嘘つきな酔っ払い 乾編 3
30分は探しただろうか。
考えればハナちゃんがチーズバーガー好きだってこと以外、俺は彼女のことなど何も知らないことに気がついた。
携帯の番号はもちろんのこと、こんな時に何所へ足が向くのかも知らない。
よく考えればハナちゃんという名前さえ、あだ名か本当の名前なのかさえ知らなかった。
時間は決まってないような昼休みだが、あまりに長く席を外すわけにもいかない。
俺はファーストフード店で自分とハナちゃんのためにチーズバーガーセットを買い研究所に戻った。
自分の部屋は素通りして、真っ直ぐ彼女が詰めてるマウスの実験室へ向かう。
コンコンとノックをすると返事も待たずにドアを開けた。
いた。
パッと顔を上げたハナちゃんはいつもの笑顔じゃなくて、ウサギみたいに目を赤くしていた。
俺の顔を見ると慌てたように俯いて、メガネをずらし涙を拭う。
思いもしなかった彼女の泣き顔に俺は酷く狼狽した。
「ゴメン、突然ドアを開けてしまって。」
「いいえ。どうしたんですか?」
彼女は俯いたままだったけれど、部屋の空気と不釣合いな明るい声を出した。
俺の眉間に皺が寄る。
普段の俺なら相手が望んでいない限りは関らずに部屋を出ただろう。
だけど今日は泣いてるハナちゃんをそのままにして出ていく気にはならなかった。
「何かあったのかい?」
「いえ・・・」
そう言って彼女は膝の上に置いた自分の手を見つめている。
覗き込んだ彼女の手にひらには動かなくなったマウスが横たわっていた。
そういうことか。
「仕方ないよ。この犠牲があって助かる人々がいるんだ。」
「・・分かってます。ただ、」
「なんだい?」
「私が居ない間に死なせてしまったから・・・せめて看取ってあげたかった。」
研究をしていれば動物を死なせる事など日常茶飯事だ。
そんなことで涙する研究員など見たことがないし、いちいち泣いていたのでは仕事にならないだろう。
彼女の純粋さに半ば呆れ、今後の心配もする。
「気持ちは分かるけど、そんな事で泣いていたら研究など出来ないよ?」
「普段は・・・泣いたりしません。
ちょっとスイッチが入っただけですから気にしないでください。
すみません、一人にしてくださいますか?すぐ・・いつもの私に戻ります。」
そう言うと彼女は手のひらのマウスを優しく撫でた。
何か泣きたいようなことがあったのだろうか。
背中を丸めて俯く姿はとても小さく頼りないものだった。
俺は机の上にチーズバーガーの袋を置くと、その手でクシャッとハナちゃんの頭を撫でる。
ハナちゃんは僅かに肩を揺らしたが顔を上げる事はなかった。
「さっきはゴメン。これはお詫びのチーズバーガーだから、後で食べてくれ。」
「すみません」
消え入りそうに呟くハナちゃんの姿に複雑な思いを抱えながら俺は部屋を出た。
午後の俺は全くもって集中力に欠け仕事が進まない。
まとまらないデータに嫌気がさしてきた頃、デスクにハナちゃんがやってきた。
「乾さん、さっきはスミマセンでした。これ、お礼です!」
満面の笑みで差し出されたのは缶のおしるこだった。
あまり小豆の粒は好きじゃないのだが・・・と内心で思いつつも、彼女にいつもの笑顔が戻っていることに安堵する。
「よかった、元気になったんだ。」
「ハイ!たまに泣くとスッキリするというか健康にイイらしいんです。
だから泣くネタに出会ったときは迷わず泣くことに決めてるんですよ、ワタシ!」
「・・・健康維持のために泣いてるの?」
ニコッ、彼女が肯定の笑顔を見せる。
そういえば今の世は泣くための『泣ける映画』が流行っているんだった。
自分では考えられない健康増進法に呆れつつも彼女らしくて笑ってしまう。
抑えきれずに声をたてて笑えば、ハナちゃんが瞳を細めて俺を見た。
「乾さん、笑えるようになったんですね。」
「え?」
「失恋したって聞かされる前ぐらいから笑わなくなってたから。」
「そうだったけ?」
「恋人ができて・・・幸せになったんですね。」
恋人?一瞬考えて、昼に別れた彼女のことだと気がついた。
「ああ、違うよ。あの人は恋人未満のうちに終わってしまった。
だから別に幸せってこともない。どちらかというと、まだ不幸な方じゃないかな?」
「そうなんですか?」
「自棄になってるつもりはないけど、何をやってるんだろうって感じだ。
こんなことして忘れられるはずもないのにね。」
職場で何を語っているんだか。
だけど同士であるハナちゃんには甘えてもいいかなって気になっていた。
「乾さん、そんなの駄目です!」
「ハナちゃん?」
「あなたは、そんな人じゃない!
何があっても諦めない、どんなボールでも追い続けてた日を忘れたんですか?
もっと自分の気持ちを大事にしてください!」
彼女は明らかに憤った口調で一気に言い切った。
周囲にいた同僚達も話の内容は分からなくても唖然と俺たちを窺っている。
俺は彼女の勢いに圧倒されて思わず頷いていた。
暫く目を吊り上げているハナちゃんの顔を凝視してたけど、急に笑いがこみあげてきた。
笑うと叱られるだろうと思っても止められず、俺は腹を押さえて小さく笑う。
何を笑ってるんですか!とハナちゃんが怒るのだけど止められなかった。
「ゴ、ゴメン、うん。反省してるよ。」
「嘘!笑ってるじゃないですか!」
「違うよ。君に先を越されたから可笑しくて。駄目だ、笑える。」
何が男に不慣れなハナちゃんが心配だ。
彼女は俺なんかより、はるかに強くてシッカリしているじゃないか。
俺がしようと思っていた説教を先にされてしまうとは情けない。
笑い出す俺に何事もなかったのかと同僚達の注意が逸れる。
ハナちゃんだけが、どうしていいのか分からないという顔をしていた。
「ハナちゃん、今日はカラオケに行こうか?」
「え?」
「ストレスが発散できるんだろう?連れて行ってもらおうかなと思ってね。」
突然の申し出にキョトンとしていた彼女だったけど、次には顔を笑顔でイッパイにした。
「ハイ!行きましょう!」と。
俺は音痴というわけでもないが、特別に歌がうまいというわけじゃない。
どちらかというと他人が歌っている姿を観察しながら、
相手の選曲から性格やら心境を察したりして分析するのを楽しんでる。
だが今日は交代でマイクを握らされ、ノンストップで唄いまくるという荒行だった。
ハナちゃんはドラえもんから襟裳岬まで、
幅広いレパートリーを披露してくれて俺はソファーに突っ伏して笑った。
俺には中島みゆきを歌えと強要し、
なんだか酷く落ち込まされたりもしたのだけれど楽しい時間だった。
二人で二時間みっちりと唄い、声も枯れて外へ出る。
またしても空には星が輝き、半分の月が悠々と俺たちを照らしていた。
ハナちゃんは歩道のブロックの上を飛び跳ねながら、いまだご機嫌で鼻歌を歌っている。
そんな姿を後ろから見ながら、俺はここ最近にはないスッキリした気持ちになっていた。
「元気だね、ハナちゃん。もう立ち直ったんだ?」
俺が話しかけるとクルッと体を翻したハナちゃんがニコッと笑う。
子供みたいに手を後ろに組むとニコニコしたまま空を見上げた。
「もともと挫けてなんかいませんよ。だって、まだ大好きですから!」
「それは凄いな。諦めないのかい?」
「だってステキな人ですもの、諦めたり出来ませんよ。」
「だけど相手は結婚するんだよ?もうハナちゃんのモノにはならない。」
「結婚?ああ・・・そうですね。
でも、好きって気持ちは私だけのものです。」
「その好きな人が他の人を愛していても?」
「ハイ!大好きだから、いつも笑ってて欲しい。幸せでいて欲しいって思いますよ。
それとも乾さんは振り向いてくれない人の不幸を願ったりするんですか?」
「まさか!」
「なら乾さんも一緒です!」
俺は言葉を失った。
ハナちゃんは半分酔っ払ってるんじゃないかと思うほど陽気にソレソレと点字ブロックを一つ飛ばしで踏んでいく。
いや。俺は違うよ、ハナちゃん。
確かに俺はが不幸になって欲しいなんて願わない。
やっと一つになれた越前と幸せになって欲しいと思ってるよ。
その想いに嘘はないけれど、逃げ出したいって思う気持ちも強いんだ。
手にできない人を忘れる事がベストだと思っていた。
自分の気持ちなど抹殺できるものならしたいと何度願った事だろう。
出会わなければ、恋などしなければ良かったと何度思った事だろう。
君は強いね。
自分の心を否定しないんだ。
「君に好きになってもらった男は幸せだね。」
俺が呟くとハナちゃんの足が止まった。
彼女は振り向かずに両手をうんと伸ばしてつま先立ちする。
「そうだといいです」
そう言って、ハナちゃんは煌めく星にジャンプした。
嘘つきな酔っ払い 乾編3
2006.11.24
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