嘘つきな酔っ払い 乾編 2
翌日、研究室の水谷が近々結婚するらしいという噂を聞いた。
ハナちゃんの失恋相手は彼だったのかと合点する。
どれぐらい好きだったのかは分からないけれど、
想いを寄せていたヤツが結婚するとなると『大失恋』という表現にもなるだろう。
仲間意識というわけでもないだろうが、
大切に想う人が自分とは歩いてくれない悲しみを知る俺はハナちゃんに同情した。
そして、噂を聞きつけた同僚達に結婚を祝福されノロケまくる水谷を前にして俺は内心ハラハラする。
ハナちゃんに用事を言いつけて部屋から出そうかとも思ったが、
彼女は嘘のない笑顔を浮かべて「おめでとうございます」と笑っていた。
強い子だ。
自分の気持ちなどおくびにも出さず、キチンと祝福の言葉が言える。
俺は感心すると共に、その頑張りを褒めてやりたくなった。
みんながワイワイと盛り上がっている時、さりげなくハナちゃんの隣に立ち彼女の背中をポンポンと叩いてやった。
「えらいね」
「え?なにがです?」
「失恋した相手を祝福できる。えらいと思うよ。」
「は?えっと、」
「大失恋の相手は水谷だろ?」
彼女の瞳がレンズの奥で大きくなった。
これから後も失恋した相手が幸せになるのを横目に働かなくてはならない。
それはそれでキツイことだと思う。
恋を失くしても、気持ちは『ハイさようなら』で済まないのが厄介なんだ。
ハナちゃんはジッと俺の顔を見てから、眉をハの字にして笑った。
それから視線を逸らし睫毛を伏せると小さく言った。
「・・・好きな人には幸せでいてほしいって思います。幸せに出来るのが自分じゃなくても。」
俺は少し驚いていた。
彼女も恋をする一人の女性だったんだと色白の横顔を見て思う。
そして彼女の言葉に共感する俺がいた。
「ウン、俺もそう思ってる。」
「乾さんも・・・幸せになってくださいね?」
「ああ、努力するよ。」
「ハイ」
ハナちゃんが二コッと笑う。
その笑顔が今まで見てきたハナちゃんの笑顔の中で一番辛そうに見えた。
その後、ハナちゃんのマウスはやっと発症した。
発症したらしたで、彼女はデータ収集と新たな実験のために寝食を忘れて没頭していた。
女性の研究者でここまでのめり込むのも珍しい。
コンコンとノックをしてみたが返事がない。
そっとドアノブを回せば、すんなりとドアが開いた。
「ハナちゃん、入るよ?」
居るはずの彼女から返事は返ってこない。
トイレにでも行ったのかと思ったとき、机の脇に二本の足が伸びているのを発見した。
「ハナちゃん!?」
慌てて駆け寄れば、なんと彼女はダンボールを敷いた床で仮眠中だった。
白衣のまま、伸びたようなカーディガンをケット代わりにして丸くなっていた。
「ちょっと、ハナちゃん。風邪を引くぞ。おい!」
「ん・・・誰?」
勢いよく肩を揺すれば、薄っすらと目を開いたハナちゃん。
俺はというと酷く驚いて彼女の顔を見つめていた。
「えっと・・乾さん?」
寝ぼけた彼女が跪いてる俺の顔に鼻先を近づけマジマジと見つめる。
俺は思わず仰け反って「乾だ」と自己紹介をしてしまった。
メガネ、メガネと探し出す彼女より先に、頭元に置かれている銀縁メガネを差し出してやる。
彼女はメガネを受け取ると無造作にかけて俺を見た。
そして、いつもの笑顔を浮かべた。
「ああ、すみません。昨日も徹夜だったんで、つい・・うたた寝してました。」
「うたた寝というより、思いっきり床で爆睡しているように見えたけど?」
「ダンボールって温かくて柔らかい、優れものなんですよ。」
「それは分かるけど・・」
俺は言葉を濁した。
若い女性が鍵もかけずに床に転がって寝ているのはマズイ気がする。
そう思わずにいられなかったのは、メガネを外した彼女の顔がとても綺麗だったからだ。
化粧気など何もない。
しかし透ける様に白い肌にピンクの頬と唇。
零れ落ちそうに大きく黒い瞳は魅力的な女性のものだった。
ウチの研究所で彼女の素顔を知っているヤツはいるんだろうか。
それじゃなくても女の少ない職場だから、そこそこの女のコは直ぐに誰かが手をつける。
しかしハナちゃんは研究に没頭する変わり者だと知られていたから誰も恋愛対象に考えてないようだった。
「あ、乾さん!それって差し入れですか?」
「ああ、一応。食べ物と乾特製の栄養ドリンクだ。」
「いつもスミマセン。今度、お礼にカラオケに行きましょうね。」
「カラオケ?なんで?」
「ストレスがたまると行きたくなりません?」
「いや、別に。」
「ストレスを我慢してると胃に穴があきますよ?私が奢りますから今度行きましょう、ねっ?」
やっぱり変わったコだと思う。
だが彼女の屈託ない明るさは、かつての部活仲間だったエージを思い出して懐かしかった。
別に無理して幸せを掴もうとしているわけじゃないけど、出入りしている業者の営業さんに誘われて飲みに出かけた。
多分そうじゃないだろうかと予測した通りにベッドにまで誘われて、また・・うたかたの恋をする。
年上だし、美人だし、ベタベタもしない。
だが、とてもじゃないけど生涯の恋など出来そうもない。
これは失恋した女が陥る『傷を癒すために誰とでも付き合う的』自虐的行動だと分析する。
ドラマだったら友達想いの親友に「もっと自分を大事にして!」と説教を食らうところだ。
付き合い始めて早々に、どうやって別れようかと考えている俺は最低だ。
自分の状況をかんがみて、ハナちゃんのことが心配になった。
今のところ恋人はマウスのようだが、あんなコがろくでもない男に引っかかると落ちるところまで落ちそうだ。
どう見ても男慣れしているふうでもない彼女を案じている俺は、まるで友達想いの親友役みたいだ。
「ゴメンね」
実験中のマウスに謝って頭を撫でる。
研究のためとはいえ一つの命に人為的な手を加える事の痛みを彼女を通して思い出した。
開いたままの扉をコンコンと鳴らせば、彼女が顔を上げパッと笑顔になった。
まるで保育園に迎えに来た親の顔でも見た時の子供みたいだ。
ハナちゃんは俺の顔を見ると、とても嬉しそうに笑う。
「どう調子は?」
「おかげさまで、いいデータが取れそうですよ。」
「そう、よかった。で、ハナちゃんは自身は元気?」
「まぁ・・・二日ほど床で寝てたんで背中が痛いぐらいでしょうか。」
「また床で寝てたのか・・まったく。食事は?」
「さっき山本さんにクッキーを貰いました。」
マウスの健康状態よりハナちゃんの健康状態の方が心配になってきた。
この調子では自棄になって男遊びをする余裕もなさそうだ。
「クッキーなんかじゃ血糖値しか上がらないよ。ちゃんと食事をしたほうがいい。
ちょうど俺も食べてないから、外へ何か食べに行こう。もちろん、俺の奢りで。」
奢りに力を入れて言うと目に見えてハナちゃんが喜んでいた。
そのヨレた白衣は脱いで出ようとお願いし、スキップしそうなハナちゃんを連れてエレベーターに乗った。
ハナちゃんは良く喋る。大半がマウスと病原菌についてだ。
俺とは話が弾むけど、世間一般の男には通用しないだろう会話。
とてもじゃないけど今直ぐにはカレシが出来そうもない。
俺はハナちゃん好きだけど。
彼女は学問が本当に好きなのだ。
知りたいもの、知らなかったものを知る楽しさを知っている。
知るために、答えを得るために研究するんだ。寝食さえ忘れて没頭する。
とても純粋な探究心。
キラキラした瞳をレンズの奥に見つけるたび、俺はハナちゃんに親近感を抱く。
そのワクワク感を俺も知っているからだ。
ハナちゃんは可愛い。
変わり者だけど磨けば光る整った顔だってしている。
何より性格が素直で単純、明るい。そして命に対する真摯な優しさがある。
いいコなんだけどな。
誰か彼女の良さを理解してくれるヤツが現れてくれればいい。
「何、食べたい?」
「チーズバーガーとポテト!」
「えっ!?いや、遠慮しなくてもいいから。もう少しマシなものを・・」
「駄目なんですか?私、大好物なのに。もう2週間も食べてないし。」
「・・・サラダもつけてやるよ。」
エレベーターのドアが開き呆れながら一歩を踏み出した時、前からカツカツとヒールの音が響いてきた。
「ちょうど良かった。あなたを誘いに上がろうと思ったところだったの。
メールしたのに返事もくれないんですもの。」
別れようかと思っている新しい彼女だった。
スッキリしたスーツ姿に赤い口紅は仕事中らしい。
そういえばデスクの上に携帯を置きっぱなしにしてきたことを思い出した。
「ゴメン、携帯を持ってなかったんだ。仕事中じゃないのか?」
「仕事中だけどランチの時間ぐらいあるわ。近くに来たから貞治を誘いに来たのよ。」
貞治と彼女が名前で呼んだ途端、弾かれたようにハナちゃんが俺から離れた。
ハナちゃんは困ったみたいな情けない顔をしてペコリと俺に頭を下げる。
「あ、あの・・私はいいですから!じゃあ、そ、そういうことで!」
「待って。先約はハナちゃんだから・・」
「本当にいいんです!失礼します!」
俺の言葉を遮って、ハナちゃんは再び頭を下げると自動ドアが開くのも待てない様子で外へ飛び出していった。
彼女は視線でハナちゃんの後姿を少し追うと俺に言った。
「気をきかせてくれたみたい。
あのコ、有名な研究バカさんでしょう?
なんだかマンガに出てくるような冴えないコね。」
ああ、やっぱり別れよう。
彼女の蔑むような視線に俺の心が一気に冷める。
「悪いけど、俺は彼女とランチする約束をしてたんだ。
君は誰か他の人と食べてくれ。じゃあ、失敬。」
「待ってよ、なに怒ってるの?」
「同僚を馬鹿にするようなことは言ってほしくない。彼女は優秀な研究者だ。」
「あ・・ごめんなさい。他の人から色々と噂を聞いてたものだから。
別に悪気があったわけじゃ、」
「悪いけど、もう君とは終わりにしたい。」
またやってしまった。
進歩がないね、俺。
茫然としている彼女を残し、俺はハナちゃんの後を追った。
よく考えれば俺に奢ってもらう気マンマンだった彼女は図々しくも手ぶらでエレベーターに乗ったはずだ。
一文無しでは好物のチーズバーガーだって食べられるはずがない。
どこに行った?
大きな通りに走り出て、俺はハナちゃんの姿を探す。
こんなにも誰かを探したのは久しぶりの事だった。
嘘つきな酔っ払い 乾編2
2006.11.23
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