖ろしい上司が立っていた。


笑顔なのにお説教。
秘書も一流になると爽やかな笑顔で他人に説教できるんだなぁ。
そんなことを考えつつ、私の指導をしてくれている五百蔵(いおろい)さんの話を聞く。
読めない名字の五百蔵さんは男の人だけど、圧倒的に女性が多い秘書課の中でも浮いていない美形だ。
面食いの私には嬉しい上司だけれど、仕事には厳しい。特に私には厳しい。


まぁ秘書と呼ぶには力不足の自分を知っているから納得もしますけどね。
これもすべて適材適所という言葉を知らない景吾のせいですから。


はい、はいとロボットのように頷いていたら、視界の隅に再び景吾が映った。
五百蔵さんの背後、ガラス越しに景吾が私を見ている。


助けて〜と目で合図を送ったら、景吾の口が動いた。



『バ〜カ』



その二言を残し、景吾は去っていったのだった。



さん、聞いてますか?」
「は、はい」



ガックリとしていたら、五百蔵さんに微笑まれた。
その微笑みが氷のように思えるのは私だけでしょうか。



さんね、はぁとか、あっとか、は、はいとか・・・余分なものが多いですね
 それ、馬鹿っぽいからやめましょう」


「はぁ。あっ、はい」
「はい、減点。君、ホントにちょっと馬鹿ですね」



笑って、さらりと私を馬鹿呼ばわりした五百蔵さんだった。



仕事が終わっても、五百蔵さんの特別個人指導が私を待っている。
うらやましいわねぇとお姉様方には言われるけれど、
冷え冷えとした笑みを浮かべられたまま丁寧に罵られる辛さが分かっていない。


姿勢が悪いから始まって、メイクの下手さまで指摘される。それも男性に。
挙句には五百蔵さんの友人だという美容師さんを紹介され、
それなりに見られるようにしてやってくださいなんて言われてしまった。


これまたイケメンの美容師さんは丁寧にメイクのコツを教えてくれて、ついでに髪まで切ってくれた。
がっ、その料金の高いこと。万単位なのに顔色を変えた私の隣で、笑顔の五百蔵さんは
自分の財布からお札を出した。
なんと・・部下のためにお金を出してくれるのかと感激していたら、
分割でいいですよと綺麗な笑顔を見せてくれたっけ。


英会話が得意でないと知られると外国人しかいない部署に連れていかれて一週間の下働きを命じられた。
誰ひとり日本語を話してくれない場所で資料作りを手伝ったり、電話番をしたりと悲惨だった。
今でも時々は前触れもなく放り込まれるので油断ができない。
だから、五百蔵さんの貸してくれた英会話のCDが通勤の友になっている。


言葉遣い、服装、挨拶の仕方からお茶の淹れ方まで。
五百蔵さんは小姑のように細かい。
ここが景吾のコネで入った会社でなければ、とうの昔に逃げ出していだろう私だ。





?」



声をかけられて顔を上げるとラフな格好の忍足が立っていた。
そこは駅近くの大型書店で客も多い。そのせいか、忍足はうかがう様に声をかけてきた。



「ああ、忍足。久しぶり」
「びっくりした。ホンマにやった」



マジマジと私を見て、忍足は相変わらず長めの髪をかきあげる。
それから私の手元を見て、なんやそれと笑った。


『美しい女性の日本語』と書かれた本を立ち読みしていたのだ。



「美しい女性なぁ。なるほど」
「美しくなくてもね、読まなきゃいけないことがあるの」



意味深な忍足の相槌に、美しいとは言い難い平凡な私は口をとがらせる。
だが忍足は楽しそうに瞳を細めると自分の胸元を押さえて言った。



「いやいや、なんやドキドキするわ。えらい綺麗になって」
「なにが?」



演技がかった大げさな仕草に眉を寄せる私。
そんな私を見下ろして、うんうんと頷いた忍足は軽く言った。



「お前、跡部に愛されてるなぁ。ええことや」
「はい?」



冗談?と思わず聞き返しそうになった。
働き始めてからプライベートで景吾に会うことが極端に減った。
私は景吾が大好きだから、会わないと景吾不足でヘロヘロになってしまうが
奴は一週間や二週間・・・いや三年ぐらい会わなくたって平気かもしれない。


景吾不足に耐えきれなくなって泣きの電話を入れるのが私。
それでも二度に一度は『忙しい』と断られるのだが、ちょこっとは会ってくれる。
そのたび飼い主に会えた犬のごとく景吾に抱きついて充電している私なのだ。
飼い主の景吾はというと『時間を作ってやったんだ』的な態度で、ちっとも嬉しそうじゃないけどね。



「お前が幸せやったら、俺も嬉しい。もう親心みたいなもんやな」



正社員でもないのに五百蔵さんには正社員以上に厳しくされ、そう幸せでもないのだけれど。
でも景吾の傍にいられているのは確かだから、それは幸せ。


景吾がいてくれれば、私はそれでいい。



「うん、ありがと」



感謝をこめて微笑めば、ちょっと驚いた顔をした忍足が視線をそらして頭をかいた。





















月とすっぽん 完結編 1 

2012/06/10




















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